コロナ禍を機に、一気に加速した「DX」だが、その行きつく先にはどんな未来が待っているのか。昨年の都知事選にも立候補した小説家、沢しおんが2040年のTOKYOを舞台にIT技術の行く末と、テクノロジーによる社会・政治の変容を描く。
※本連載は雑誌「DIME」で掲載しているDX小説です。
【これまでのあらすじ】
二十年のうちにデジタル化が浸透した二〇四〇年の東京。住民の失踪とともに個人情報データが消失するという事件が発生。行方知れずとなった兄の手がかりを得ようと橘樹花(たちばなじゆか)が情報インフラを統括するデジタル推進課の葦原(あしはら)を訪ねたが、情報公開窓口でも一切の手がかりを得ることはできず――。
キャッシュレス、ヒューマンレス
新庁舎を出た橘はコンビニを探した。学校帰りにすぐ都庁に寄ったこともあり、歩いているうちに腹が減ったのだ。
コミュニティーバス停留所の手前に無人コンビニを見つけ、橘は入り口ゲートの前に立った。
「え、開かない。なんで……」
いつもならカバンの中のパーソナルアシスタント(PA)端末が反応して自動ドアが開くのだが、厚いガラスは姿見のように橘の前に立ち塞がったままだ。
橘は「メンドくさいな」とカバンの中を手探りするうちに気がついた。失踪した兄、広海(ひろみ)のPAも入っているので、コンフリクトを起こしているのかもしれない。
自分の端末だけを取り出して、橘はドア横のスキャナーに当てた。
無人コンビニが主流になったのは震災後。高校一年生の橘が物心つくかつかないかの頃だからここ十年くらいということになる。二〇二〇年代初頭は感染症対策もあって実証実験も盛んだったが、決済手段を持たない人への対応が難しかったのと、窃盗を防ぐためのコストが高かったことなどから普及が進んでいなかった。
だが、首都直下型地震の後、コンビニ各店は買い占めや破壊、店員への暴力行為を防ぐコストが膨大になり、ガラス張りだった外装は鉄格子状のシャッターで保護され、電子認証により入店者を制限するようになった。
人々のモラルがなくなったことを嘆くメディアはあったが、非常時につき仕方がないと考える市民は多く、無人化に伴うサービス品質の低下や制限は受け容れられていった。それから復興がそれなりに進んだが、一度その状態でコストが抑えられることがわかると、二十年以上前のような24時間営業で至れり尽くせりというコンビニの姿は戻ってこなかった。
「ピンポーン」
チャイムの音がして、ゲートのドアが開いた。無人コンビニ内のレイアウトはどの店舗も似たり寄ったりで、店に買い物に来ているというより、自動販売機の中に人間が入り込んでいるのに近かった。
橘はショーケースから飲み慣れた炭酸飲料と最近お気に入りの菓子パンを手に取り、出口の処理ゲートをくぐった。
彼女が何の商品を手に店を出ようとしているのか、各種センサーが即座に判定をする。商品に貼られたシール型のタグだけでなく、棚の在庫管理センサーや客の挙動を撮影するいくつものカメラ、ゲート出入り時の「体重計」に至るまで、ありとあらゆる測定器を総動員して、炭酸飲料と菓子パンの会計を正確に行ない、電子決済が行なわれる。
役所もコンビニも、機械がデータを読み取ることばかり上手くなっていて、どうしたらよいか迷った時に手を伸ばしてくれる人は確実に減っている。
橘は近くの停留所からコミュニティバスに乗った。失踪している広海は、PAもマイナンバーカードも持っていない。おそらく無人コンビニもコミュニティーバスも使えていないはずだ。
*
バスはツインタワーの旧都庁舎があった新宿中央公園のほど近く「新新宿(しんしんじゆく)警察署」前で静かに停車した。橘が降りるとカバンの中のPAが振動し、乗車区間と金額が記録された。
エントランスには警備ドローンと警官が立っていた。ドローンは人型ではなく、ポニーくらいの馬に二本の腕をつけたような姿をしていた。AI搭載の人型アンドロイドは人間に似すぎている故のトラブルが起こることから、わざわざ機械然とした姿で製造されていると何かの授業で聞いたのを、橘は思い出した。
ドローンだけでなく生身の警官も立っているのは、無人コンビニとは逆だ。人がそこにいることでかえって威厳を保っている。
警察署のロビーは都庁の新庁舎と違って人が動いていて活気があるという感じを抱いた。
橘はバスの中で来訪者手続きを済ませておいたので、PAに表示された待ち時間のとおりに、兄の捜索を担当している初老の刑事、常田(ときた)がやって来た。
「やあやあ、樹花ちゃん。お待たせしたね」と、人懐っこい笑顔で橘を迎える。
「こんにちは、常田さん」
「役所に寄ってから来ると言っていたね、結果どうだった」
「せっかく兄のマイナンバーのやつ、持っていったのに何にもわからなかった。最悪」
「そうか。何年か前あそこの連中と関わったことがあるが、四角四面で融通が利かなくってな」
「そうなんだ。何か面倒くさそうにしてたけど」
「家族が行ってダメなら、こっちにも手がある」
常田が軽く手を上げると、ロビーのソファに座ってノートパソコンを広げていた背広の男が立ち上がった。
「警察庁サイバー局の水方(みなかた)だ」と、その男が自己紹介をした。
常田に比べてずいぶんと若い、切れ長の目に銀縁のメガネの理知的な雰囲気のする刑事だった。
「駆け出しの頃に俺が面倒見てやってたんだ。広域の捜査でここに来ていて、ついでに力を貸せと言ってある。冷たい物言いをするかもしれんが、きっと樹花ちゃんの役に立つ」
「常田さん、事件の関係者をそんな気軽に呼んでいるんですか」
「孫みたいな歳だ、それに今この子は両親もいなくて一人で兄の帰りをずっと待ってるんだ。俺たちが親身になってやらなきゃどうする」
「そういう小さいところからコンプライアンスは崩れていくんです」
水方は向き直って「少しあちらで話を聞かせてください」と橘を促し、別室へ案内した。
「常田さんからすでに訊かれたことを繰り返すことになりますが」と前置きして、水方は橘にいくつか質問を始めた。
「お兄さんの名前は橘広海ですね? 大学を出てから仕事に忙しく、何日か帰らないこともあったというのに、失踪だと気づいたのはどうして」
「学校から帰ってきたら、テーブルの上に財布もPAも身分証のマイナンバーのやつも全部置いてあって、変だなって。それで」
「それから連絡は?」
「すぐに一度だけ、電話で。置いていったもの全部処分してくれって。もう帰らないとか一方的に言われて、迷惑かかってんのこっちなんですけど」
「たった一人の妹であるあなたを置いて? 理由は?」
「理由とかわかんないし、こんなの根掘り葉掘り聞かれ続けるわけ?」
側でやりとりを聞いていた常田が口を挟んだ。
「樹花ちゃんが困っているじゃないか。取り調べじゃないんだぞ」
「照会できそうなすべてのデータベースから橘広海の情報はきれいに消えている。だから聞くんです。それは常田さんも昔からやってきた手法でしょう。それに、基礎的な情報を揃えずに前提条件が狂うと、どれだけデータを集めてもAIの判断もブレて徒労に終わります」
抑揚のない口調で水方は反論を並べた。
「俺が若い頃にはとにかく足が棒になるまで聞き込みをしたもんだ。AIにちゃちゃっと入力して足取りが追えるくらいなら世話はいらねぇってやつだよ」
「本来なら追えるんですよ。今やPAでも携帯電話でもクレジットカードでもマイナンバーでも、いつどこで何のために使ったか、サイバー局で履歴をたどろうと思えばたどれます。それができない、特殊なケースなんですよ」
二人がやり合っているのを見て、橘は「ウザ……」と眉をひそめた。
「お見苦しいところをお見せしてすみませんでした。ただ一つ、橘樹花さん、まだ私たちに言ってないことで重要なこと、あるんじゃないですか」
水方がモニターから顔を上げ、鋭い目つきで言った。
「おい、そりゃどういうことだ、意味がわからん。俺にもよくわかるように話せ」
常田は水方の肩を揺すった。
(続く)
※この物語およびこの解説はフィクションです。
【用語・設定解説】
無人コンビニ:食品や生活用品の販売だけでなく社会の重要な拠点となってきたコンビニエンスストアだが、人手不足の解消や効率化の一環として無人化への取り組みが進んでいる。その背景にはキャッシュレスへの取り組みだけでなく各種センサーとAIを組み合わせた技術革新がある。この物語では、将来的に起こりうる首都直下型地震後、地域への生活必需品の供給を担い、最新の防犯技術が施されているという設定である。
警察庁サイバー局:これまで各都道府県警察が担ってきた犯罪捜査だが、国内外の地域をまたいで発生し巧妙化するサイバー犯罪に対応するために、新しく警察庁に設置される新組織。2022年度内の発足が目指されており、捜査指揮や分析を行なう「サイバー局」と捜査を担う「直轄隊」がある。
沢しおん(Sion Sawa)
本名:澤 紫臣 作家、IT関連企業役員。現在は自治体でDX戦略の顧問も務めている。2020年東京都知事選にて9位(2万738票)で落選。
※本記事は、雑誌「DIME」で連載中の小説「TOKYO 2040」を転載したものです。