■連載/あるあるビジネス処方箋
多くのベンチャー企業にとって新卒採用をする際に大きな壁は、知名度やブランド力が大企業やメガベンチャー企業に比べると見劣りすることだ。いつの時代も大学生や専門学校生の多くは知名度やブランド力のある企業に入りたい、と願う。
ベンチャー企業は大きな壁の前で様々な試みをするが、思い描いたようにはいかない。大企業やメガベンチャー企業との力の差を感じ、しだいに意欲を失っていく。こうして大半は名もなき中小企業になっていく。
今回と次回で、その壁を独自の手法で乗り越えようと試みる、エッジのきいたベンチャー企業を紹介したい。
ビジネス英語に特化したオンライン英会話スクールを展開するビズメイツ(東京都千代田区、代表取締役 鈴木伸明、正社員67人)は、2020年4月に2012年の創業以来初の新卒者(主に大卒、大学院修士修了)の採用をした。2021年8月現在、22年4月入社の新卒者の採用試験を終えつつある。エントリー者は、1200人を超えるという。わずか3年目でこの数字に達しているのは、ベンチャー企業の中ではごく稀だ。すでに23年4月入社の採用活動をしている。
創業の2012年から主力事業のオンライン英会話スクールは講義(レッスン)や講師の質の高さが評価され、契約者(個人や企業、団体など)が年々増えてきた。業績は毎期拡大し、中途採用を中心に採用を続けている。そのなかで2018年に鈴木伸明社長の強い思いのもと、新卒採用を本格化させた。
「中途採用では、その時々に必要なスキルを持つ人材を採用する傾向がある。それも大事なことで、今後も重視していく。新卒採用では、私たちとともに将来の経営風土や文化を作っていくことができうる人を選びたい。その思いは中途採用でも変わらないが、新卒者はより一層組織に馴染みやすいのではないかと思っている。その意味で“会社の将来への重要な投資”と考えている」(採用責任者の取締役コーポレートデザイン本部長 木村 健氏)
過去2年(20年、21年入社)の採用者数、卒業大学・学部は以下の通りだ。
◆2020年(4人採用)
●ビジネス総合職(営業、マーケティング、商品開発、カスタマーサポート、人材エージェント、事業企画、管理など)
2人:成蹊大学経済学部、日本大学理工学部
●エンジニア総合職(システムエンジニア、プログラマーなど)
2人:青山学院大学理工学部、専門学校HAL東京2年制WEB学科
◆2021年(8人採用)
●ビジネス総合職
6人:早稲田大学文学部、上智大学国際教養学部、関西学院大学経済学部、獨協大学外国語学部、明治学院大学経済学部、関西外国語大学外国語学部
●エンジニア総合職
2人:北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科、九州工業大学大学院生命体工学研究科
筆者の知る範囲で言えば、新卒採用をはじめて2年でこの入学難易度の大学、学部の卒業者を獲得できているのは、ベンチャー企業の中ではおそらく数パーセント以内のはずだ。わずか2年ならば、大半のベンチャー企業は中堅以下の大学卒が入社するうちの8割以上を占める。私立文系で言えば、早稲田、慶応はもちろん、上智、ICU、明治や立教、同志社クラスもまずいない。大卒だけで予定者数をそろえることができないがゆえに、専門学校卒にも大卒と同じ扱いをして内定を出すことがある。
大半のベンチャー企業は新卒採用を始めて2年目の場合、エントリー者数が100人以下となる。5年目になっても、半数以上は100人以下が多い。この状態が続くがゆえに、しだいに採用意欲がなえていく。
同社は、多数のエントリー者の中から厳選をしている。21年の採用試験へのエントリー者数は約400人で、8人を採用。約50倍であり、新卒採用をはじめて2年目のベンチャー企業としては狭き門と言えよう。
採用責任者の取締役コーポレートデザイン本部長 木村 健氏はこう答える。
「卒業見込みの大学や学部だけで採否を決めているわけではないが、結果として入学難易度が相対的に高い学生が内定となる傾向はある。弊社の事業に関心を持つのは海外留学や海外経験が豊富で、語学力が高い学生が多い。エントリー者には留学生(外国籍)や3か国語を流ちょうに話す学生もいる」
筆者が一流大企業やメガベンチャー企業の人事部の役職者に取材時に尋ねると、総合職のプレエントリーが毎年平均5~12万人、本エントリーが5000人~1万5000人の場合が多い。内定者は、20~60人がオーソドックス。そのことを木村氏に問うと、次のように答えた。
「現時点では400人前後のエントリー者だが、弊社が求める人材を採用できている。2022年4月入社の新卒採用では、1200人を超える見込みだ。優秀な人材を惹きつけるためには、より多くの方に魅力的に思っていただける情報発信は必要。ただし、まずは弊社の理念や事業、社風や風土と合う方であることが何よりも大切。このあたりは、特に重視していきたい」
新卒採用をスタートして3年目で1200人を超えるベンチャー企業は数えるほどしかないはずだ。例えば、メガベンチャー企業の1つであるS社が「1000人を超えたのは、新卒採用をスタートして5年目だった」と退職した人事部の管理職が2019年、筆者の取材に答えていた。1000人超は、大半のベンチャー企業がぶつかる壁だ。それを3年目で実現したのだから、新卒採用においては「ニュース」と言える。
ベンチャー企業の新卒採用を取材していると、過ちをするケースが多い。それは母集団形成(エントリー者数を増やす)を大企業やメガベンチャー企業のようにしないことだ。わずか数百人のエントリーで喜んだりする担当者も少なくない。この人たちがよく口にするのは、「母集団形成をするのは、時代錯誤」「母集団形成は大企業がするものであり、ベンチャー企業はしない」。それで100~200人ほどのエントリー者で、10~20人に内定を出す場合もある。しかも書類選考や面接、適性検査、筆記試験は全般的に甘い傾向がある。結果として定着率は概して低く、次々と辞めていく。
こういう企業の採用担当者やその上司は、今をときめくメガベンチャー企業の30社ほどが名もなきベンチャー企業の頃からいかに母集団形成をしてきたのか。このことを心得ていないのだろう。多数の中からセレクトに次ぐセレクトをすると、その企業にとって近い将来有望な人材を獲得できるのだ。基礎学力や経験、性格、気質などの面で優れている人材は必ず見つかる。このタイプは得てして順応性や協調性もあるため、結果として定着率は高くなる。密度の濃い競争の空間ができあがり、短期間で優秀な人材が育成される。おそらく、これが新卒採用の王道なのだと思う。
同社の場合、ヤフーなどの大企業で経験を積んできた鈴木社長や木村取締役のもと、大企業の強さをよく心得えている。母集団形成を重視しつつ、その精度を様々な工夫で高めようとしている。その意味で、ベンチャー企業の新卒採用としては堅実で、確実で、着実とも言える。
次回(後編)は、その精度を上げる工夫を紹介したい。やみくもに、エントリー者数を増やすだけでないことがわかるはずだ。
後編に続く
文/吉田典史