■連載/あるあるビジネス処方箋
「あいつを使うのは、怖い」。この言葉をはじめて聞いたのは、1999年9月。私が30代前半の頃だ。50代前半の上司(本部長)が、目の前で発していた。当時は、インパクトがあった。上司が部下をこんなように扱うのか、と驚きもした。
「あいつ」とは、同じ部署(部員は約120人)の30代前半の男性社員。時折、次のような問題を起こしていたようだ。
・交通費や仮払いの清算が1か月ほど遅れる。
・取材相手ともめる。
・時間内で一定水準の記事を書くことができない。
これらは本連載の前回、前々回に書いたような仕事だ。つまらないが、基礎的で重要なものばかりと言える。時間内で確実にできないと、同じ部署の大半の人ができるがゆえに目立つ。つい、上司からも「仕事ができない」と見られがちになる。そこから、「使えない」となりうる。「あいつを使うのは怖い」となるかもしれない。
確かに例えば、「交通費や仮払いの清算が1か月ほど遅れる」のは反省すべきとは思う。ただし、これらは120人ほどの部員のうち、10~20人が何らかの形で経験をしていたと私は思う。もしかすると、もっと多いのかもしれない。
なぜか、冒頭の30代前半の男性社員だけが問題視されていた。不公平な気が当時の私はした。社内の態勢が未熟で、人事部すらない中小企業やベンチャー企業ならばともかく、大企業でこういう扱いをするのは好ましくないはずだ。
狙い撃ちするかのごとく、上司は「あいつを使うのは、怖い」と頻繁に口にしていた。それを聞く社員たちはしだいに男性社員から離れた。自分に飛び火してほしくないからだろうか。上司が「あいつを使うのは、怖い」と盛んに言う理由を正確に把握するのは私にはできなかった。
20年ほどが経つ。今はなんとなくわからないでもない。参考になる一例を挙げよう。昨年6月、人事コンサルティング会社の元役員で、60代前半の人事コンサルタントの男性が管理職だった頃(1990年代~2010年前後まで)を振り返り、語っていた。
「実は管理職が、使えない部下を生み出しているのだと思うようになりました。管理職は、突き詰めれば「自分の都合」で「使える・使えない」と判断し、レッテルを貼っているように思える。
管理職が「使えない」とレッテルを貼ると、職場で即時に伝染します。同じ部署の他の社員もそのように見るのです。本人も、「自分はダメだ」と思い込むようになります。この伝染が怖い。「使えない」という固定観念が組織的に強くなります。レッテルは、間違いなく伝染するのです。
他の部下は、上司に「彼はそんなことはないと思います」とはなかなか言えない。言えるのは、ごく限られた人。パート社員など特に補佐的な仕事をしてくださる方の中に、ほかの社員の仕事ぶりを見る目が鋭い人がいます。たとえば、「あの人はきちんと仕事をしていますよ。“使えない”なんてことはないです」と教えてくれます。上司はこういった意見を積極的にかつ真摯に受け止める必要があると思うのです。」
ここまでの話に深く共感したのだが、特に次のくだりが強烈だった。
「管理職が「使えない」というレッテルを貼ると、職場で即時に伝染します。同じ部署の他の社員もそのように見るのです。本人も、「自分はダメだ」と思い込むようになります。」
大切な指摘であり、読者諸氏に知っておいてほしい。上司が特定の部下を「使えない」と吹聴し、部内で孤立させ、やる気をなくさせ、潰すことは可能なのだ。
部下を「使えない」と言っている上司には、反射が必ずあります
人事コンサルタントは、こうも語っていた。
「実は、私も部下に同じレッテルを貼ってしまったことがあります。信頼している監督職から「あの人は問題が多い。なんとかして下さい」といった訴えを受け入れていたのです。
振り返ると、訴え(監督職にとっては真実ですが)に囚われていました。当時の私は、人の多様性を受け入れることができなかったのだと思います。自己採点をすると、30点くらいでしょうか…。人を受け入れる器量も狭かったのかもしれません。
多くの部下が辞めていく直接の理由は育成や成長への支援をはじめ、人材マネジメントが十分にできていなかったことにあると思います。つまりは、私の力不足です。結局、部下からの信頼がなかったのでしょうね。支援もせずに「使える・使えない」とレッテルを貼っていたので、部下からその反射(思ったことが跳ね返ってくる)があったのでしょう。
部下が私を「使える・使えない」と判断していたのだろうと思います。そして「使えない」と判断して退職したのではないでしょうか。これは、部下に限りません。相手にレッテルを貼れば、逆に自分も貼られるものなのです。
部下を「使えない」と言っている上司には、反射が必ずあります。部下は上司にとって自分の鏡ですから、自らの弱さがモロに出ることがあります。自分が嫌なところや触れられたくないところが、部下を通じて出てくる。ゆえに、どこかのタイミングで部下がそのような問題を起こします。たとえば、本来すべきことから逃げていると、部下も同じように責任回避の問題を起こしたりするのです。」
ここまでを読んだ読者諸氏は、何を感じるだろう。私は、冒頭で紹介した上司が発した「あいつを使うのは、怖い」が今も耳にこびりついている。2014年に杉並区の商店街でこの元上司に20年ぶりに偶然会った。面影はなかった。
当時の体重(推定80キロ前後)よりも20キロほど減り、背中が丸くなり、前かがみになっていた。右肩がなぜか、激しく傾いていて、まっすぐに歩けないほどだった。会話をすることはなく、素通りをした。元上司も気がつかないようだった。「栄枯盛衰」といった言葉をしみじみ思い起こした。70歳前後の哀れな老人にしか見えなかった。
この元上司が「怖い」とレッテルをはった部下はその後、この会社で活躍し、50歳前後で退職。今はノンフィクション作家になり、様々な場で記事や本を書いている。
文/吉田典史