「サステイナブルな企業のリアル」――環境や資源への配慮、地球環境の保全、持続可能な社会に貢献する製品、及び企業を紹介するシリーズ。今回はプランクトンの一種のミドリムシに着目、不可能と言われたミドリムシの培養に成功し、創業10数年で売り上げ170憶円以上、従業員数およそ370名の企業に育てた41歳の社長のお話である。
株式会社ユーグレナ代表取締役社長 出雲充さん ユーグレナはラテン語でミドリムシ属の学名。ミドリムシは動物と植物の両方の性格を持つ藻の一種で、大きさは0・1mm以下、おおよそ紡錘形をしている。川や池や水田等、比較的浅い水の中によくみられる微生物だが、これが動物性と植物性の栄養素を59種類も含有しているのである。
十代の頃からの夢にかられた想いが、出雲さんをミドリムシとへと導いた。
バングラデシュで目にした現実は
東京郊外、多摩ニュータウンの低層団地の3階で育った出雲充は、高校時代「エヴァンゲリオン」とNHKの番組、「映像の世紀」のファンだった。特に90年代半ばに放映された「映像の世紀」は、貴重な映像と回想録等で20世紀を描いているが、その番組を通して出雲は難民という存在を知る。
「 “本当にいるのか?” 僕が住んでいた団地に難民はいないが、真実の歴史を報道している番組だから世界には難民が存在する。いったい誰が難民の人たちをお世話しているのだろうか。当時、難民問題に取り組む緒方貞子高等弁務官等の国連UNHCRの活動を知って、僕も難民に対して何か役に立てることはできないかと。国連に就職しようと思ったんです」
で、東大に進学。18歳でグラミン銀行のインターンとしてバングラデシュを訪れた。
――バングラデシュの現状をつぶさにして、途上国への理解を新たにしたと思います。
「『映像の世紀』では途上国の難民に対して、食べ物がない点を強調していましたが、バングラデシュの場合、日本以上にお米はたっぷりあるんです。ところが野菜や肉、魚や乳製品がほとんどない。バングラデシュはデルタ地帯で、米以外の農作物はほとんど育たない環境です。バングラデシュの多くの人は香辛料と油だけのカレーを毎日食べている。だから、子供も大人も栄養失調になる」
“これだ‼”、ミドリムシとの出会い
最初に訪れた途上国、バングラデシュの印象は強烈だった。国連が主に目を向けるのは、シリア等の紛争地の難民、貧困はアフリカの人たちが中心だ。アジアに目が向いていないと感じた出雲は、自分がバングラデシュの貧困を何とかしようと本気で考えた。
問題は栄養だ。バランスいい食べ物を摂取し、栄養失調を防ぐにはどうしたらいいのか。
およそ1億6000万人のバングラデシュの人々に、日本から肉や野菜や乳製品を送るのは現実的でない。貧困にあえぐ途上国の人々への潤沢な栄養の供給、このテーマに挑もうと彼は大学3年で農学部に転部した。
「途上国は、動物性と植物性の栄養素が両方足りないんだ」
そんな話をじっくりしたのは農学部の友人、鈴木健吾(現・執行役員 研究開発担当)だ。
「気候や風土や場所の制限もあるし、養殖の技術を用いても、動物性と植物性のものを十分に増産することはできないんだよ」
「うーん」そんな話に腕を組んだ鈴木は、「ミドリムシがいいんじゃないか」と、出雲に提案する。ミドリムシは動物性と植物性、両方の栄養素を持ち合わせているというのだ。
ミドリムシ研究する先生のゼミに所属する鈴木を介して、研究室の顕微鏡で初めてミドリムシを目にした出雲は思わずしびれた。
「見た瞬間、これだ!と思いましたね」
――紡錘形と資料にはありますが、顕微鏡の中のミドリムシが、なぜそんなにインパクトがあったのですか。
「ミドリムシは光エネルギーを吸収する葉緑素を備えていて光合成をしている。植物は光合成をするが、自分からは動くことができません。ところがミドリムシは、自分で陽当たりのいい場所に移動して光合成をしているんです」
大量の純粋培養は不可能
植物として光合成を行うと同時に、動物的な性格を持ち、自ら光を求め移動するミドリムシは、植物性と動物性と59種類の栄養素の含有が明らかになっている。
――これでバングラデシュの栄養失調は、解決ですね。
「ミドリムシをカレーのルーに入れて食べれば、食糧問題は解決するぞと」
俄然、出雲はミドリムシの研究にのめり込む。ところが、
「教科書にはミドリムシは栄養を作るとか、良いことばかり書いてあるのですが、“育て方”の項を開くと、ミドリムシを大量に培養することはできないとありまして……。純粋培養したミドリムシは栄養価が高く、雑菌、カビ、酵母、プランクトン、鳥や昆虫等から見れば御馳走なので、食べられてしまうんです」
1950年代から栄養素の含有量が豊富なミドリムシの研究は、世界中の研究者が取り組んでいたが、純粋培養したミドリムシの大量生産は芳しい成果が上がっておらす、その難題が壁として立ちはだかっていた。
「当時の僕は20才、無限に時間があると思えたし、研究に没頭すればいずれはミドリムシの大量の純粋培養ができるんじゃないかと」
――ところで卒業後、出雲さんは東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に就職しています。
「お金がないので食べていくためには……」
サラリーマンとしての収入の安定、そして退社後や休日は研究に当てる、彼はそんなことを考えていたのだ。だが、
二足のわらじはダメだから
「出雲くん、二足のわらじでは両方とも二流で終わるよ。キミは一流の銀行員を目指しなさい」そう諭されたのは、東大の研究室で指導を仰いでいた先生だった。
――ところが1年後には、銀行を退職してしまいます。
「はい」
――なぜですか。
「例えば将来、僕が銀行の頭取になれたとして、誰かがミドリムシの培養に成功して“バングラデシュの子供たちが元気になった”というニュースを知った時、自分の人生の意味を考えると思う。多分、人生を振り返りクヨクヨするに違いない」
――退職するにあたっては、ミドリムシの培養にメドがついていたのでしょうか。
「全然、まったくわかっていなかった。僕としては二足のわらじではダメだから、会社を辞めて背水の陣を敷いたわけです」
――立ち入ったことをお聞きしますが、銀行を止めて親御さんは?
「オフクロはショックで倒れました」
東大を出て一流銀行に就職した息子が、ミドリムシに人生を賭けて会社を退職。オフクロさんがショックで倒れるのも無理ない。
暗中模索の状態だった。さて、どうブレイクスルーしていくか。それが後編のお話の肝となっていく、乞うご期待!
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama