少子高齢化に拍車がかかる日本、深刻な持病や疾病を抱え、家族や介護人もいない、独居暮らしで支援も十分に受けられない、そんな高齢者は増える一方だ。調剤薬局に薬を受け取りに行けない患者も増え続けている。そんなニーズに応え誕生したのが、患者の自宅に薬を届ける「おうち訪問薬剤サービス」である。
株式会社hitotofromまんまる薬局 代表取締役 松岡光洋さん(35)。会社の設立は2018年2月。板橋区、練馬区、豊島区、中野区を中心に現在、患者数は500人ほど。薬剤師とボランチと呼ばれるそのサポート役の2人一組で、月に1300軒ほど患者の自宅を訪問し、薬を届けている。8年間の調剤薬局での事務を経て、訪問薬剤サービスの仕組みを作った松岡さん、なぜ薬局という地味で堅実な商売の世界から、新しいビジネスモデルの構築できたのだろうか。
サッカー選手からクラブのボーイへ
鹿児島出身の松岡光洋、10代から20代初めは、サッカーに人生をかけていた。
「例えば監督から“広がれ”と指示ある。広がれば、ディフェンダーが散るからスペースがあく。ディフェンダーのほうに向くふりをして、あいたスペースにボールを出すとか。選手の頃から、僕は人よりちょっと考えて動くように心がけていました」
大卒後、プロサッカーチームのサガン鳥栖に入団、だがすぐに練習中の不本意なケガで再起不能に。絶望的な気持ちに陥りサッカー関係者に不義理をする形で引退。当時は何もかも捨てたという心境だった。
サッカーとは無縁なところでアルバイトをしよう――。松岡は北九州小倉の繁華街の高級クラブのボーイになった。
「その店のママさんが誰より早く店に来て、黙々と掃除や店の開店の準備をしていたことに感激しました」
意気に燃えるタイプの松岡は黙ってママさんの仕事を手伝うようになり、ママさんの信頼を得た。徐々にホステスの相談の聞き役になり、ホステスたちの信頼も得るようになっていく。マネージャーを1週間任された時は、ママやホステスたちの協力で、その店で最高と言われるほどの売上げを達成したほどだ。
調剤薬局の社長はその店のお客だった。社長は東京の人だが、北九州に新規店舗を出店するため長期滞在中だった。気配りにも長けた松岡の店での働きぶりに、「昼の仕事をやってみないか」と、声をかける。いつか客として店に来られるように出世すると誓い、社長の誘いにうなずいて、埼玉県内に新規オープンした調剤薬局の事務員の仕事に就いた。
能動的にやれる仕組みがあるはずだ
調剤薬局は薬剤師が透明なアクリル板の向こうで、処方箋に沿って薬を調合する。事務員はその手前で患者から手渡された処方箋をPCに入力して会計を担当する。社会保険も国民健康保険も知らず、「処方箋って何?」という感じだったが。例えば薬の分類を覚え、国に請求する金額と客に請求する金額を割り出す、そんな医療事務の仕事を少しずつ覚えた。
「薬剤師もみんな、多少人間関係がぎくしゃくしていても、言われたことをやっていれば、お金がもらえるみたいな感じで。新しいことをやろうという雰囲気がまったくなかった」
――そりゃ、調剤薬局といえば硬くて地味な職場ですから、そんな感じが当たり前なんじゃないでしょうか。
「でも、自分にやれることがあるんじゃないかと、ずっと模索していたんです」
――仕事も覚えた、結婚して子供もできた、事務員を8年間続けても?
「はい、僕はどこかずっとモヤモヤしていた」
かつて身を置いたサッカー界に目を向けると、長友佑都や岡崎慎司や本田圭佑等、同世代の選手がプレイヤーとして成功するだけでなく、ビジネスの世界でも輝きを放っている。
オレは輝けないのか、何かできることがあるはずだ……、そんな思いを松岡は頭の片隅にずっと抱いていた。
薬局の仕事は店舗を訪れた患者から処方箋を受け取り、薬を出すだけの受動的な仕事だ。これを何とか能動的にやれる仕組みに変えることはできないものか――、それが薬局の事務員だった彼の大きなテーマだった。
調剤薬局に来る患者さんを見ていると、ほとんどの人は自分の足で歩いて薬局に来る。歩けない人も車椅子を押す介護者がいる。だが、独居で歩けない、車椅子を押す介護者もいない。さらに団地の上の階に住んでいてエレベーターもない。そんな人はどうしているのだろうか。
そんな疑問が彼の中に大きくなっていく。調べると国の医療報酬の制度に、薬剤師が在宅訪問する仕組みが、整えられていることを知った。でも、その制度は認知されていないし、広がってもいない。
ネックはコストパフォーマンス
これだ――、松岡の脳裏で、ピントがパチンと合った。患者の家に薬を届けるサービスだ。
「ダメだ!」
それは調剤薬局の社長の躊躇ない一言だった。その頃、地元の在宅医療専門の診療所から、「患者さんのお宅を訪問して薬を手渡しすることはできないか」という相談が持ち込まれていた。これを機会に、訪問薬剤サービスを社内ベンチャーとして立ち上げたい。松岡は事業計画書を社長に提出すると、にべもない社長の応えだったのである。
調剤薬局は大きな病院のそばに、店舗という箱を作っていく。病院で診察を受ける患者の数から、店舗に来訪する客をだいたい逆算できる。調剤薬局の経営はシンプルなのだ。
仮に調剤薬局に1時間に10人、お客が来訪するとする。ところが訪問薬剤サービスでは1時間に回れる患者宅はせいぜい2~3軒である。コストパフフォーマンスを考えたら当然、割が合わない。社長が反対するのも無理からぬことだった。しかし、
「やらしてください」松岡は諦めなかった。
この仕組みを取り入れれば、能動的な薬局になれる。薬剤師も大学で6年間勉強して資格を取得したのは、アクリル板の向こうでただ薬を調合するだけのためではないはずだ。患者に寄り添い、医療に貢献したい思いを抱いているに違いない。
ネックであるコストパフォーマンスの解消も含め、訪問薬剤サービスのシステムについて、松岡正洋の脳裏には秘策がいくつも浮かんでいた。
日本初といってもいい、自宅訪問薬剤サービスの実現に向け、知恵の限りを尽くす松岡正洋さんの物語は、明日配信の後編で詳しく。
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama