サステナブル――持続可能であり、環境や資源に配慮し、地球環境の保全、未来の子孫の利益を損なわない社会発展、そんな“サステナブルな社会作り”の取り組む企業が、様々な分野で広がっている。国も2050年までに脱炭素社会の実現を提唱している。
そこで、「サステナブル企業のリアル」という不定期連載をスタートする。
第1回は株式会社大川印刷 代表取締役社長大川哲郎さんだ。横浜にある従業員40名ほどのこの会社は2017年から国連の持続可能な開発のための国際目標であるSDGs(エスディ―ジーズ)を取り入れた経営に本格的に舵を切り、FSC森林認証紙の使用率72%達成(2020年12月)、自社工場の再生可能エネルギー率100%達成、CO2ゼロ印刷等々。環境や社会課題解決に繋がる施策を次々に打ち出している。中小企業でありながら、なぜ徹底してサステナブルな会社の実現にこだわるのだろうか。
「あまり思い出したくない」かつてのこと
大川印刷の創業は1881年(明治14年)、140年の歴史がある。現社長の大川哲郎は6代目だ。「創業当時は、生糸札や薬名札等の印刷を生業にしていたと聞いています」
16歳の頃、父親から「跡を継ぐ気があるか」と聞かれ、「自信がない」という兄への苛立ちから、「私がやるよ」といったことが将来を決めた。敬愛する父は彼が18歳の時に急逝。母親の幸枝が急きょ、社長を継いだ。「母は人間尊重の経営を掲げていましたが」従業員には“甘い”と思われるほど、優しかったことが察せられる。
大卒後は3年間、知人の印刷会社で修業をして、稼業の大川印刷に戻った当時のことは、「あまり思い出だしたくない」と、大川哲郎は言う。
部長はいつも遅刻して出社する。終業時の5時半前には、タイムカードの前に従業員が列を作るとか。
「出庫前検査をきちんとしていないものを、受け取るわけにはいかない」
得意先の製薬会社の医薬品の添付文書ついてのそんなクレームを工場長に伝えると、
「あなたの言ってることは詭弁だ!」とか言われたり。
グローバルスタンダードという言葉が一般化した90年代後半、長年取引がある得意先からも、見積もりの値段を同業他社と比較されることが、日常化するようになった。お客からの苦情が顕在化し、売上げもみるみる落ちていく状態であった。
手段を目的と思い込んでいた…
――90年代後半の当時、意識していた経営方針というのは?
「顧客第一主義、顧客満足度経営という言葉が流行っていましたから、私もそのような流れに
――当時、今日の経営のイメージに繋がるような“従業員満足度の向上”みたいな言葉も、一部で言われるようになっていました。
「“ESの向上”という話ですね。何を言っているんだと当時は思っていました。従業員満
足度の向上なんて言う前に、お客さんが満足してくれないと仕事はどんどん減っていくと」
そんな大川哲郎が最初に引っかかったのが、青年会議所を通して知った『ソーシャル・アントレプレナー』という言葉だった。ソーシャル・アントレプレナーとは、社会課題解決を事業にする、そんな理念で会社を興す起業家のことである。社会的起業家とも言われる。
「実際にそれを実践している経営者と出会ったことが、私にとって大きかったですね」
それは服飾の中小企業の女性経営だった。女性はデザイナーで、文化、言語、国籍や年齢、性別能力の違いなどに係わらず、できるだけ多くの人が利用できる、ユニバーサルデザインの考え方を自分の心情に掲げ、「洋服を通じて社会を変えたい」と、はっきり主張する。
「それまでは印刷物の仕事を取ってくることが、私の仕事だと思っていたのですが。私が仕事だと思い込んでいたことは、手段だったのではないか。手段を目的と思い込んでいたの
ではないかと、彼女と出会って気付かされたんです」
――手段を目的と思い込んでいた…それはどういう意味ですか。
「印刷の仕事を取ってきて、たくさん印刷することは、手段であって目的じゃない。目的は医薬品の情報や食品情報、命に係わる印刷物等々、人が必要とする印刷物を世の中に届け、より多くの人に喜んでもらうことで」
自らの会社が140年間、脈々と営んでこれたのは、単に利益を追求したからではない。必要とするものを世の中に届け、多くの人に喜んでもらった賜物である。大川哲郎はそう痛感したに違いない。彼はさらに踏み込んで、「本業を通して社会課題の解決に取り組んでいく必要があるのではないか」という考えを抱くようになっていく。
とどのつまり企業経営者の資質
そんなモチベーションはどこに根付いているのだろうか。大川は語る。
「6,7歳の頃、目の不自由な人を助けた思い出があって。白い杖をついた人が車道に出て歩いていくのを見て、駆け寄り“こっちじゃないですよ”と歩道に導いた。それだけのことですが、“すごくいいことをしたな”と。その感覚が、本業を通して社会の課題を解決していこうという今の感覚と、似ていますね。
18歳の時に亡くなった父は医療事故でした。それが原因で私は人間不信に陥って。そんな青年時代にアメリカ南部を旅行したんですが、黒人の歴史とビリー・ホリデーの『ストレンジフルーツ』という曲を知りました。ストレンジフルーツ、つまり“奇妙な果実”はリンチにあって虐殺され、木に吊り下げられた黒人の死体を表した歌詞で。
父親の死で私も理不足な経験をしましたが、世界にはとてつもない理不足な状態に置かれている人たちがごまんといる。自分の体験と聞き知った不条理をバネに、世の中の理不足の解消のため、貢献できることがあるのではないかと」
持続可能、環境や資源に配慮、地球環境の保全、未来の子孫の利益を損なわない社会発展――、サステナブルに企業の舵を切るのは、とどのつまり経営者の資質なのだろう。
本業を通して、社会課題を解決していくことが会社の存在意義、そんな考え方を機会がある度に従業員に説いていくうちに、従業員の意識も徐々に変わっていく。印刷不況が取りざたされる昨今、サステナブルな経営方針は少しずつだが、仕事を創出しはじめている。
後編は企業としてサステナブルへの取り組みと、従業員の意識変革、持続可能な社会の近未来についてスポットを当てる。
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama