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不定期連載、「ビジネスパーソンに忍び寄る身近な病たち」。働き盛り世代が知っておくべき健康寿命を延ばす術を紹介する本連載、今回は睡眠の後編である。ストレス社会の中で、多くの人が睡眠に何らかの問題を抱える現実がある。実際、成人の20人に1人は睡眠薬を常用しているというデータもある。かく言う私も長年、睡眠障害を抱え、医師の診断のもとに定期的に睡眠薬を服用している一人だ。コロナ禍の影響でストレスが増す中、せめて睡眠はしっかりと取りたい。冴えた頭で日々、暮らしたいものだ。
レクチャーをお願いしたのは、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構 機構長の柳沢正史教授である。昨日公開した前編では睡眠の基礎研究により、睡眠への介入法が確立されれば、自分の睡眠をコントロールできて、クオリティ・オブ・ライフを劇的に改善できること。不眠症の多くは誤認であって、広い意味で心の病気であること。前編の最後には、日本は世界一の“睡眠不足大国”であること、日々削り溜まった“睡眠負債”は深刻なリスクをもたらしかねないことを指摘した。
病気を美徳と思っている日本人
「寝たいのに眠れないのが不眠症、寝ない生活習慣を続けているのは、睡眠不足症候群という病気です」
――でも、電車の中でも居眠りする人は珍しくありません。昼間ちょっとくらい眠くなるのは当たり前と、みんな思っていますよ。
「それが病気なんです。昼間に眠くなってしまうということは、睡眠障害を抱えているということ。個人差はありますが、人は平均で7~8時間睡眠が必要です。その人にとって、必要な睡眠量を夜に取っていない生活を続けているから、昼間に眠くなるんです」
――日本人の多くは、睡眠時間を削って仕事を頑張れば、昼間多少眠くてもしょうがないと思っています。
「それは病気であることを美徳と思っているのと同じです。うちの研究機構は外国人が3割います。ヨーロッパの研究者が日本に来て最初に驚くのは、“日本人はなぜ、こんなに昼寝ばかりしているんだ⁉”ということ。昼休みにデスクに突っ伏している人はたくさんいるし、会議中に居眠りをしている人間もざらにいる。
この研究機構に来たあるスイス人研究者は机に突っ伏して居眠りしている人間を見て、“大丈夫か、どこかぐらいが悪いんじゃないか、今日は帰って家で休んだ方がいい”と、真顔で心配していました」
――“オレは寝溜めをしているから大丈夫”という人もいますが、
「そんな人の多くは土曜日に夜更かしをして、日曜日昼過ぎまで寝ている。日曜日は夜遅くまで眠れずに、月曜日は定時に起きて時差ぼけの状態で出勤したり、リモートで仕事をする。そんな習慣は、典型的な睡眠不足症候群のパターンです。
ランチの後の中だるみを利用して、シェスタ(昼寝)を取る国もありますが、それは少数派で。パワーナップといって昼間に15~20分ぐらい昼寝をするのもいいといわれますが、それは睡眠不足緩和の非常手段です。理想は夜、十分に睡眠をとること。夜、しっかり寝ている人は昼間寝ようとしても眠れません」
「オレキシン」というカギ
――ところで、柳沢先生が睡眠といういささか特異な分野の研究に携われたのは、どんな理由からだったのですか。
「それはまったくの偶然からで」
今に至る先生の経緯を簡単に触れると――、子供の頃から研究に興味があり、研究者になりたいという夢があった。医学部を卒業後、臨床医を目指すか迷ったが、医学の知識と専門の言葉は身に付いている。患者側の研究が必要になれば、臨床医と組むことができる。自分は”明後日の患者を治す“と、研究者を選んだ。
大学院生の時にエンドセリンという血管収縮物質を発見し、88年ネイチャー誌に報告。その成果が認められたこともあり、31歳の時に渡米。およそ24年間米国の大学での研究生活に携わる。
「専門は広い意味で薬物治療の基盤を確立する薬理学で、ゲノム研究に携わっている時のことでした。新しい脳内伝達物質を発見したんです」
新しい脳内伝達物質をカギに例えるなら、最初に発見したのはカギ穴の分子。次に鍵穴に入るカギも見つかり、そのカギを「オレキシン」と命名した。さて、この物質はどんな働きをするのか。
「オレキシンをマウスに投与するとよく食べる。最初は食欲を調整している脳内物質なのかなと。そこでオレキシンの遺伝子を取り去り、オレキシンの作れないマウスを作ったんですが、このマウスは食べる量が変わらない。オレキシンがなくてもマウスは痩せないし、毛なみも良いし、子供も産む」
突然、バタッと倒れ動かなくなるマウス
「オレキシンは、何をやっているんだ? なくてもいい物質なのか?」
「いや、何か重要なことをやっているはずだ」
「マウスは夜行性だから、赤外線カメラを使って夜の食行動をチェックしてみよう」
柳沢先生を中心とした研究グループでは、そんな話し合いがなされた。夜のマウスの行動を観察すると、
「夜、走り回ったりエサを食べたりしていたマウスが、突然バタッと倒れて動かなくなる。行動停止発作を起こすマウスがたくさんいることがわかったんです。脳波をとって調べてみると、ナルコレプシーとわかった」
ナルコレプシーとは「睡眠発作」を伴う過眠症の一種だ。睡眠時の正常な脳波は覚醒からノンレム睡眠、レム睡眠と推移するが、このマウスは覚醒からいきなりレム睡眠に飛んでいる。異常な睡眠の推移は研究の結果、オレキシンの欠乏がもたらすナルコレプシーだと判明したのだ。
1998~99年、柳沢先生がオレキシンの論文を発表すると注目が集まる。睡眠に影響を及ぼす脳内物質の発見は極めて貴重だった。オレキシンの発見が、世界最大規模の睡眠の基礎研究に特化した、筑波大学睡眠医科学研究機構の創設に繋がる要素の一つになっていく。
心配し過ぎが不眠症の本質
――僕は寝床に入っても眠れない。昼間、睡魔に襲われます。
私は先生に聞かれるままに日常生活を語った。晩酌を伴う夕食後、1時間半程度の睡眠、起きて明け方まで仕事。さらに飲酒をして再び睡眠。
「それ最悪ですね。全部バッテンだ」
即座に先生の厳しい言葉が返ってきた。
夕食後、1時間半程度の睡眠を取ってしまうと、次の睡眠欲求が溜まるまでに時間がかかり、眠れなくなってしまう。
「特に明け方のお酒はダメですね。眠りたいからお酒を飲むというのは逆効果です。確かに飲めば眠くなりますが、肝臓でアルコールから分解されたアゼトアルデヒドという物質は、覚醒作用があります。アルコールの力で眠っても数時間後には起きてしまう。アルコールの影響下にある睡眠は質も悪いし、“寝酒”という概念は日本特有のものらしい」
ではどうすれば、熟睡を得られるのか。
「眠くなるまで、ベッドに入らない。入眠障害と感じるパターンの一つが、眠くないのに寝床に入るからです。“あ~眠い”というところまで起きていて、半分やりたくないことをやるのがいい。僕は読みたくない論文を読むと、あっという間に眠くなりますね」
――しかし、朝までぐっすりと眠れない。途中で起きてしまうんです。
「30代40代なら、朝までに1~2回は起きるものです。50~70代は3~4回起きて当たり前。途中で起きても時計は見ない。あまり気にしない。
自分の睡眠に対して心配し過ぎるのが、不眠症の本質なんですから」
と、最後は柳沢正史先生に、軽く肩をたたかれたような思いだった。
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama