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【リーダーはつらいよ】「〝明日から専務な〟専業主婦をかなぐり捨てて事業に本腰を入れるしかないと決意しました」河内源一郎商店・山元紀子さん

2020.12.17

今回の「リーダーはつらいよ」は、麹にまつわる物語である。食品発酵に有効な麹は微生物を繁殖させたもので、日本酒、味噌、漬物、焼酎、醤油等を製造する際には必ず必要だ。古くから日本の食になくてはならないものである。

株式会社河内源一郎商店グループ3社の代表を務める山元紀子さん(63)。100年以上の歴史がある河内源一郎商店は、国内に5社しかない麹の元、種麹を製造・販売する会社で、日本中の焼酎メーカーの約8割に種麹を供給している。酒好きには馴染み深い会社なのだ。

麹造りを中心に、紀子さんの夫で3代目の正博さんが、鹿児島県霧島市の空港に隣接する観光施設等に事業を拡張。頭を下げられない夫の性格から、社長の座を引き継いだ紀子さんが売上げを飛躍させたのだが。その陰には壮烈な親子ケンカと、一か八かの大勝負の物語があったのだ。

河内源一郎という人

そもそも話は100年以上、昔にさかのぼる。河内源一郎という大蔵省の技官が鹿児島税務局に赴任して、製造指導をおこなった際、焼酎醸造の歩留まりの悪さに着目した。当時使用していた黄麹は暑さに弱く、醸造の過程で失敗し酢になってしまうものが多かった。そこで河内は鹿児島より暑い沖縄で醸造される泡盛に目を付けた。泡盛に使われていた黒麹を純粋分離し、河内黒麹を作ったのは明治末。それを改良して扱いやすい河内白麹を開発したのは大正13年。昭和7年に税務局を退職し、鹿児島市内に種麹屋を開業する。

娘婿の2代目は酒造メーカーの杜氏によって、麹の培養にばらつきが出すのを是正するため、自動製麹装置を自ら開発。その2代目が面接官として、短大の栄養食物学科を卒業した紀子を採用。河内源一郎商店に就職した彼女は、研究室に配属される。研究室の社員は二人のみで、室長は東大農学部大学院の微生物研究室を修了し、家業に取り組む社長の息子の正博だった。

種麹屋の3代目と結婚

「短大出の私に英語の論文を手渡して、“これを読んでおけ”って。驚きましたよ。当時から主人は研究が大好きで、例えば“大豆の皮が付いたものと外したものでは、味噌の味はどう変わるかね”と、試したり」

当時は焼酎メーカーの社長たちが、しょっちゅう店に出入りしていた。

「俺んとこの焼酎はどうかね」
「香りがいいね」
「俺のとこは?」
「これは失敗だな」

とか、2代目は焼酎の酒造メーカーに焼酎の味をアドバイスしていた。

麹はデリケートだ。温度と湿度に影響される。種麹の味が異なると、各焼酎メーカーの味に影響する。当時、麹菌を担当していた紀子は、帰宅しても麹が心配になり夜中、研究室に戻って麹を確認することもよくあった。「仕事熱心だ、家業に向いている」と、2代目のお眼鏡にかなった面もあったのだろう。紀子は22歳で正博と結婚。子供も授かり、専業主婦として義父と夫は家業を盛り上げ、順風満帆に思えた昭和の終わりの頃だった。思わぬアクシデントが河内源一郎商店に巻き起こる。

「俺の言うことが聞けないなら出ていけ!!」

発端は廃業寸前だった鹿児島の錦灘酒造というメーカーを2代目が買収し、酒造業に乗り出したことが大きかった。それまで稼業を守る立場で、新しいことをやろうとする息子を心配し、止めることが多かった2代目だが、酒造メーカーに焼酎の味のアドバイスを欠かさなかったり、お酒に関して造詣が深い。酒造メーカーの立ち上げは2代目の夢だったのだろう。

だが、知名度もないブランドは大赤字だった。おまけに種麹屋が焼酎そのものに手を出したことで、酒造メーカーの反感も買った。

息子の正博は、酒造メーカーに異議を唱えていた。

「ブランドを立ち上げなくても、酒造のメーカーに卸す酒を造ればいいじゃないか」

種麹屋として九州だけでも、126社の酒造メーカーと取引がある。焼酎ブームの兆しが感じられる時代だった。焼酎の生産量は伸びる。受注生産のニーズはあるし信用もある。だが、2代目は自社ブランドの焼酎にこだわりがあった。

お互いに頭を下げることができない親子である。こうなると親子げんかは悪化の一途をたどり、正博の子供の教育の問題も絡んでついに、「オレの言うことが聞けないんだったら、出ていけ!!」となった。

「社長、空港のそばで観光事業」

「偉そうなことを言って、やれるもんなら錦灘酒造をやってみろ!!」

正博は河内源一郎商店をクビになり、酒造会社を押し付けられ、さらに錦灘酒造の使用料まで要求される事態となった。紀子も正博とともに河内源一郎商店を追い出されたが、子育ての真っ最中の彼女は、親子げんかをただ傍観するしかなかった。

もとより2代目に頭を下げ、詫びを入れる気持ちなど正博には毛頭ない。だが、半ば押し付けられ、経営を任された錦灘酒造は倒産寸前の赤字会社だ。生き残るためにはどうするか。

「社長、これからは観光ですよ」

そう言いだしたのは、錦灘酒造の当時の専務だった。専務の兄が観光業を営んでいた関係からの発想だった。

「鹿児島空港のそばに、焼酎の観光工場を作りましょう」

種麹屋の3代目として、跡を継ぐべく微生物の研究に没頭していた正博だが、ひょんなことから赤字の酒造会社の経営に携わることになった。人生の大転機だが、その上に観光業とは傍目に見ても、話が飛躍しすぎている。だが、専務に半ば強引に促され、正博は億を超える銀行からの借入金の書類に判を押す。

ところがだ。観光業を提案し、借入金の書類に判を押させた専務は、これは間違いなく失敗すると見切りをつけたのだろう。他の従業員とともに、錦灘酒造を辞めてしまうのである。

残されたのは紀子と正博、従業員1人の3人だけ。そんなある日、

「お前、今日から専務ね」

正博は妻の紀子に告げた。専務は辞めてしまった。会社のメンバーは3人。自分が専務に就くしかない。これからは借金をする時も連帯保証人だ、事業に本腰を入れるしかない。専業主婦をかなぐり捨て、紀子は決意を新たした。

正博は頭を下げるのと泣きを入れるのが何より嫌いな男である。捲土重来を誓い、集客等のシミュレーションや、いろんなデータを集めた。彼の作成したぶ厚い資料は、観光でやれると応えている。さて――

明日公開の後編は、種麹屋を中心に観光事業に打って出る夫婦の物語である。

取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama

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