■連載/阿部純子のトレンド探検隊
アメリカにおけるブティックワイナリーの先駆者「ロバート・モンダヴィ」
世界第4位のワイン生産国・アメリカで、総生産の約90%を占めるカリフォルニアワイン。
南北600マイル、東西135マイルに広がるワイン産地であり、地中海性気候で雨が少ないこと、カリフォルニア海流という寒流が北から南に流れており、気温は高くても冷涼な地域で日較差(1日の寒暖差)が激しい場所であることが、ブドウ作りには非常に良い条件となっている。土壌も2800を超え、多種多様なワインをつくることができ、5200軒を超えるワイナリー、139のAVA(原産地呼称制度)がある。
アメリカでは1960年代に入りカリフォルニアで多くのワイナリーが登場。この時代は甘口のスタイルが主流だったが、1966年にロバート・モンダヴィが、1933年の禁酒法廃止以来、初めての本格的ワイナリーをナパ・ヴァレーに設立。当時のワインは品種で選ぶということがなく、モンダヴィ登場のころからブドウ品種をラベルに明記する“ヴァラエタルワイン”が普及する。モンダヴィ以来、甘口から辛口に、ブティックワイナリーと呼ばれる高品質ワインの生産者が登場した。
「ロバート・モンダヴィはカリフォルニアワインの父とも呼ばれる。イタリア移民の両親のもとに生まれ、ワインが常に食卓にあり、父親もワイン産業に携わっていてワインが身近にあった。53歳の1966年にナパ・ヴァレーに本格的なワイナリーを設立。禁酒法が解禁されモンダヴィのワイナリーができるまで本格的なワインはアメリカでは作られていなかった。
彼は伝統国フランスでワイン造りを学んだ際にソーヴィニョン・ブランに着目。設立から2年後の1968年に甘口のソーヴィニョン・ブランを樽熟成という手法を用いて辛口にした『フュメ・ブラン』を世に出す。単一品種で辛口でクオリティの高いものを出したのはモンダヴィが初めてで、単一品種のワインをリリースする先駆けになった。ヨーロッパ視察で学んだ低温発酵、ステンレスタンク、フレンチオーク樽などファインワイン造りの技術をカリフォルニアに導入した」(ロバート・モンダヴィ アンバサダー 加藤勝也さん)
1976年にパリのブラインド・テイスティングで、カリフォルニアワインが白、赤共にトップに選ばれたことが、カリフォルニアワインの国際的な認識を変えた。この「パリの審判」によって高級ブランドを確立しつつあったカリフォルニアワインをさらに発展させるべく、モンダヴィはヨーロッパの名門ワイナリーとのコラボレーションに挑戦。1979年にボルドーの一級シャトー「シャトー・ムートン・ロートシルト」と共同で創設したのが「オーパス・ワン」で、ワインの世界のジョイントベンチャーの先駆けになった。1995年にはイタリア・トスカーナの名門フレスコバルディ家とのジョイントベンチャー「ルーチェ」を設立する。
ワイナリーツアーや料理イベントなどを開催して、アメリカにワインと食の文化を根付かせる活動も行ったモンダヴィ。1980年代にはナパ・ヴァレー地域のAVA導入に尽力、80年代後半には当時勢力が増していた反アルコール・キャンペーンに対して「ミッション・プログラム」で適度なワインの摂取を説いた。この活動が後にCBSテレビ「60ミニッツ」で放送された“フレンチ・パラドックス”のきっかけとなり、アメリカ人のワインに対する認識を大きく変えた。そして2010年にはアメリカが世界一のワイン消費国となった。