私のミッションは、様々な問題を解決できるロボットを具現化すること
――アングルさん自身は、どんなお子さんだったのでしょう。
「物を作るのが大好きで、電気モーターを搭載したクレーンや乗り物など、メカ的なものばかり自作していました。それだけじゃつまらないので、いつも『革新的な方法はない?』と試行錯誤していましたね。例えば、こんな思い出があります。8歳か9歳の頃だったと思いますが、私がリビングで牛乳を飲んでいたら、母が『飲み終わったらコップをキッチンへ下げなさい』と言ったんです。しかし私は自分ではなく、自動で運んでくれる方法はないかと考えました。そして作り上げたのが、家中に這わせたワイヤに沿って動くクレーンです。完成まで2日かけたのですが、その間、『誰もコップに触らないで!』と家族に言いました。そのクレーンでコップをキッチンまで下げることに成功したら、母は二度と私に『コップを下げなさい』と言わなくなりました(笑)。そんな感じでしたので、私は非常に扱いが難しい子供だったのではないでしょうか」
――そこから「ロボットを作りたい」と思うようになったのは?
「マサチューセッツ工科大学(MIT)の『モバイルロボットラボ』に入ってからですかね。この研究室には3名分しか新入生枠がなかったので、入室希望者に〝あるテスト〟を行なっていました。それは非常にシンプルなもので、紙に『今までにあなたが作った物のリストを全部書きなさい』という内容でした。80人ぐらいの学生がそのテストに挑んだのですが、10分ほどで半分くらいの人が書き終わり、30分後にはわずか数名が残る状態に。そんな中、私は1時間後もまだリストを書き続けていました(笑)。そんな経緯もあって、私は憧れの研究室に入ることができたのです。そこで私はラボの指導者だったロドニー・ブルックス教授と協力して、6足歩行する『ジンギス』というロボットを作りました。小型のマイクロプロセッサーとAIのプログラミングを搭載したのですが、それによって当時としては非常に整合性のとれた歩行を実現させたのです。私はジンギスの開発経緯を卒業論文にしたのですが、その年、最高の卒論として贈賞されたんです。この時、『自分の天職、進むべき道を見つけた』と感じました。そんな成功体験もあり、1990年にアイロボットを設立。目標に掲げたのは、人間の代わりに働く〝自律型ロボット〟の創造でした」
子供たちがルンバを動かす社会貢献プログラム
「アイロボット STEM」なる、未来のエンジニア育成を目的としたワークショップを開催。現場で活躍する同社の社員が講師となり、子供にプログラミングのおもしろさを伝えている。