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忠臣蔵を解剖する|吉良上野介が現代のキズ治療を受けていたら討ち入りは失敗した!?

2018.12.31

医師がすすめるカラダにイイこと!教えてDr倉田

時は元禄15年(1702年)12月14日。雪を踏みしめながら、本所松坂町(墨田区東両国)から、品川・泉岳寺にしずしずと向かう47人の男たちがいた。

世にいう「忠臣蔵」、赤穂義士による吉良上野介邸への討ち入りである。

江戸時代から現代に至るまで、歌舞伎や舞台、映画、ドラマなどに数多く取り上げられ、近年では海外でも映画化されるなど注目を浴び続けている。

品川泉岳寺には、大石内蔵助をはじめとする赤穂義士たちと浅野内匠頭の墓があり、今も線香の火が絶えることがない。

<著者撮影:赤穂義士「大石内蔵助」墓所(品川泉岳寺)>

「忠臣蔵」は脚色が加わっているが、「主君と主家を失った義士たちが艱難辛苦を乗り越え、仇討ちを達成した」ことは、「仕事や会社に対する忠義、目標達成への努力」など、ビジネスパーソンの心を掴んでいる。

当時診療にあたった医師「石崎道有」のカルテをもとに、「もし吉良上野介の傷跡を減らす現代的な治療が加わったなら、討ち入りは成功しなかったのではないか?」という「現代医学が介入する”If忠臣蔵”」である。

なお筆者は、「赤穂義士、吉良上野介」どちらの側でもなく、あくまでも現代の医師として中立な立場で事件を追う。

“江戸城松之廊下”事件の概要?

元禄14年(1701年)3月14日、江戸城内の松之廊下(現在の皇居東御苑内)で、朝廷からの使者を対応する「浅野内匠頭長矩(赤穂藩藩主):以下、内匠頭」が、「吉良上野介義央:以下、上野介」に切りかかった。

政治中枢で将軍の住居でもある江戸城内で発生した大事件、朝廷対応役の任務放棄から、5代将軍徳川綱吉は非常に怒り、内匠頭は即日切腹、赤穂藩取り潰しの処置がなされた。

“栗崎道有”という謎の医師?

上野介を治療した医師「栗崎道有(どうう):1664?~1726年<事件発生当時37歳>」。長崎でオランダ流外科を習得し、幕府に奉職していた。歴史上の大事件に関わった割には、知名度は高くないが、現在でも子孫がおられる。

「松之廊下事件」発生時、栗崎医師は神田明神下の酒屋「伊勢屋半七」氏の腫れ物を手術している最中だった。そこに江戸城中から「上野介の治療に当たれ!」という急使が来て、江戸城に向かった。

私、医師としては「伊勢屋氏の手術を終わらせたのか? 途中で切り上げたのか?」興味が尽きない。

前代未聞の「江戸城中刃傷事件」であり、幕府内部も非常に混乱していた。栗崎医師は当初「上野介以外にも大勢の負傷者がいる<大規模殺傷事件>」と考えていた。

江戸城の各門で何度も通行止めを食らいながらも、ようやく「上野介のいる部屋」にたどり着いた。

“上野介の傷”はどんな感じ??

事件発生直後、城内の当番医(外科医、内科医)2名が止血処置を行ったが、上手くいかず、栗崎医師が上野介の「麻の下着」を引き裂き、包帯の代用として止血をする。

この後、栗崎医師による処置が始まる。

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