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東京下町の魅力再発見!おとなのデートコース「芳町」

2018.06.10

【芳町】明治新政府は、徳川の時代の終わりを庶民に知らせるため、町名を変え、江戸城を皇居に変え、「江戸」を別の町「東京」として生まれ変わらせました。ですから、東京っ子は、420年の歴史を持つ古都に住むわりに、歴史を感じることがありません。が、よく見れば、東京には今も随所に江戸が残っています。蔦屋重三郎が1802年に葛飾北斎の絵で出版した「画本東都遊」になぞらえ、下町に残る江戸を紹介します。こちらを参考に、ぜひ下町歴史探訪にお出かけください。

【 芳町 】

芳町

 前回、東京六花街のうち、新興の「向島」を探訪したが、今回は最も歴史の古い「芳町」を訪ねてみよう。芳町とは初耳、という方もおいでだろうが、それは、芳町が1977年の町名改正で隣りの人形町と統合され、町名が消えてしまったから。今の中央区日本橋人形町1・3丁目がそれにあたる。

 中央区は戦前の日本橋区と京橋区が合併してできた区で、旧・日本橋区の住民は区名への愛着が深く、日本橋区議会は、合併に際し、区内のすべての町名に「日本橋」をつけると決めた。頭に「日本橋」とつく町名がやたら多いのはそのためだ。

 そして、頭に「日本橋」がつく町は、ほぼ全域が徳川家康が作った埋め立て地。今の日本橋人形町は江戸初期はヨシの茂る湿地帯で、ここに1618年、市中に爆発的に増えていた遊女屋を封じ込める目的で、幕府公認の遊郭が作られた。この遊郭についた名前が「ヨシの原」で「吉原」。「芳町」の「芳」も、そのヨシに由来している。

「吉原遊郭」は、1657年の「明暦の大火」で焼失し、浅草北の今の場所に移ってしまったが、遊郭跡には、中村座・市村座などの歌舞伎小屋や、操り人形の小屋が建ち並び、この町に庶民文化が一気に花開いた。今の日本橋人形町2丁目は、人形芝居のための人形を作る家が多かったということで、こちらはついた名前が「人形町」。

 現在、旧・芳町に残っている、芸妓が呼べる料亭は、ミシュラン2ツ星の『玄治店 濱田家』(MAP 1)一軒のみ。この店は、元は芸妓の置屋だったそうで、日本の女優第1号の川上貞奴も籍を置いていたという。そして、ミシュランに「話上手の女将」と評されたこの「濱田家」の女将の次女が、フジテレビのミタパンこと三田友梨佳アナ。彼女が母親のような話し上手であることは、すでにご存じのとおり。

 芳町散歩は、この「濱田家」にほど近い地下鉄・人形町駅のA4出口から始めよう。

 A4出口から人形町通りを南東方向に進み、2つ目の角を右に曲がった先が、昔は芸妓の置屋が軒を連ねていた「芸者小路」。今も、『よし梅』『きく家』『いわ瀬』『高はし』といった木造一軒家の和食店が並ぶ、風情ある飲食街だ。中でも、築91年の「待合い」を「ねぎま鍋」の専門店にした『よし梅芳町亭』(MAP 2)は、建物自体が登録有形文化財。芸妓は呼べないが、建物の風格は料亭並み。『濱田家』は一人4万は下らないが、こちらのねぎま鍋は一人9000円。花街の風情を手軽に味わうなら、まずこの店だ。ちなみに、すぐ近くには元祖親子丼の『玉ひで』(MAP 3)もある。

『玄治店 濱田家』
玄冶店とは、江戸初期に幕府御用医師・岡本玄冶が住んでいたことからついた、人形交差点付近の旧地名。

『よし梅 芳町亭』

『よし梅 芳町亭』
築約90年の日本家屋の「ねぎま鍋」門店。「ねぎま」とは、マグロの脂身とネギで作る鍋。数寄屋作りの渋い建物は、元は花柳界の待合い(芸者を呼び、仕出しをとって遊ぶ店)で、芸者から女優に転身した花柳小菊が住んでいたことも。
◆電話:03・5623・4422 ◆住所:中央区日本橋人形町1-5-2 ◆17:00〜21:00 L.O. 土日祝休

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