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東京下町の魅力再発見!おとなのデートコース「清澄白河」

2018.06.09

【清澄白河】明治新政府は、徳川の時代の終わりを庶民に知らせるため、町名を変え、江戸城を皇居に変え、「江戸」を別の町「東京」として生まれ変わらせました。ですから、東京っ子は、420年の歴史を持つ古都に住むわりに、歴史を感じることがありません。が、よく見れば、東京には今も随所に江戸が残っています。蔦屋重三郎が1802年に葛飾北斎の絵で出版した「画本東都遊」になぞらえ、下町に残る江戸を紹介します。こちらを参考に、ぜひ下町歴史探訪にお出かけください。

【 清澄白河 】

清澄白河

 東京の下町とは、Wikiによれば「運河や小河川が縦横にあり、橋を渡らないと隣町に行けないところ」だそうだが、だとしたら、ザ・下町オブ下町は「深川」である。「深川」という地名は、今は清澄公園の南のわずかな面積の町名として残るのみだが、戦前、東京が35区制だった時代は、木場・門前仲町・清澄・森下をひとまとめにした「深川区」という区があり、戦後、「深川区」が隣りの亀戸・大島・南砂から成る「城東区」と合併して、現在の江東区になったという。

 この深川区、江戸初期は利根川が氾濫するたびに水浸しになる湿地帯で、それを、地名の元になっている深川八郎右衛門という武士が開拓を進め、さらに幕府が、それまで東京湾に注いでいた利根川を銚子に流す大工事を行なって氾濫をおさめ、水運のための水路を張り巡らせた。水路の多くは今もそのまま残っており、深川は、運河と橋の町を形成している。

 そんな旧深川区の中心、清澄白河を歩いてみよう。

 出発は、清澄通りの下にある地下鉄・半蔵門線&大江戸線の清澄白河駅。地上に出て清澄公園沿いに西に進み、小名木川にかかった萬年橋を渡ったすぐ先に、松尾芭蕉の住まい跡を神社にした「芭蕉稲荷神社」(MAP 1)がある。芭蕉は、1680年から15年間、この地で暮らし、有名な「古池や かわずとびこむ 水の音」という句も、この庵で読まれたそうだ(あったんですね、このあたりに古池が)。

 隅田川と小名木川の合流点の角には、「芭蕉庵・史跡展望庭園」(MAP 2)がある。この小公園からは、かつて永井荷風も絶賛した清洲橋(1928年竣工の、隅田川で最も優美と讃えられた橋)を望むことができ、東京のヴェニスが堪能できる。

 萬年橋を逆戻りして清澄庭園(MAP 3)に入ろう。この庭園は、三菱の創設者・岩崎弥太郎が、元は紀伊国屋文左衛門の屋敷だった土地を1878年に買い取り、賓客のもてなしのため、隅田川から水を引いた池を中心に造成したもの。現在は、西半分は誰でも入れる「清澄公園」、東半分は入園料150円の「清澄庭園」として残されている。園内を歩く客は老人と外国人カップルばかりで、日本の若者は一組もいない。デートの穴場だ。

 庭園の縁には、清澄通りに沿い、鉄筋コンクリート2階建ての店舗兼住宅が48軒250mつづく、「清澄長屋」(MAP 4)がある。1928年竣工のこのモダン長屋は、1945年の下町大空襲にも焼け残り、当時は、両国駅から焼け野原の向こうにこの建物が見えたと言う。また、清澄通りと交差する清洲橋通り沿いには、1933年竣工の4階建てアパート「清洲寮」(MAP 5)がある。深川界隈は、1923年の関東大震災の後、アールデコ調のモダンな建物が数多く建てられ、「下町モダニズム」とでもいうべき建築文化を形成したが、清澄白河に残るこれらの建物が今もバリバリ現役で使われているのは、それらの建築がいかにしっかりした造りだったかの証しと言えよう。

『清洲寮』

『清洲寮』
築80年。入口が引き戸で、各室の番号が数字ではなくイロハであるところに時代を感じる。アパートとして現役なのは立派。
◆住所:江東区白河1-3-13

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