【あの頃これが欲しかった!懐かしのモバイルPC大図鑑】
インターネットによって世界とつながり、新たなテクノロジーが未来を感じさせてくれた。続々登場する新製品に、わくわくしっぱなしだった1990年〜2000年代。心から憧れ、物欲をかき立てられた懐かしのガジェットを、ITジャーナリスト・法林岳之さんとテックライターの太田百合子さんに振り返ってもらった。大きく重く遅かったけれど、わくわくが止まらなかったあの時代。80年代末から90年、2000年代へとモバイルPCは、驚異の進化を遂げる。
◎日本メーカーが牽引したモバイルPCの歩み
太田 振り返ってみると、モバイルPCの歩みは、日本のメーカー抜きには語れないですね。A4ノートPCは東芝の『DynaBook J-3100SS』が世界初だし、アップルの名機『PowerBook 100』も、実はソニーが製造を請け負っていたんですよね?
法林 それは有名な話だね。ほかにもサブノートPCの先駆者だった『ThinkPad 220』は、日本IBMが神奈川県大和市の研究所で開発したもの。さらに僕も使っていたけど、96年には世界最小、最軽量のモバイルPC『Libretto20』も、東芝から登場している。あの頃の日本のPCメーカーには、半導体やディスプレイなど、身近なところで部品を調達できるという大きな強みがあったんだよ。
太田 その強みを今は韓国や中国のスマホメーカーが受け継いでいる感じですね。『Libretto20』は当時、私の憧れのPCでした。MacのノートPCを使っていたので、モバイルPCが選べるWindows勢がうらやましかったです。
法林 今でもそうだけど、クルマ社会のアメリカでモバイルPCの需要は少ないからね。その意味では、日本の厳しい電車通勤事情が、持ち運びやすくてタフな、モバイルPCを育んだともいえるかな。
◎自社のリソースを生かしたPC、そしてスマホへ
太田 ノートPCって最初は黒とグレーばかりでしたけど、今ではカラフルになりましたよね?
法林 97年に『バイオノート505』が発売されて、いわゆる〝銀パソ〟の時代になるんだよね。そこから、大きく変わったと思う。
太田 PCでは後発だったソニーですが、『バイオ』はかなり尖ってましたよね。ものすごく小さいのを作ってみたり、回転するカメラを付けてみたり、テレビチューナーを搭載してみたり。
法林 自社の様々な技術を生かして、エンターテインメント機能を盛り込んでいくというやり方は、PDAの『CLIE』もそうだったし、今のスマホ『Xperia』シリーズにも通じるよね。
太田 そう考えると、PDAもデジタルオーディオプレーヤーもPCも、やっぱりすべてスマホにつながっているんですね。
法林 そうだね。「すべてのガジェットはスマホへと通ず」かな。
[1989年]新ジャンルを切り開いたMS-DOSのノートPC
東芝『DynaBook J-3100SS』19万8000円(発売当時)
世界初のPC/AT互換機ノートPCで、現在まで続く『dynabook』シリーズの元祖。640×400ドットの液晶に、3.5インチFDDを搭載し、A4サイズで重さは2.7kgと、当時としては驚きのコンパクトさだった。
〈 法林’s Comment 〉サイズだけでなくその価格にも驚かされた。鈴木亜久里氏出演のCMも記憶に残っている。
[1989年]「98NOTE」の愛称で親しまれたA4ノート
NEC『PC-9801N』24万8000円(発売当時)
『DynaBook J-3100SS』から4か月遅れで発売された、3.5インチFDDを搭載したNEC初のA4サイズノートPC。「98NOTE」の愛称で人気を博した。なお、翌年には早くもHDD搭載モデルが、その翌年にはカラー液晶モデルが登場する。
〈 法林’s Comment 〉当時『DynaBook』と人気を二分。ノートPCという、新たな製品ジャンルを確立した。