2本の矢を28m先の的に向かって放ち、当てるだけでも大変なのに、両膝を床について左膝だけをわずかに浮かせた「跪坐(きざ)」の状態で、自分の立ち順を待たなくてはならないのが辛い。かかとの上にお尻をどっかり乗せてラクしたくても、「いざゆかん」の精神で腰を高く保つこと、と道場の先生に教えられている。5人の先頭の「大前(おおまえ)」に当たってしまったら、背後の4人が順番に矢を放つ「弦音(つるね)」を注意深く聞いていないと、自分が立つタイミングがわからなくなってしまう。もちろん後ろを振り返ることは許されていない。一方、5人目の「落ち」に当たれば、跪坐の状態で延々と立ち順を待っていなくてはならず、足の痺れが限界を超える恐れがある。
単なる「趣味」というには、片手間で続けられるようなものではない弓道。にもかかわらず、高校や大学でやっていた経験者だけでなく、働き盛りの男女が初心者教室の門を叩き、嬉々として稽古や試合、審査に励んでいる。弓道の何が人々を惹きつけるのだろうか。
小柄ながら凛とした佇まいのユウコさんは書道の先生。実家の近くにある弓道場のそばを通るたびに美しさに感動していたが、「アラ還」にしてようやく一歩を踏み出した。弓道場のピリッとしたなんとも言えない空気が好き。良い意味で叱ってもらえ、常に考えていないといけない状況のおかげで精神力が鍛えられ、体力もついてきた。更年期障害や自律神経失調症も改善した、という。
アラフォーのダイスケさんは、鍼灸師の仕事がら禅に興味があり、大正時代から日本で弓道を修行したドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲルの著作「弓と禅」との出会いがきっかけとなった。弓道を始めてから体に芯ができ、稽古のために診療の予約を調整するほど弓にハマりこんでいる。
アツミさんはアラサーの大学職員。 ようやく時間的に余裕が持てるようになったが、趣味らしい趣味もなく、高校時代に3年間打ち込んだ弓道を再開したくなった。参段への初挑戦は惜しくも成功とはならなかったが、「弓道が好きだから、美しい射を目指して日々より良いものにしていきたい」と、情熱は揺るがない。
高校生のユウリさんは、習字をやめてから他に趣味もなく、学校でも流行りのネタについていけず物足りない毎日を送っていた。しかし今では「自分には弓道がある!」と、アイデンティティを感じるほどの弓好きとなり、塾のコマを移動して稽古の時間を捻出している。
50代半ばの実年齢より若く見えるタカシさんは商社勤務。テニスをやっていたが相手が必要なので、老後の趣味として一人でもできる弓道を始めた。日本の美を象徴する武道の一つを習得していく過程が楽しく、弓道はすでに生活のリズムに入ってしまった。「仕事だけではなく会社以外の活動を持ち、知らない世界を見るのが楽しい」と目を輝かせるタカシさんは、弓道を始めてわずか2年、一発で参段に合格するスピード出世を果たした。
全日本弓道連盟の公式サイトには、「弓道は、永遠に、求道」と、「弓道の心」が掲げられている。ぜひ冒頭の動画を見ていただきたい。美しさに戦慄を覚えるなら、弓道にハマる可能性は高いと言えるだろう。
■参照リンク
全日本弓道連盟公式サイト http://www.kyudo.jp/
文・写真/三崎由美子