45馬力。この数字にピンときたなら、ぜひ読み続けていただきたい。
原チャリに乗ったら、次は普通2輪免許を取って、250ccのレーサーレプリカバイクに乗るのが、男の子の王道だったあの頃、選択肢は2つあった。ひとつは2ストロークエンジンのバイク。もうひとつが4ストローク4気筒エンジンのバイクだった。
車検が無い250ccバイクは若者の味方。それでいて水冷4気筒マルチバルブDOHCという複雑なエンジン。さらに、集合管を着けたときのエンジン音は、今のF1よりもセクシーだった。
上は「CBR250RR」のエンジだが、レッドゾーンはなんと1万9000回転から! V8、V10時代のF1エンジン並だ。1気筒あたり62.25ccの排気量なので、まるで原付のエンジンを4つ並べたかのような、精緻極まるもの。これが、「2ストキラー」と呼ばれた、250cc4気筒エンジンなのだ!
なぜ、このようにアツいエンジンを持つ、レーサーレプリカバイクが誕生したのか? その歴史を紐解いてみよう。
■250ccのレーサー化が進んだのは、こいつらが速かったから
今思えば怖ろしい、レーサーレプリカ現象。当時を知らない人にわかるよう、強引に説明するなら、街中をF1マシーンが走り回っているようなものだ。
その先駆けになったのは、1980年に発売されたヤマハの『RZ250』(350もあった)だろう。
並列2気筒水冷2ストロークエンジンは247ccの排気量から最大35psの出力を発揮。モノクロスサスなど足回りは当時の市販レーサーTZ250をイメージさせた。現在、中古車相場はプレミアムがつき跳ね上がっており、程度の良いものだと100万円を超すものも珍しくない。状態により150万円以上の中古車もある。気軽に買うには敷居が高くなってしまったようだ。
しかし、初代RZ250はネイキッドであった。まだ“レーサーレプリカ”と名乗るまでではなかっただろう。レーサーレプリカブームに火を点けたのは、1983年に発売されたスズキの、『RG250ガンマ』なのだ。
並列2気筒水冷2ストロークエンジンは、最大45psを実現。量産車世界初のアルミ角形パイプフレーム「AL-BOX」に搭載され、乾燥重量は131kgと軽量。オプションだが、市販車初のフルカウルも装備でき、フロント16インチホイールなど、当時のGPレーサーそのものといったハイスペックで、売れに売れまくった。
刺激を受けた他メーカーもこれに追随。1985年にはヤマハからも、フルカウルの2ストロークレーサーレプリカ『TZR250』が登場した。
そして、ホンダはとうとうV型2気筒2ストロークエンジン搭載の『NSR250R』を1986年にデビューさせた。
フロントシートとリアシートは切り離され、ハンドルは低い位置に取り付けられている。「どうやってタンデム(2人乗り)するの?」と、子供ゴコロに感じたことを思い出す。今思えば、『NSR250R』のあたりからレーサーレプリカは、レーサーそのものだった。ライダーもレーサーのような革ツナギを着用していた。本物のレーサーのようなスポンサーカラーで着飾っていても、変だと思わなかった。そういう感覚になっていたことが、すでに変だったのかもしれない。
カワサキも『KR250』をリリースするなど、国産バイクメーカー4車はこぞって、レーサーレプリカを各社の看板モデルとして販売。街にレーサーレプリカがあふれることとなったのだ。