やや出遅れていたホンダもとうとう、レーサーレプリカの完成形を世に生み出した。1990年に誕生した『CBR250RR』がそれだ。
「Rが3つも入るなんて、どれだけR好きなんだよ……」と、当時筆者はそのネーミングにツッコミを入れたことを覚えているが、とにかく“レーシング”を徹底的に意識した、まさにレーサーレプリカの権化(ごんげ)であったのは間違いない。
エンジンのレッドゾーンは1万9000回転からとされ、2万回転目前という、市販車では前代未聞の領域へと突入。また、重心を低くするために、重量物は低く、さらに車体の中心へと集めハンドリングフィーリングを向上。まさに、250cc4気筒レーサーレプリカの頂点を、『CBR250RR』は極めたのだった。
■250cc4気筒レーサーレプリカ時代が幕を下ろす
頂点を極めた250cc4気筒レーサーレプリカだが、その栄華は長くは続かなかった。立ちはだかった壁は、バブル崩壊とネイキッドブーム、馬力規制と環境問題だった。
景気後退と共に、レース業界も活気を失い、バイクユーザーも徐々に減少していった。さらに行きすぎたレーサーレプリカへの拒絶反応か、世の中はカウルレスのバイク“ネイキッド”が人気を呼ぶようになった。そして、250cc4気筒レーサーレプリカにとって致命的だったのが、馬力規制と環境問題だろう。
まずは、1993年に新馬力規制で250ccバイクの最大出力は45psから40psに引き下げられた。それにより、レーサーレプリカは軒並み40psへと出力をダウン。4ストローク4気筒エンジンは、回転数を抑えて中・低速回転での扱いやすさを重視するようになる。「CBR250RR」も1994年に新馬力規制に対応し、牙を抜かれることになった。
同時に、2ストレーサーレプリカたちもまた、40psを上限とする規制に従っていった。もしかしたら、ライバルである2ストレーサーレプリカの牙が抜かれたことで、250cc4気筒レーサーレプリカは、2ストキラーとしての使命を終えていたのかもしれない。250cc4気筒レーサーレプリカは徐々に、ラインアップから外れていった。
そして、環境問題という時代の大波が押し寄せた。国産バイクメーカー各社は2ストロークエンジンの生産を断念。2ストレーサーレプリカの雄、『NSR250R』も1999年を持って販売を終了した。それを追うかのように、2000年の『CBR250RR』を最後に、250cc4気筒レーサーレプリカもまた、消滅した。レーサーレプリカは21世紀へ生き残ることができなかったのだった。