代わって「バチェラージャパン」には、そんな青臭い要素は全くない。
表の目的は、玉の輿に乗りたい女性が久保さんを奪い合う。
裏の目的は、自己PR。女性陣の多くはタレント業。サバイブすれば、自然と名前を呼ばれる回数も増え、視聴者は名前を覚える。仮に結婚できなくとも、今後の芸能活動の潤滑油に。
云ってしまえば人間ブーケトス状態。掴めるものがジンクスではなく実益ならば必死となる。
愛や恋をテーマとした番組に、興味が薄い僕がハマった理由もソコ。
常にカメラは回っている常軌を逸した空間でコトは運ぶ。それが、メンタルをやられるギリギリまで出演者が追い詰める。この胃がキリキリする感じは「フルメタルジャケット」「プラトーン」「地獄の黙示録」といったベトナム戦争映画を見ている気分。泥沼な激戦を体感できる。
回を重ねていくごとに、久保さんを中心とした女性陣の人物相関図も入り乱れ。その様子は、ローラ・パーマーを中心とした相関図でおなじみの「ツイン・ピークス」に似ている。
久保さんが見せる様々な表情に女性陣が翻弄される。どれが本当の久保さんか分からなくなるストレンジな世界観に酔う。
つまり「バチェラージャパン」とは、一線を超えたイっちゃってる番組なんだ。ヤラセ、演出って言葉がバカバカしくなるほどにクレイジー。
25人の女性に囲まれている男性の構図、この絵力の強さったらない。これだけで一見の価値がある。美女をはべらしてハーレムをしたい(けど捕まりたくないから合法的に)といった浅はかな男の野望を叶えている様子に爆笑&リスペクト。
ホント見ていて「僕が学校の先生なら生徒に見せるのに」と思ったもん。世の中「金」「容姿」「金」
それを満たせば、合法ハーレムという夢も「現実のチャンスありまっせ」と教えてくれる。対して、女性も美貌を磨けば玉の輿チャンスも開ますぜ、と。