●F1、ファッション、ホテル、マンション、ディスコまで…!
「レイトンハウス」はチーム設立直後、荻原光の事故死というアクシデントに見舞われますが、赤城氏はレースへの情熱とともにチーム運営を続行。1987年に「レイトンハウス・マーチ」を結成すると、契約レーサー、イヴァン・カペリのステップアップに伴い、とうとうF1への参戦を果たします。
ブランドの認知度も急上昇。前年から発売がスタートしていた「レイトンハウス」のアパレルは、特徴的なレイトンブルーが話題となり、レース会場や都内のブティックで人気に火が付きはじめたのです。
波に乗る丸晶興産はさらに事業を拡大し、「レイトンハウス」ブランドのブティックやホテル、マンション、はたまた音楽出版事業まで手掛ける一大グループに成長します。
出典:Amazon.co.jp
あのジョー山中のベストアルバムは、なぜだかレイトンハウス音楽産業からリリース。今ではプレミアが物凄いことに!
1987年には六本木の旧防衛庁前に高級ディスコ「トゥーリア」をオープン。空間プロデューサーに山本コテツ、内装のデザインは「ブレードランナー」で知られるシド・ミードを起用した店内のコンセプトは『近未来の惑星に不時着した宇宙船』。もちろん黒服による服装チェックありの、なんともバブル感あふれるスポットでした。
ところが1988年1月5日、店のウリモノだった可動式の照明装置の落下により死者3名を出す大事故を起こし、「トゥーリア」は閉店に追い込まれます。余談ですが、事故当日の店内にはあの桑田真澄と、彼の暴露本を書くことになるスポーツメーカー勤務の中牧昭二、のちにアナウンサーの羽鳥慎一と結婚する(現在は離婚)アイドルの栗原冬子らがいた、とも報じられ話題となりました。