はじめまして、バブル時代研究家のDJGBと申します。スキあらば会話に懐かしのミニ情報を挟み込もうとする、シャイなあんちくしょうです。これから1976年生まれの筆者が、80~90年代の「あったあった」なブランドを男子目線で振り返りつつ、その「今」とともにご紹介してゆきます。今回紹介するのは、西海岸生まれの“ファッション アスレチック フットウェア” として80年代後半~90年代にかけて一世を風靡した「L.A. Gear」です。
●意外と知らない?ブランドのなりたち
「L.A. Gear」のはじまりは1979年。もともとカリフォルニアで「グッドタイムス」というローラースケートレンタルショップを展開していたロベルト・グリーンバーグという人物が、1982年、女性向けのセレクトショップをオープンするにあたり名付けた屋号が「L.A. Gear」でした。
自社でシューズの企画を始めたのは1985年から。ラメや蛍光色のシューレースで、白ベースのフィットネスシューズを自分流にアレンジできるというファッション性が受け、女性を中心に大ヒット。翌1986年には株式公開も果たし、破竹の勢いでビジネスを拡大します。
●あのスターたちも!「L.A Gear」の契約ラッシュ
1988年、「L.A. Gear」は、特にメンズ市場の開拓を狙い、スポーツ選手との契約を開始します。目を付けたのは、地元ロサンゼルス・レイカーズの大ベテランで、当時すでに引退間近だった伝説的な名選手、カリーム・アブドゥル・ジャバーでした。長年アディダスの顔として知られてきたジャバーは、現役最終年を、正直あんまり似合わない「L.A. Gear」のシグニチャーモデル「KAJ」でプレー。
通常、企業やブランドは、他社の「色」のついていないフレッシュな人物を広告に起用したがるものですが、「L.A. Gear」は違いました。1989年~1990年にかけては、高額の契約金で他社のセレブリティを相次いで“強奪”します。NBAでは「Etonic」を履いていたアキーム・オラジュワン、「Converse」を履いていたカール・マローンと契約。さらにNHLのウェイン・グレツキーや、NFLのジョー・モンタナといったそうそうたる面々を次々リクルートします。