『サウナは教会のように問題の真実』
そこでまた人間模様が生まれてくるんですよ。
「ホ、ホントかよ!?」
と、ざわめくサウナ室内。その時は会話に参加してないオレにまで伝わる室内の緊張感。すると“勝ったオヤジ”の話は独演会へと化しだす。
イライラしながら聞き出す負けオヤジ。ますます調子に乗って話を盛りだす勝ったオヤジ。もう負けオヤジとしたら、そんな話も聞きたくなけりゃ、そろそろサウナ室から出たいんだけど、なんかここで出ると、勝ったオヤジの話を聞きたくないから出て、人間としてうつわ小さいと思われるじゃネェか? という妙な意地が出てきたりして、無理してサウナ室に入ってるような感じになってちゃって、もうその人間模様が素晴らしい!
そんなうちに勝ったオヤジが自分だけいい気分で「お先ィ!」なんてスキップしかねない調子でサウナ室から出てっちゃってさ。その途端に負けオヤジのウップンが爆発して「なんだあのヤロー!!」なんて言い出して、
「なぁ若いの?」
なんて、50過ぎのオレが“若いの”って呼ばれて同意求められて、「そうすっね〜」なんて言ったりする。ちなみにあとで脱衣所行くと、勝ったオヤジと負けオヤジが別にケンカしてるワケじゃなく、今度はどのの呑み屋がいいか? なんて話を仲良くしてるんだけどさ。これもまたサウナの醍醐味ですよ。
ほら、どうも最近、サウナで会話するのがキライっていう人が多いらしいのよ。キライなのはしょうがないし、大声張り上げて話すのはマナー的に問題あるだろうけど、普通にね、その施設のレベルにあった会話するのはサウナの楽しみのひとつですよ。サウナってマナー守れば自由な空間だから。
ところがサウナで普通に会話するのすら“マナー違反”だとまでいう人がいるワケ。だいたいそういう人はフィンランドの格言の『サウナに入る時は教会に入るような気持ちで』ってのを持ち出すんだよね。教会でオシャベリするか? みたいな。
でもフィンランドの人ってサウナでメチャクチャしゃべるんだよなァ。
クリスチャンでもない日本人にとって教会のイメージって妙に厳格化してるんだろうけど、日々の生活に教会があるクリスチャンのフィンランド人にとって、教会は神聖な場所ではあるけれど、もっと親しみやすいものなんだろうな〜って、オレ、逆にサウナで思ったもん。クリスチャンって教会でも普通にしゃべるんだなって思ったもん。もちろん神父さんが色々話してる時は別にして。