南極に昭和基地が開設されたのは、今からちょうど60年前の1957年1月29日のこと。
マイナス40℃以下に下がることもある南極の昭和基地と日本を結ぶ、まさに命綱とも呼べる衛星電話回線を運営しているのは、日本のKDDIだ。
過酷な現場で任務をはたしたKDDIの濱田さんに、話を伺ってみた。
■14か月間、南極から帰れない
昭和基地は日本から約1万4000kmも離れた、東オングル島にある。島とはいえ、氷が溶ける夏場を除き、大陸とは海氷でつながっている。
1957年に日本の南極地域観測事業が昭和基地で始まったのだが、その昭和基地が今年で60年、還暦を迎えた。
気象庁による観測・研究、国土地理院による測地、大学の研究機関などによる研究観測など、さまざまな研究が行われている昭和基地は国立極地研究所の管轄下にあり、KDDIは2005年の第46次日本南極地域観測隊越冬隊から、国立極地研究所に毎年1人、社員を出向させて観測隊員を派遣してきた。
KDDIの濱田さんは2013年11月に日本を出発し、昭和基地に12月末に到着した、第55次観測隊に参加した。
第55次日本南極地域観測隊越冬隊員
KDDI
ソリューション推進本部
濱田彬裕さん
南極は日本と夏冬が真逆になる。夏は12月から2月で、その間なら砕氷船「しらせ」は昭和基地へ近づくことができるが、それ以外は氷に遮られてしまう。
越冬隊は12月から南極入りし、翌翌年の2月まで滞在することになる。つまり、14か月もの間南極生活を送るのだ。その間2回、正月を過ごすという、長期滞在なのだ。