■連載/ゆとりのトリセツ
仕事場での新人ゆとりは心持ちの変化が不可解で、結果的にどこに落ち着くか突っ込んで来るか未知でございます。子供と老人の運転する自転車の不安定さと、どこに進んで来るか解らない怖さに似ております。
世の目上方は、そんな扱い難いゆとり新人に随分振り回されているようで、特に怒る/注意する場面においては面倒臭さすら感じているハズでございます。自分の経験は適用できないし、パワハラだの何だのイチャモンは避けたいし、だからと言って3、40代のオバさんが書いたHow Toを読んでも納得いかないし…といった具合に。
今回のコラムでは、怒られる側としての心情や得策など、ゆとり当事者として綴って参りたい所在であります。お付き合い下さいませ。
【その時、ゆとりは…】
新人だから多少のミスは仕方ない。教え方が悪いし、そもそもこの辺の事は教わってない。解る範囲で出来る事はしてるつもりだし、渡された仕事はちゃんとやってる。なのに怒られた…悪いの自分か?例えそうだとしても怒鳴られる程か?というか、お前はそうやって怒れる立場なのか?
大体の場合、新人は叱られている時こんな事を心で思っております。
やってしまったミスはちゃんと自認しておりまして、しかしそこまで怒られるとは想像もしてないわけであります。「注意くらいだろう、次から気をつけよっと」程度の軽さだったりするのですね、彼/彼女等の中では。
そしてそうでないとなった時、開き直りに似た反発心が芽生えて参ります。責任があるのだ、と言えば「新人に責任重い仕事任せんな」と口走りたくなり、人選間違えたお前の所為だろと毒づいたりするのですね。口に出さずとも、この様に腹に色々と切り札を隠し持っているわけで、冷め切った目をしてお叱りを受けていたり、仏頂面をしたりするのは、この為でございます。これが「論破ゆとり」だったりすると、ああ言えばこう言う図が出来上がるのでありますね。目上方も様々なものが沸々と込み上げるでしょうが、時代やメディアが作り上げたルールの様なものが横行している今日では、自分の時同様に叱れないのが現実のようであります。