少子高齢化が進む日本では、企業にとって人財の確保と、一人ひとりの能力を最大限に引き出す組織づくりが重要な経営課題となっている。
国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の総人口は2020年の約1億2600万人から、2070年には約8700万人に減少する見通しだ。生産年齢人口も減少が続くと予測されている。
【参考】日本の将来推計人口(全国)|国立社会保障・人口問題研究所
こうした環境下で注目されるのが、DE&Iだ。
日本たばこ産業(JT)は、人財の多様性を組織の競争力につなげることを目指している。2025年には性差に基づく健康課題への支援策「Wellness Advance」を導入。2026年10月22日には、アーティストで東京藝術大学客員教授のスプツニ子!氏を招き、社員向けの特別講演会を開催した。
多様な人財が能力を発揮できる職場とはどのようなものか。講演会の内容と社員の声から、そのヒントを探る。
DE&Iとは?
「DE&I」は、「ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン」の略称だ。
多くの企業が取り組んできた考え方に、「D&I=ダイバーシティ&インクルージョン」がある。ダイバーシティは「多様性」、インクルージョンは「包摂・受容」などと訳される。
人種、宗教、民族的出自、出身地、ジェンダー、年齢、障がいの有無、性的指向、性自認、性表現、配偶者の有無に加え、経験や専門性など、様々な違いを互いに認め合い、一人ひとりが尊重され、組織の一員として力を発揮できる状態にすることだ。
そのD&Iに「公平性・公正性(Equity=エクイティ)」の考え方を加えたものがDE&Iで、近年、重要視されている。
スプツニ子!氏の講演から見えたDE&Iの重要性
スプツニ子!氏の講演の要点をまとめると、以下のとおりだ。
1.多様性がイノベーションと意思決定の質を高める
2.昭和型の働き方からの脱却が必要
3.制約のある人が力を発揮できる環境をつくる
4.善意だけでは解消できない構造的な不公平
それぞれを簡単に説明したい。
1.多様性がイノベーションと意思決定の質を高める
MITで助教を務めた経験を持つスプツニ子!氏は、巨大IT企業が開発を競っていた顔認識技術の偏りについて紹介した。
当時は白人男性のエンジニアが多かったため、「顔認識アルゴリズムが白人男性に対しては100%の正解率を示す一方、黒人女性に対しては68%しか正しく認識できない例があり、その検証論文を同僚の女性研究者がまとめ、発表しました」(スプツニ子!氏)。
これは、多様な視点がアルゴリズムの偏りを発見した例といえるだろう。
また、アメリカの心理学者アーヴィング・ジャニス氏の研究で知られる「グループシンク」には、8つの症状があるとされる。
1.自分たちの集団に対して過大評価する
2.過度な楽観主義、「自分たちは正しい」と思い込み、道徳や倫理を無視する
3.外部の集団の弱点を過大評価し、能力を過小評価する
4.外部からの意見や警告を無視する
5.都合の悪い情報を遮断する
6.集団の決定に異論を唱えるメンバーに圧力がかかる
7.疑問を持たないように自己抑制を行う
8.全員の意見が一致していると思う
といった症状だ。
こうしたグループシンクは、女性だけでなく男性にとっても息苦しい組織で生じやすい。「あうん」の呼吸が求められたり、ヒエラルキーが厳格だったりする組織では、特に起きやすいとスプツニ子!氏はいう。
「日本では割と美徳として扱われがちですが、前例のないチャレンジや新規事業に取り組みたい時、不正が起きてガバナンスをしっかり機能させたい時に、グループシンクの症状が表れると、大きなハードルになるといわれています」(スプツニ子!氏)
こうした組織がグループシンクから抜け出すためには、「多様なアンテナを立てることが大切」(スプツニ子!氏)だという。
2.昭和型の働き方からの脱却が必要
日本とアメリカでは、ダイバーシティをめぐる課題が異なる。スプツニ子!氏は、それぞれの社会背景を踏まえ、日本企業が直面する課題について説明した。
アメリカでは、ダイバーシティに反対する動き(バックラッシュ)が起きている。一方、ダイバーシティをめぐる主な論点も日本とは異なる。スプツニ子!氏は、アメリカでは移民や人種、トランスジェンダー、LGBTなどが中心的なテーマになっていると説明する。
これに対して日本では、少子高齢化によって労働人口が減少しているため、「子育てしながら働く、介護しながら働く、健康課題を抱えながら働くといった、多様な人たちが働きやすい環境を急ピッチで作らないと未来がないというのが、今の日本企業におけるダイバーシティのメイントピックです」(スプツニ子!氏)
先述したとおり、日本で少子高齢化が進む中、「物価や家賃が上がり、住宅ローンの金利も上昇し、共働きしないと暮らしていけない家庭もすごく増えています。30代の男性たちは育休も取って育児も担うという状況なので、男性たちの間で上の世代と令和世代の価値観の分化が起き始めているんです」(スプツニ子!氏)
一方、「昭和型の『無制限に働けます』というモデルを引きずってしまい、上の世代のリーダーたちが、それが当たり前だという価値観を持ってしまうことが多く、男性も女性もせっかく働く能力も意欲もあるのに、『やりづらいな』と感じてしまう。そして、転職したり、自分に合った環境を探したりするハードルが以前より下がっているので、せっかく優秀な人財がいても離職したり、生産性が低下したりすることが起きている」とスプツニ子!氏は指摘する。
3.制約のある人が力を発揮できる環境をつくる
こうした働き方の問題は、若い世代だけに限らない。上の世代のリーダーたちも、ある日突然、親の介護に直面することがあるという。「上の世代、特に管理職層でも、ある日突然、親の介護に悩んでしまう。そんなことが起きます」(スプツニ子!氏)
そして、「ワーク・ライフ・バランス」と聞くと、仕事以外の時間をただ楽しんでいる、若者が趣味に興じているといったイメージを持つ人もいる。しかし、スプツニ子!氏は、そうした考え方は誤解だという。
「共働きしている方ならすごくわかると思うんですが、フルタイムで働いて家に帰り、子供の宿題を見てあげたり、ご飯を食べさせてあげたり、寝かしつけたりしていて、全然遊んでいないんです。育児や介護、健康課題を抱えながら働くことが当たり前になってきているとしたら、こうした制約の中で働く人が最大限のパフォーマンスを発揮できるようにする。その考え方を『ワーク・ライフ・パフォーマンス』と定義しています。育児支援や介護支援も、AIを活用して生産性の高い職場にしたり、心理的安全性を高めるマネジメント力を向上させたりする……そうすることで、ダイバーシティやウェルビーイングが、守りではなく攻めの考え方になると思います」
4.善意だけでは解消できない構造的な不公平
スプツニ子!氏は「今の時代、悪意を持って自覚的に差別する人は職場にほとんどいなくなった」としつつも、「その人自身に悪意が全くなくても、会社の働き方や仕組みの構造的な偏りが、誰かにとって不利な状況を生み続ける」ことが問題だと指摘する。
スプツニ子!氏が東京藝術大学のデザイン科准教授に就任した当時、教授会が2週間に1度開催されており、女性初の参加者だった。開催時間は夕方で、保育園へのお迎えの時間と重なっていたという。
当初は、先輩たちに遠慮して言い出せず、「夫にお迎えを頼むんですが、出張や仕事でどうしても行けないときは、ベビーシッターさんに迎えに行ってもらうことを何回も繰り返し、しばらく頑張った」そうだ。
しかし、勇気を出して先輩の先生に保育園のお迎え時間とかぶるので、教授会がもう少し早い時間だと助かると相談したところ、「相談してくれてありがとう。むしろ気がつかなくてごめんね」と言われたという。そして、心優しい9人の先生方の協力で、教授会の開始時刻を早い時間に変更してくれたのだ。
ここで重要なのは、9人の先生方がスプツニ子!氏より20歳ほど年上で、「奥さまが専業主婦やパートとして働いている人がほとんどだったので、教授会の時間が保育園のお迎えと重なっていることに、それまで気づかなかった。ただそれだけなんです。みんな善意を持っているのに、無自覚なまま、こうしたことが起きてしまう。だから、上司などに率直に相談できるのは、すごくいいカルチャーじゃないかなと思います」
そして、「一番の理想は、こうした構造的な偏りをなくし、公平な環境にしていくことなんです。平等とは、みんなを同じように扱うことです。でも、みんなを同じように扱えばいいという考え方だけでは、公平性は実現できない。そこが、DE&I=ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョンの肝になっています。多様な視点を取り入れることは、様々な人が働きやすい組織への近道です。だからこそ、管理職層の多様化が重要になります」(スプツニ子!氏)
JTの社員はDE&Iをどう捉えた?
講演会に参加したJTの社員にも話を聞いたので、紹介したい。人事部で採用を担当する有福さんと長谷川さんだ。
お二人はともに40代で、転職してJTに入社した。有福さんは、小学生の息子さんとお嬢さんの子育て中だ。長谷川さんは、来年3月に奥さんの出産を控えている。
有福さんは、講演会で「構造的不利」というテーマに関心を持ったという。
「意識を変えようという話をよく聞きますが、結局、仕組みや制度が変わらないとうまくいかないし、組織としてDE&Iを考えると、構造の変革が必要なんだろうと思いました」
有福さんは子育ての真っただ中にあり、妻には専業主婦として子どもたちと過ごす時間を大切にしてもらっている。
「妻は、『今はこどもたちとの時間を優先にしたい』と考えています。自分も、子どもには親と一緒に過ごしてほしいと思っているので、ありがたく感じています。というのも、自分の両親が時間を取って接してくれるタイプで、すごくいい思い出になっているからです。でも、妻がもし積極的に働きたいタイプだとしたら、自分の思いを押しつけてしまっていることになるかもしれない。だから、お互いの話を聞くことが大事ですね」
長谷川さんにも話を聞いた。
「来年の3月に妻が出産するのですが、自分も昭和ストロングスタイルの働き方をしてきたので、『男性は仕事しながら育児すればいい』って思っていました。でも、きちんと育休を取らないと妻が大変な思いをする。講演会を聞いて、改めて気づかされました」
お二人とも転職経験があることから、前職とJTのDE&Iへの取り組みの違いについても聞いた。
「JTは以前に所属した会社と大きく違い、育児や介護、個人の健康課題など、プライベートの状況と、キャリアの両立を支援する制度や環境が整っていると感じています。だからこそ、制度を正しく理解し、ライフイベントに伴う休暇などをしっかりと活用してほしいと思います。自分自身が制度を正しく理解し、事前に組織と相談することによって、もっと休みを取りやすくなると思います」(長谷川さん)
JT国内事業CEOが考えるDE&Iの重要性
今回の講演会には、JTの専務執行役員で国内たばこ事業のCEOを務める荒木隆史氏も登壇した。
荒木氏は、ヨーロッパやアジア、アフリカで10年以上にわたる海外勤務を経験してきた。JTIタンザニアでは、唯一の日本人社員として組織を率いていた。
「私の姿を見ると、500m先からでも『あっ、外国人だ』とわかってしまうような土地柄でした。会社ではアジア系の社員が私一人でしたから、何をしている時でも周りから見られてしまうことに、最初は違和感を覚えました」(荒木氏)
荒木氏も、やがてその環境に慣れ「見られることが多いので、ゴミを拾うし、困った人がいたら助けるようになった」と、当時を振り返る。
一方、社長を務めていたJTタンザニアには、約束の時間に必ず遅れてくる人がいたという。
「最初は我慢していましたが、気分の良いものではありませんでした。やがて、『違う文化の中で育ったんだ』と思えるようになりました。おかげでお互いさまという気持ちで、相手を気遣えるようになりました」(荒木氏)
多様な文化の中で企業経営に携わってきた荒木氏は、同質性の高い組織が抱えるリスクも経験したという。
「同質性の高い組織は、言わずとも前提を共有しているため、意思疎通の速さを実感することが多いと思います。ただし、間違う時は全員で一斉に間違ってしまい、その間違いを否定しづらいという、非常に恐ろしい側面があることも経験しました。たばこには様々なニーズやお客様の嗜好がある中で、以前は社内での評価が偏ってしまっていたのです」
こうした経験から、DE&Iの重要性を再認識したという。
「すごく反省していまして、『我々は完璧ではない』と自認し、それを踏まえた挑戦やテストが重要だと思います」(荒木氏)
そんな過去の反省を踏まえながらも、国内たばこ事業のCEOとして、事業の将来を前向きに捉えているという。
「『人口が減り高齢化が進み、少子化が進む』といった話や、『賃金上昇とインフレのバランスが悪い』など、悲観的な話をされる方が多いという印象を持っていますが、私は、日本はこの30年ほど経済成長が停滞していた分、エネルギーが蓄積されていると捉えています。
物価を引き上げる余地がありますし、世界のほかの国と同じように給与を引き上げる余地もあります。正しいサイクルに戻すことで、大きく飛躍できると考えており、総人口こそ減りますが、しっかりと成長できる国の産業のひとつになりたいと思っています」
取材・文/中馬幹弘




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