この10年で蒸留所の数が増え、空前のブームのようになっている「ジャパニーズウイスキー」。そんななか、老舗の酒蔵を背負いながら一気に業界の寵児となった人がいる。
他業種の地元企業も巻き込み、画期的な開発をしても広く門戸を開くというスタンスをとる三郎丸蒸留所の経営者・稲垣貴彦さんだ。わずか10年で成功をつかんだ稲垣さんの手法とは。
●稲垣貴彦さん
若鶴酒造株式会社代表取締役社長(5代目)。三郎丸蒸留所マスターブレンダー兼経営者。1987年生まれ。富山県出身。大阪大学経済学部卒業後、東京の外資系IT企業に就職。2015年、実家である若鶴酒造に戻り、曾祖父が始めたウイスキー造りを引き継ぐ。2017年、クラウドファンディングにより三郎丸蒸留所を改修し再興。
負の遺産をプラスに転じるための発想
IT企業に勤めていた稲垣さんが、実家である若鶴酒造に戻ってきたのは、今から11年前。日本酒を造っていた当時の若鶴酒造は、右肩下がりの厳しい状態だったという。
「昭和の時代には、どこの家庭にも日本酒の一升瓶が常備してあったようですが、日本酒の消費は全国的に減少していきました。弊社はピーク時には1万8000石を生産していましたが、私が生まれた時には1万石に、私が戻ったころには約10分の1になっていました。
一時は100人いた社員も30人ほどに減っていた。本業はそのような状態でしたが、曾祖父が昭和27年(1952)に始めたウイスキーの製造、発売は、なんとか細々と続いていました。
当時、ウイスキーの人気が出始めたころで、負の遺産といわれていた事業でしたが、マイナスにマイナスをかければプラスになるかと(笑)。日本酒や焼酎と違い、ウイスキーは世界中どこにいっても通用するお酒です。グローバルな市場があり、伸びしろが見込めます。
それでIT企業で培ったエンジニアリングを活かして経営は自分がやればいいと思い、ウイスキーに注力していくことにしたのです。」
かつて日本酒は、農業の閑散期の冬にしか造れないものだったが、ウイスキー造りなら規模は小さくても年間を通じて造り続けることができる。
地名をブランド化し、認知を高める発信
若鶴酒造が昭和の時代から造っていたウイスキーは、「サンシャインウイスキー」という商品だった。
「いわゆる“地ウイスキー”です。昔でいう二級ウイスキーの一升瓶で、今から比べると決して品質の高いものではありませんでした。
ところが、1960年に蒸留された若鶴モルトが残っていて、それを飲んでみて衝撃を受けました。半世紀以上の時を経た原酒が次世代に受け継がれるものとして、自分がつくりたいものと明確にイメージが繋がったのです」
1960年蒸留の原酒は、地元の地名を冠して『三郎丸1960』として限定発売。1本55万円で抽選販売されたが、4倍もの応募があり完売。驚くべき反響だった。
「無名の蒸留所がいきなり55年も熟成させたウイスキーを販売したことで、熟成に価値があること、そして弊社が70年の歴史をもつ蒸留所だと知ってもらえるきっかけにもなりました」
ボトルは富山ガラス、ラベルは五箇山和紙、桐箱や紐に至るまで、『三郎丸1960』には北陸の工芸品が使われたのも斬新だった。
「ウイスキーって形がないものです。これが『山崎』など有名なウイスキーブランドの長期熟成ならともかく、無名のウイスキーですから、地元の伝統的な工芸品を使うことで富山や北陸の価値を伝えられると考えたのです」
熟成期間や価格だけでなく、こうした地元の力も結集されて強いインパクトを世間に与え、『三郎丸』というブランドの認知が一気に広まった。
地元との協業と業界への波及
蒸留所の改修に当たっても、稲垣さんは地元とのコラボレーションを試みる。蒸留所の要である蒸留器は、従来ステンレス製のものだったが、それを銅製に改造するにあたり、地元の伝統工芸である高岡銅器の技術を取り入れようと考えた。
通常、蒸留器のポットスチルは銅板を叩いて曲げ、溶接して作られるが、高岡銅器は溶かした銅を型に流し込んでつくる鋳造だった。
「高岡銅器は、高さ3m以上の大きな梵鐘まで製造できる技術がありました。普通にポットスチルを発注すると、できあがってくるまで2年はかかりますが、高岡銅器の製造技術なら一発で成型でき早期に納品されるのではと。
今思えば無茶な発想だったかもしれませんが、地元の技術をウイスキー造りに生かせるうえ、地元産業の活性化の一助になるかもしれないと考えたのです」
稲垣さんは梵鐘のトップメーカーでもある老子製作所と共にラボサイズの蒸留器の試作と検証を重ねた。結果、銅錫合金を使うと酒質の向上することが判明。従来の板金蒸留器よりも耐用年数が増え、型を利用するので量産もできて、納期も早いといいこと尽くしだった。
稼働させてみたら、エネルギー効率もよく、燃料を節約できてCO2の排出を抑えることもわかった。
「時代が移り変わるとともに様々なものをつくってきた高岡の人たちは、職人気質ではあるけれど、保守的ではない。老子製作所の方も蒸留器の形を見て作れるといってくれて。製作にあたっては大変なご苦労があったでしょうが、やりきって実現してくれました」
そうやってできあがった画期的な世界初の鋳造蒸留器は、自社で特許を独占することなく、老子製作所や富山県と権利をシェア。世界に広めていくことで、厳しい高岡銅器の新たな発展にもなればと考えたという。
「私はかつてITの企業にいましたが、業界の垣根が低く、自社だけで囲い込まずオープンソースで色々なことを連携することも多かったですから。
ウイスキーの本場、スコットランドでは全部自前でやっていくのは困難で、ひとつひとつ分業されています。
スコッチウイスキーの輸出額は約1兆円で日本の約20倍の規模。日本は約100年ビハインドなわけです。
世界に向けて存在感を高めていくためには、良い技術や方法はジャパニーズウイスキーの造り手で共有していくことも必要だと思うのです」
すそ野を広げて業界の底上げも
こうした稲垣さんの考えは全国の酒類メーカーを対象にした、樽を修理・再生する工房「Re:COOPERAGE」の設立にもつながる。
「ウイスキーの原酒を熟成するための樽は、古くなると漏れたりすることもあります。スコットランドでは樽専門の会社がいくつもありますが、日本にはほとんどなかった。それで日本では数少ない樽職人を招いて、樽の修理を専門に引き受ける工房をつくりました」
一方、ウイスキー愛好家向けに、全国に点在する他社の蒸留所を訪問してもらえるよう、出版社と「銅印帳」を企画し制作。北海道から沖縄まで28か所の蒸留所が参加している。
「御朱印の鉄道版である“鉄印帳”が鉄道ファンの間でヒットしたそうで、そのウイスキー版ですね。他の蒸留所に行ってもらうと違いがわかる。
それぞれの蒸留所が何にこだわっているのか、その地の風土なども体で感じられると思います。これだけAIの時代になっても、本当の情報は現地に足を運ばないとわからないですからね」
造り手側に門戸を開き、ユーザー側にも視野を広げるきっかけを提供する。その先に見据えているのは、ジャパニーズウイスキー業界のさらなる底上げだ。
「私がこの世界に足を踏み入れたころは、ウイスキーのメーカーは日本に10社くらいしかなかったのですが、この10年で急激に増え、いまや120社以上もあります。
クラフトウイスキーって値段が高いけどそこまで美味しくないよね、といわれることを危惧しているので、みなでレベルを高める方向へ動いていかねばならないと思うのです」
日本初のボトラーズを設立
さらに稲垣さんは、ウイスキー販売店の『モルトヤマ』店主 下野孔明(ただあき)氏とともに、ジャパニーズウイスキーのボトラーズ「T&T TOYAMA」を共同設立した。
ボトラーズとは、蒸留所から原酒を購入し熟成、ボトリングをして販売する業態のこと。従来、日本には全くなかった業態だ。
「ウイスキーは熟成に時間がかかることもあり、蒸留所にとって必要なものはキャッシュフローです。特に新しい蒸留所はやりくりが大変です。
スコットランドでは150年以上前からボトラーズが存在して役立っていました。日本でこれだけ蒸留所が増えて、小さなところは知名度もないし、手が回らなかったりしますが、ボトラーズを通じてその魅力を発信することができるわけです。
スコッチはそれぞれの蒸留所が確固たる個性を持っていますが、例えばバランタインは30か所もの原酒をブレンドしているといいます。日本でも個性ある原酒ができて、世界にジャパニーズウイスキーを打ち出すきっかけになるかもしれません」
「地域に拠って、世界に立つ。」をミッションにして、地元の将来、そしてジャパニーズウイスキー業界全体の未来のために布石を打ってきた稲垣さん。次の一手は?
「グレーンウイスキーですね。グレーンウイスキーとモルトウイスキーをブレンドしてブレンデッドウイスキーができるわけですが、日本でグレーンウイスキーを調達できない。廉価で安定した穏やかな味わいのグレーンウイスキーを造るためには、大規模な連続式蒸留器が必要になります。
ボトラーズが上手くいけば、そのあたりも解決できればいいなと(笑)」
●三郎丸蒸留所
https://www.wakatsuru.co.jp/saburomaru/
取材・文/インディ藤田




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