排水の「V字型の溝」がはらむ特徴と「矛盾」
大野らの尽力により、研究は数年かけ次の段階に進んだ。まず、ゴムの分子構造のうち「低温で硬くなる成分」を一部切り離した。これにより低温でもタイヤは硬くなりにくく、路面をグリップできるはずだ。また「水分子が近づくとほどけ、乾くとまた結びつく」特殊な結合も組み込んだ。これにより、路面がウエットだとゴムが柔らかくなり、路面に密着するタイヤができる。
通常、ゴムは冷えれば硬くなる。また、今までタイヤの開発においては、接地面からいかに水を取り除くかに腐心してきたが、大野は水を「極論すれば、味方にした」と言う。まさに常識をひっくり返す快挙だった。
この段階で合流したのが、タイヤの表面に刻まれる溝(パターン)の設計を行なう、技術本部第一技術部課長代理の中野好祐だった。そして彼の前にも、やはり前人未到の仕事が待っていた。
ページ左上、六角形のレーダーチャートを見てほしい。今回目指すのは「全天候型」だから、その形を果てしなく六角形に近づけていかなければならない。当然、難しい仕事だが、実はここにも興味深い言葉があった。
「開発現場では〝ダントツ性能〟という言葉がよく使われるんです。目標設定の際『その性能は圧倒的か?』と」
従来のオールシーズンタイヤは氷上の性能がスタッドレスに及ばず、中途半端と感じるユーザーも多い。だからこそ新製品は「夢のタイヤ」と言い切れるものにしないと、市場は「今までとまったく違うものが出た」と認識してくれない。すなわち、今こそ〝ダントツ〟が求められるのだ。
そんな中、彼が選んだのは、特徴的な「V字型」の溝だった 。
「これにより排水性が劇的に良くなり、ウエット性能を高められます。ただし、タイヤの回転方向が一方向に決まってしまうんです」

V字型の溝は、その先端で路面の水を切り裂き左右の外側へ勢いよく出すから排水性は高まる。しかし困ったこともある。一般的なタイヤは摩耗の偏りをなくすため、たまに右側のタイヤを左に、左を右にローテーションさせる。すると「タイヤは逆向きに回る」。
想像してほしい。性能が高い製品は特に、タイヤの外側が左右を入れ替えた後も外側を向くように取り付ける必要があるため、右のタイヤを左に、左のタイヤを右に入れ替えると回転の向きが逆になるのだ。だから一般的なタイヤは前後どちらにでも回転させられるように設計されているが、溝がV字の場合、逆回転させることができない。
そこで中野は微細な調整に挑んだ。カーブを曲がる際、最も力のかかるタイヤの外側の剛性を高め、均一に摩耗し、かつ踏ん張れるようにしたのだ。氷の上で滑らないための切れ込みも入れつつ摩耗にも強い、ギリギリのバランスをとる必要があった。
夏タイヤは岡山で、冬タイヤは北海道でテストする。中野はそこに常駐するプロのテストドライバーの元へ通いつめた。
「『まだカチッとしてない』『なんかモッサリしてる』といった、独特の言葉でフィードバックが返ってくるんです。これをコンマ数ミリ単位で設計図に落とし込み、同時に大野たち材料チームに『もう少し、ゴム自体で踏ん張れないか』といった依頼を行なうんです」
イノベーションの裏側には、こんな地道な作業があったのだ。
相反する性能を極限まですり合わせダントツ性能を目指しました

ダントツ性能を追い求めた六角形グラフ

氷上、雪上、ドライ、ウエット、静粛性、長持ち……相反する全ての性能で高水準のバランスを実現し大きな六角形を描き出した。

国際規定で定められた氷上性能基準に合格。上の「アイスグリップシンボル」が刻印された。
プロをも驚かせた〝二刀流〟の誕生
しかし、その報いは大きかった。できあがったタイヤ発売前に、自動車雑誌の記者に乾燥した路面と氷上で試乗してもらうと、その1人が冗談めかしてこう言った。
「タイヤ、入れ替えてない?」
夏と冬の性能がここまで両立しているのは信じられない、という賛辞だった。そしてこの時期、また粘り強い仕事をしたのが、マーケティング本部消費財マーケティング1グループの松村尚典さんら販売担当者だった。
「革命的な製品だからこそ、価値を正しく伝える必要があったんです。そこで我々は『認定店制度』を立ち上げました。全国に無数にあるタイヤを販売するお店に『なんとか2時間ください』とお願いして回り、一軒一軒、このタイヤがなぜ滑らないのか丁寧に説明いただいたのです」
お店のスタッフさんたちからは「2時間!? 長すぎる!」と言われることも多かった。しかし、そこをお願いした。最後はタイヤを売るプロたちの常識が壁になるのだ。販売店のスタッフにとって、「ゴムは冷えると硬くなる」「水は弾き飛ばすもの」であることは常識。氷上性能が上がれば、その他の路面での性能が下がるのも当然のことだっだ。
「だからこそ、販売店さんに正しくご理解頂かなければ、ユーザーさんにも伝わらないのです。また、このタイヤが実現する価値も伝えたかった。これからは、突然の雪に怯えなくていいカーライフが実現します。しかも、チェーン着脱の手間からも解放されます」
こんな地道な活動の結果が、爆発的なヒットへと繋がったのである。売り上げは年内に100万本を超える見通しだ。
降雨量が多く、冬は雪や氷に悩まされる日本の気候で真価を発揮します

売り場の熱量と、雪道での実力やいかに

筆者が販売店を訪ねると、スタッフが「これ評判いいっすよ!」と詳しく説明してくれた。26年は「売り上げは前年比2倍以上となる見通し」(同社広報)。

オールシーズンタイヤは氷上性能が不安だったが、シンクロウェザーはスタッドレスタイヤ同様、しっかり止まる。
ダンロップ『シンクロウェザー』ヒットをひもとく挑戦者たちの足跡
近い将来、バスやトラックの完全自動運転が実現したら「あ、雪だ」とチェーンを巻く運転手はいない。すなわち、この〝二刀流〟のタイヤは、クルマの未来をも切り拓く存在なのだ。
中野は企業に内在するDNAをこう語った。
「我々だけでここにたどり着けたわけではありません 。当社の百年以上の歴史の中で、氷上性能を追求しつづけたスタッドレスの開発陣や、世界中でサマータイヤの技術を高めてきた開発者たちが、こだわり、培い、磨いてきた技術を全て持ち寄れたからこそ実現できたものですよ」
最後、中野らはある人物に認められたことを嬉しそうに振り返る。
「開発時からよく、『このタイヤ、二刀流どころか何刀流やねん』と話していたんです。そしたら、本当に大谷翔平選手がこの製品の革新性を認め、CMに出てくれたんですよ」
それは、想像を追い抜き世界を驚かせた者同士の邂逅でもあったのだろう。『シンクロウェザー』は、イノベーターたちの「魂」を込めた仕事のリレーによって誕生した。
POINT 1|「水を味方に」逆転の発想を信じた
POINT 2|全員が「ダントツ性能」を追い求めた
POINT 3|体験価値に重きを置いた「認定店制度」
取材・文/夏目幸明 撮影/佐藤信次







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