正月の風物詩、箱根駅伝。母校の誇りを胸に、限界まで身体を追い込みながらタスキをつなぐ学生たちの姿に、多くの日本人が涙します。
私たちはそこに「絆」や「友情」、そして「美しいチームワーク」を見出します。しかし、この感動をそのまま組織マネジメントに持ち込んではイメージした結果は得られません。
なぜなら、駅伝という競技の本質は「助け合い」ではないからです。そこにあるのは、徹底した「個の責任」と「管理」が支配する、極めてドライな成果主義の世界です。
今回は、駅伝を例として、多くの日本企業が陥っている「チームワークの誤解」と、勝てる組織が知っている「冷徹なロジック」について解説します。
「和気あいあい」とした敗者たち
職場をイメージしてみてください。人間関係は良好で、笑顔が絶えない。誰かが困っていればすぐに周りがサポートする。一見すると理想的な職場に見えます。
しかし、もしその集団が市場から求められている「結果(利益や成果)」を出せていないのであれば、それは厳しい言い方をすれば「組織」ではありません。単なる「集団」です。
世の中には、このように「和気あいあいとしているが、勝てない集団」が山のように存在します。彼らは「仲が良いから、いつか成果が出るはずだ」と信じていますが、その日はなかなか近づいて来ません。
一方で、駅伝の強豪校を見てみましょう。彼らの強さの源泉は「仲の良さ」でしょうか? 違います。そこにあるのは、チーム内での熾烈なまでの「競争」です。
昨日の友を実力で破り、タイムという絶対的な指標で勝ち上がった者だけが、正月のスタートラインに立つことができます。そこには「あいつは頑張っているから」という甘えや温情が入り込む余地はありません。
「チームワークが良いから、勝てる」のではありません。「個々が役割を完遂し、勝ったからこそ、結果としてチームワーク(和)が生まれる」のです。この因果関係を錯覚していると、組織は臨んだ結果を得る難易度が非常に高くなってしまうでしょう。
「良い人」という名の逃避行動
では、なぜ多くの組織で、成果よりも「助け合い」が優先されてしまうのでしょうか。ここには、人間の心理に潜む大きな罠があります。
仕事において、自分の役割責任(KPIなど)を全うし、「結果」で自分の存在意義を証明することは、非常に苦しく、困難な道のりです。努力しても結果が出るとは限りませんし、プレッシャーもかかります。
一方で、困っている仲間を応援し、手伝う「良い人」を演じることは、実はとても「安易な道」です。なぜなら、手伝えば相手から「ありがとう」と感謝され、即座に「自分はこの組織にいていいんだ」という承認(存在意義)が得られるからです。
自分の数字を作ることに苦しんでいる時ほど、人は無意識にこの「良い人」ポジションに逃げ込もうとします。「あいつの仕事を手伝っていたから、自分の目標には届きませんでした」と言えば、一見もっともらしい言い訳が立ちます。
しかし、これは組織にとって大きな罠です。全員が困難な「個の完遂」から逃げ、安易な「助け合い」に流れたら、一体誰が会社の数字を作るのでしょうか?
まず前提条件として、個が役割を貫徹すること。これなくして、組織で結果を残す道はありません。
「チームワーク」は原因ではなく、結果である
ここで改めて、駅伝の構造を見てみましょう。
走っている最中のランナーは、絶対に隣の走者を物理的に助けることはできません。どれだけ仲間思いであっても、遅れている仲間の背中を押して走ることはルール上も物理上も不可能です。
彼らができる最大の貢献は、隣を励ますことではなく、「自分の区間を1秒でも速く走ること」だけです。他者の領域に介入せず、自分の責任領域を全うする。この「個の完遂」の連鎖こそが、駅伝の正体です。
• 誤: 仲が良いから(チームワークがあるから)、タスキがつながる。
• 正: 全員が自分の区間の責任を果たしたから、結果としてタスキがつながり、チームの「和」が生まれる。
タスキには、仲間の「想い」も詰まっている事でしょう。しかしそれよりも認識しなくてはならないのは、前の走者が完遂した「成果」であり、次の走者がゴールまで運ばなければならない「責任」であるという事なのです。
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マネージャーの孤独:名監督が「食堂に行かない」理由
ここまで選手(部下)側の視点で話してきましたが、監督(マネージャー)はどうあるべきでしょうか。
選手が「安易な助け合い」を禁じられるのと同様、リーダーもまた「安易な優しさ」を捨てなければなりません。ここで、駅伝の常勝軍団の名監督の有名なエピソードとして、監督は、箱根駅伝の大会が近づくと、選手寮の食堂に行かなくなるといいます。
なぜか。それは「情を排するため」です。
食堂で選手と一緒に食事をすると、彼らが必死に食事制限をし、悩み、努力している姿(プロセス)が目に入ってしまいます。すると、どうしても人間としての「情」が湧いてしまう。「こんなに頑張っているあいつを、なんとか走らせてやりたい」という感情です。
しかし、監督の役割は「選手を喜ばせること」ではありません。「チームを勝たせること」です。情に流されて、実力が劣る選手を起用すれば、勝率は下がります。それは結果として、チーム全体への裏切りになります。監督も人間です。自身の情が強く働くことによって生まれるデメリットを知っているからこそ、勝利にコミットできるよう選手と物理的に距離を置いているのです。
監督の仕事は、勝利への嗅覚を研ぎ澄まし、戦略という「ルール」を構築すること。そして、そのルール上で結果を出した選手だけを、ドライに登用することです。監督が孤独に耐え、非情な決断を下せるからこそ、選手も「結果を出すしかない」と腹を括れるのです。
結論:タスキは「想い」ではなく「責任」
監督一人では、箱根駅伝を走ることはできません。だからこそ、組織(チーム)が必要になります。
監督は、勝利のための戦略を描き、ルールを設定する。 選手は、そのルールの中で、誰の助けも借りずに自分の区間を走り切る。この、それぞれの立場の人間が、それぞれの責任を100%果たした時、初めて「タスキ」はゴールに届きます。
仕事における真の喜びや感動は、仲良くおしゃべりをすることではなく、厳しい規律と競争の先にある「成果」を分かち合う瞬間に生まれるのです。
文/識学コンサルタント 山口







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