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カードの累計出荷数は4億9800万枚以上!平成男児カルチャー「ムシキング現象」の知られざる誕生秘話

2025.12.15

2000年代初頭、アーケードゲームの前には、子どもたちの長い列ができていた。その中心にあったのが、甲虫バトルをテーマにしたキッズカードゲーム『甲虫王者ムシキング』だ。

「カードを集めて戦う」──シンプルな仕組みながら、ゲーム機とリアルカード、そしてアニメ・玩具展開を融合させたそのモデルは、のちの多くのヒットタイトルの礎となった。

登場から20年。いま改めて「ムシキング現象」を振り返ると、そこには平成カルチャーの中で再評価される〝遊びと熱意〟が見えてくる。

今回の取材では、『ムシキング』の開発者であり、〝ネブ博士〟としても知られる根布谷朋範さんに、誕生秘話から当時のマーケティング戦略、そしてその舞台裏までを語っていただいた。

開発者の根布谷朋範さん

『ムシキング』はアトラクションから始まった?誕生の舞台裏

世代を問わず、実際にプレイしたことがなくても『甲虫王者ムシキング』の名前を知っている人は多い。

2003年にSEGAから誕生した『甲虫王者ムシキング』は、登場するカブトムシの魅力とシンプルかつ奥深いゲーム性で瞬く間に男児の心をつかみ、その人気は大人たちも注目する社会現象へと発展した。

令和となった今では、平成男児カルチャーを象徴する伝説的アーケードゲームとして語り継がれているが、そもそもこの企画はどのような経緯で生まれたのだろうか。

「僕らは最初、かつてセガが運営をしていた屋内型テーマパーク『ジョイポリス』のアトラクションを制作する部署だったんです。

そこからアトラクションだけでなく新規事業を開拓していこうということで、部署名が「未来研究開発部」に変わり、メンバーそれぞれがいろいろなことに挑戦できる組織になりました。

僕自身は当時3Dデザイナーで、リアルな生き物をデジタルで表現する仕事をしていました。例えば、病院の待合室に水槽が置いてあることってありますよね。ああいう〝観賞用の熱帯魚〟をデジタルで再現して、タッチパネルで少し遊べるようなコンテンツを制作したり。

その後、「マクドナルドのタッチであそぼ!」という地域限定のタッチパネルのミニゲーム集を制作したんですが、その中の1つに「レッツむしとり」という昆虫のコンテンツがありました。

この「レッツむしとり」は、後の「ムシキング」の前身となる存在だったんです。僕は1998年にSEGAに入社して、2000年頃からそういった仕事をしていましたね」

「レッツむしとり」の反響はよく、そこに確かな手応えがあった。この反応を受けて「これは新しいビジネスになるかもしれない」という機運が社内で高まり、『ムシキング』の企画が本格的に動き出すことになる。

アーケード筐体からカードが排出される――いまでは当たり前の仕組みだが、当時としてはかなり斬新な発想だった。しかし、初期の構想ではカプセルトイを払い出す計画だったという。

「最初は〝親子で一緒に遊べるカブトムシのゲーム〟というコンセプトがあって、ターゲットも明確でした。そこで『100円入れて遊ぶなら、どんな仕掛けが一番喜ばれるだろう?』と考えた時、最初に出てきた企画はカプセルトイだったんです。

ただ、その頃は世の中でトレーディングカードブームが一気に加速していて、カードそのものが男の子の間で〝価値あるアイテム〟として浸透し始めていたんです。アーケードにはサッカーゲームの『WCCF』(WORLD CLUB Champion Football)がすでにセガから出ておりましたが、子ども向けの本格的なカード筐体はまだありませんでした。

企画が明瞭になった時点で、チーム全員で「ムシキングはイケる!」と思っていたのですが、実際にそこまで辿り着くハードルは結構高かった、という印象があります」

当時は8人編成の開発チームが中心になって企画を進めていた。

しかし「ムシキングチーム」と呼ばれていたわけではなく、他の案件なども同時に手がけており、いわばムシキングは〝裏プロジェクト〟的な扱いだったという。

表向きには別のメインプロジェクトが走っており、2つの案件を並行して進めている状態。ムシキングは裏側で静かに動かされていた企画だった。

「最初は本当に2人、僕ともう1人だけで進めていて、ひたすらカブトムシの3DCGを作り続けながら、『これをどういうものにしていこうか』と話し合う時期が、半年以上は続いていたんじゃないかなと思います。

ただ、ダラダラやっていても意味がないですし、『世の中にないものを早く出したい』という思いも強くありました。チームの中でも「早く出しましょう」「市場でのタイミングを逃さないよう、早く出しましょう」という熱意が互いに共有されていました。

その結果、2002年の夏にはロケテストを実施できるようになりました。制作からロケテストまでの期間は、かなり早いスピードで動いていたと思います」

3DCGとリアル昆虫の融合が生んだ魅力

作中には「ヘルクレスオオカブト」「ギラファノコギリクワガタ」「グラントシロカブト」など、実在する多種多様な昆虫が登場し、そのすべてが当時としては驚くほど精巧な3DCGで表現されている。画面の中で彼らがダイナミックなモーションを繰り出し、相手にぶつかっていく姿は、アーケードゲームとしては異例の臨場感に満ちていた。

数字を改めて見ても、その熱狂ぶりがよくわかる。2007年11月の時点で、『ムシキング』の累計カード出荷枚数は実に4億9800万枚を突破。

この圧倒的な人気を支えたのは、昆虫同士がリングで組み合うような、プロレスさながらの迫力ある演出を成立させた〝唯一無二の体験〟にほかならない。

これほど多くの昆虫を登場させ、性質や特徴まで細かく作り込む膨大な体系は、どのようにして形づくられていったのだろうか。

「国内最大級の昆虫ショップである『むし社』さんに取材へ伺ったりしました。標本や生きた虫を購入させてもらいながら、いろいろと詳しく話を聞かせてもらって、少しずつ〝虫の魅力とは何か〟を学んでいったんです。

僕らは外国産の昆虫を見ても、最初は『この違いって何だろう?』とわからないことも多く、基礎的なところから教えてもらいました。

リリース後は、むし社さんに本格的に監修に入っていただき、こちらが作成しようとしていた〝カブトムシの体系〟を埋めていきました。当時、世界中の昆虫を横断的に比較できる人って本当に限られていて、そういう意味でむし社さんは貴重な存在だったんです。

最初に登場させたのは18種類ほどで、いわゆる図鑑に載っているような有名どころをラインナップしました。ただ、シリーズを続けていくにはどんどん新しい種類が必要になります。そこで、専門知識がないと知らないような昆虫の特徴をたくさん教えていただき、そこからまた新しいインスピレーションが生まれていきました」

そして、「技カード」もカブトムシの生息地や性格など、それぞれの生態から着想を得て作られていった。ムシキングの技カードとは、バトル中に必殺技を発動させるためのカードであり、カードを読み込むことで、ジャンケンに勝った際に通常より強い技が出せる仕組みになっている。

シリーズが進むにつれて技の種類はさらに増え、攻撃力の違いだけでなく、特殊効果のバリエーションも増えることで、バトルの戦略性は大きく広がっていった。

「僕とチームの中の2人がプロレス大好きで、『じゃあ入れちゃおう』みたいな流れで、技の一部はプロレス技をモデルにして作っていったんです。

ネーミングもプロレスの影響を受けているものが多いですが、他にもマンガの必殺技っぽいものや、当時流行っていたダンス風の技、アイススケートや体操選手の動きをイメージした技もあります」

全国大会と〝博士〟が形づくったコミュニティの熱

ムシキングといえば、公式大会も忘れてはならない。

2003年からスタートした公式大会は、2007年までに開催回数が10万回を超え、2008年には「アーケードゲームで最も多くの公式大会が開催されたシリーズ」としてギネス認定されたほどだ。

ムシキングの大会は、子どもたちが自慢のカードを使い、公式ルールで腕を競い合う公式イベントだ。ゲームセンターで開かれる小規模なものから、SEGA主催の大規模大会まで幅広く開催され、優勝者には限定カードや特別グッズが授与される。会場には、全国から集まった子どもたちが本気で勝負に挑む熱気が満ちていた。

一見すると、アーケードゲームの企画の一環に見えるかもしれない。しかし、その舞台裏では、運営スタッフの熱意と努力が積み重なり、大会は次第に大きな広がりを見せていった。

「ムシキングでの大会はいつかやりたいと思っていたのですが、僕らの部署にとってムシキングは〝初めて作ったアーケードゲーム〟だったんです。だから最初は本当に手探りで。でも、いざ世に出してみると、全国にものすごく熱心に大会を運営してくれるスタッフの方たちがいて、僕らも現場の人たちの声をとにかくよく聞くようにしていました」

ネブ博士

そして、当時の世代ならご存じの方も多いだろうが、ムシキングに登場する〝ネブ博士〟のモデルは、まさに根布谷さん本人だ。

ネブ博士は、子どもたちに虫の知識を教えたり、「こう遊ぶともっと楽しいよ」とゲームの魅力を伝えたりする存在で、多くの子どもから親しまれたキャラクターである。

一方で、ネブ博士とは対照的な〝ブラック博士〟の存在は、作品にスパイスを加え、ムシキングの盛り上がりを支える大きな要素となった。

しかし、このムシキングを語る上で欠かせない2大キャラクターも、実は店舗の〝熱意〟が生み出した存在だったという。

「実はネブ博士も店舗側の提案だったんですよ。

大会は楽しいんだけど、負け続けた子はどうしてもモチベーションが下がっちゃう。そこで、『攻略法を教えてくれる人がいないとダメだよね』という話になったんです。

それを受けて、僕が上長に『博士キャラを作ってはどうか』と提案しました。ただ対戦ゲームなので、1人では回らない。最低2人は必要だと言ったら、上長が『じゃあ俺が1人やるよ』と。それで僕がネブ博士、もう1人がブラック博士、という形で始めたんです。

ブラック博士もノリで決まったんですが、僕も『まさか本当にやると思わなかった!』とびっくりしたのを覚えています(笑)」

20周年企画と、〝世代をつなぐ記憶〟としてのムシキング

2023年には、20周年を迎えたムシキングの企画として、マルイ店舗にてポップアップショップが開催。あわせて『甲虫王者ムシキング~森の民の伝説~ Memorial Blu-ray Box』も発売された。同BOXは、旧シリーズを再視聴したいファンにとって、当時の体験を改めて振り返るための貴重な手がかりとなっている。

「当時は、本当に周りの人たちの助けなしでは続けられなかったと思います。『もっとよくしよう』と動いてくれた人がたくさんいて、その積み重ねが今につながっている。だから僕としては感謝しかないですね。

子どもたちにとっても、ムシキングを通してきっと〝感動体験〟があったはずなんですよ。僕自身、当時の子どもたちの姿に何度も救われたし、胸を打たれました。

だからこそ、あの頃の思い出を大切にしてもらえたらうれしいです。当時の子どもたちも、今親になっている世代も含めて、それぞれにとっての貴重な体験を、これからも忘れず持ち続けてもらえたらと思っています」

支え合いながら生まれ、成長していった『甲虫王者ムシキング』。

当時、社会現象へと発展した背景には、多くの人々の確かな熱意があった。かつてカードを手に取って夢中になった子どもたちは成長し、親となり、その体験は静かに次の世代へと受け継がれつつある。

ムシキングは、こうした〝世代をつなぐ記憶〟として、これからもそばに在り続けることだろう。

取材・文/Tajimax ©SEGA

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