コメンテーターの玉川徹さんが独自の視点で現代のビジネスパーソンに熱いメッセージを贈るDIME本誌の人気連載「働き盛りの君たちへ」。

玉川徹さん
テレビ朝日系、朝の情報番組『羽鳥慎一モーニングショー』のレギュラーコメンテーターとしておなじみ。パーソナリティーを務めるレギュラー番組『ラジオのタマカワ』(TOKYO FM / 毎週木曜日11:30 ~13:00)が大好評オンエア中!
都内の近代建築では旧朝香宮家の自邸だった東京都庭園美術館のアールデコ様式が好きという玉川さん。DIME1月号では近代建築史や建築保存再生学が専門の笠原一人准教授と、近代建築から見た京都の独自性や魅力を語り合った。
今回は特別に、本誌でも紹介した2人の熱い建築談義をお届けする。

【話を伺った人】京都工芸繊維大学 笠原一人准教授
近代建築やモダニズム建築に関する歴史研究のほか、歴史的建築物の保存再生論などが専門の笠原さん。近代建築を一斉公開する京都モダン建築祭実行委員長も務める。
見どころは町家や神社仏閣だけじゃない!京都に多く残る近代建築について取材
玉川 大学在学中の6年間、京都に住んでいたものの、建物についてあまり関心を持っていませんでした。そんな京都の建築の魅力について教えてください。
笠原 明治維新以降から第2次世界大戦前までに造られた近代建築が、現在の京都を支えていて、しかも100年以上の歴史的価値があります。京都の建物と聞いてイメージされやすい神社仏閣は、あくまでも観光名所であり、社会を支える基盤ではありません。
玉川 社会基盤となっているのは、具体的にどんな近代建築でしょうか?
笠原 琵琶湖の水を京都へと運ぶ琵琶湖疏水です。1890年に第1疏水、1912年に第2疏水が完成し、発電、灌漑、農業、運搬など、あらゆる点で明治以降の京都を支え、街の発展に貢献。2025年8月には琵琶湖疏水の24施設が重要文化財に、そのうち5施設が国宝にそれぞれ指定されました。今なお現役で活用されているんです。ほかにも京都には近代建築で造られ、現在でも使われている小学校や美術館がたくさんあります。
玉川 市街地で見られる代表的な近代建築についても教えてください。
笠原 例えば、京都国立博物館(1)が挙げられます。鹿鳴館の設計で知られるジョサイア・コンドルから、辰野金吾(たつの きんご)とともに日本で初めて学んだ片山東熊(かたやま とうくま)によるフランス・ルネサンス流建築です。文明開化を象徴した建物ですが、実は〝フランス流〟ではありません。屋根はフランス流でも、壁はレンガが剥き出しのイギリス流。そのようになったのは片山東熊が仏英の両国から建築を学んだためで、日本独特の近代建築となりました。
玉川 和洋折衷でなく〝仏英の折衷〟というわけですね。和の表現がなくても、日本特有というのはうなずけます。
笠原 京都らしいといえば、京都市京セラ美術館(2)も有名です。1933年に建てられた鉄筋コンクリート造で、和風屋根にルネサンス流の壁面デザインを組み合わせた和洋折衷になっています。こうしたスタイルは〝帝冠様式〟と呼ばれ、ヨーロッパよりも上に日本が輝くようなイメージで造られたと言えます。建築当時は日本が世界に台頭し、ナショナリズムが広がった時代でしたからね。ほかにも京都には、近代特有の建築様式が取り入れられて、道路側だけが洋風になっている町家の建物もあります。

現代建築の随所にも京都らしい伝統を感じさせる
玉川 京都といえば、僕が子供の頃に放送されていた特撮番組『ウルトラセブン』で、ロボット怪獣のキングジョーによって破壊された風変わりな建物が印象に残っています。あれは何でしたっけ?
笠原 京都国際会館(3)です。1966年に日本初の国立会議施設としてオープンした名建築です。戦後復興を遂げ、高度成長期に国際会館の必要性が高まって建築されました。先進的でありながら古民家や社殿といった日本らしいデザインを想起させるものになっています。同会館と同様の現代建築では1980年代に建てられた安藤忠雄さんの「TIME’S」も象徴的な存在です。高瀬川を再認識させるように柵をなくして川を庭に見立てる試みも含め、京都の伝統を感じさせる現代建築として仕上げられました。
玉川 なるほど。建物を見ると京都の歴史的背景が見えてくるのは興味深いです。京都は戦災や震災の被害が少なく、神社仏閣から現代建築まで様々な建物が現存していることを改めて実感しますね。
笠原 おっしゃる通りです。ただし現在、約4万棟ある京都の町家は、老朽化などに伴って、1日1棟の割合で取り壊されている状況です。この流れを止めるためには、所有者たちが町家の重要性を強く認識し、保存する意欲を育む必要があります。ちなみに同じ関西圏でも、京都における近現代の建築は特に先端的だということを感じたことはありますか?
玉川 意識したことはないですね。
笠原 京都には、大学で給料を得ながら、お金儲けを考えずにヨーロッパの先端学術を建築に取り入れる〝プロフェッサー・アーキテクト〟という人たちがいます。関西建築界の父と言われた建築家・武田五一(たけだ ごいち)はその先駆けで、彼が建築学科を創設した京都帝国大学、つまり玉川さんが通われた京都大学に、当時の先端的な建築物がたくさん残っているのはそのためです。シンボリックな時計台はその象徴で、19世紀末にオーストリア・ウィーンで生まれたセセッションという革命的な建築様式を取り入れています。
玉川 今度、母校に行ったらじっくりと見てみます。ありがとうございました。
コンクリート造りや自然共生型まで時代を先取りする建物が京都には実に多い!

旧本野精吾 邸

旧藤井厚二 邸
建築家・本野精吾(もとの せいご)が設計した1924年竣工の自邸。コンクリートブロックを剥き出しにした日本最初期のモダニズム建築。1928年竣工の「聴竹居」は藤井厚二(ふじい こうじ)の自邸。伝統的な木造を環境工学的に改良した木造モダニズム住宅。国の重要文化財。
今月の取材で理解を深めた京都の建築事情
□ 貴重な水路として活用されている琵琶湖疏水をはじめ今の京都は近代建築で支えられている。
□ 大学に籍を置きながら建築の仕事に携わるプロフェッサー・アーキテクトが活躍。
□ 商業を重視する大阪に比べて同じ関西圏でも京都の建物は先端的だった。
□ 町家がなくなるのは1日に1棟程度の割合。残していくために所有者の理解が必須。
今回のまとめ
「建物から京都を探究するという今までにない視点が実に興味深かったですね。これまでになく高尚でアカデミックな印象でした。以前に取材をした廃墟について〝時間を感じられる〟点が魅力だと知りました。
同様に京都は、下鴨神社が飛鳥時代に建築された説があるなど、まさに千年の時を感じられる貴重な街です。だからこそ京都にある各時代の建物には、京都から逃れられない〝京都らしさがある〟のだと思います。それゆえに京都らしい建物の町家が次々に取り壊されている現実は、何とも惜しい話です。慣れ親しんでいても知らないことがたくさんあると、今回も実感しました。読者の皆さんが好きを探究する際はそのような視点もぜひ念頭に置いてほしいです」(玉川徹さん)
取材・文/柿川鮎子 撮影/湯浅立志(Y2)、笠原一人[建物] 編集/田尻健二郎







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