平均引退年齢が26歳と言われるJリーガー。30代まで生き残れる人材は限られている。2023年に引退した元日本代表の李忠成(解説者・実業家)も「30歳過ぎたら、契約満了だろうが何だろうが、そこまでやれれば大成功」と語っていたことがあったが、高卒から長くプロキャリアを続けるのは、本当に大変なことなのだ。
FC東京など5クラブでプレー。14年のJリーガー生活の後、スカウトの道へ
FC東京のアカデミー育ちで、2007年にトップ昇格を果たしFC東京でプロ人生をスタートさせ、FC岐阜、水戸ホーリーホック、アビスパ福岡、清水エスパルスの5クラブでプレー。32歳だった2000年に引退した吉本一謙も地道に築いた名DFだった。
10代の頃は1つ上の内田篤人(解説者)や青山隼(俳優・SHOW-WAメンバー)、同い年の権田修一(神戸)、吉田麻也(LAギャラクシー)らとともに年代別代表でも共闘。その後はさまざまな環境に赴き、相次ぐケガに苦しみながらも、14年間のサッカー人生を真摯に全うした。
「自分で言うのもなんですけど、僕はすごくまっすぐなタイプなんですよ」と本人も笑ったが、生真面目でひたむきなキャラクターは多くの人々に愛された。
そういう人柄だからこそ、引退直後には古巣・FC東京からスカウト就任のオファーが届いたのだろう。
「お世話になった方々から有難い話をいただき、クラブに恩返しをしたいと考えて快諾しました。最初の2021年はスカウト部があったので、そこに所属。高校生や大学生の試合を見に行って、監督やコーチ、本人と話をするという日々を過ごさせてもらいました」と彼はJクラブスタッフとして第2の人生を踏み出したのだ。
4年間スカウトとして全国各地の高校生・大学生発掘に奔走していた男の転機とは?
「2022年からは組織変更に伴って強化部に移り、そこでスカウトをメインに担当しました。全国各地を回って試合を見る日々は刺激的で本当に充実していました」と彼はしみじみと語る。
スカウトという仕事は隠れた才能を見極める目を養う必要があり、長期間にわたって携わるスペシャリストが多い。Jリーグ発足初期から現場を回っている50~60代の人材も何人かいる。30代の吉本も安斎颯馬(青森山田高校→早稲田大)、岡哲平(FC東京U-18→明治大)の獲得などに関わる機会に恵まれ、今後も長く仕事を続けて、名スカウトの道を歩むのだろうと見られていた。
その傍らで、本人の中では「今の自分は古巣に守られている。このままでいいのか」という疑問を感じることも何度かあったという。
ソニー生命保険・品川ライフプランナーセンター第3支社で働くFC東京アカデミー時代の先輩からコンタクトがあったのは、まさにそんな頃。2024年終盤に入ってから何度か会ううちに「ライフプランナーというのは、自分にすごく向いている仕事じゃないか」という思いが日に日に強まっていったようだ。
「僕の人生のモットーは『強く愛される人間になる』ということ。これは自分の人間形成に寄与してくれたFC東京の『強く愛されるチーム』というスローガンから来ているんですが、そこに近づくためにどうしたらいいかという基準を持って、ずっと自分の人生を考えてえていました。
最初は保険会社に対して『ムリヤリ保険に加入させられるんじゃないか?』というマイナスイメージがありました。でも、先輩の話を聞いているうちに、『長く人に寄り添いながら、夢を叶える応援や苦しい時に人を守ることができる仕事』だと感じるようになっていきました。
ライフステージにはさまざまな局面があって、万が一の事態が起きてしまった場合に自分自身や家族を守れるのが保険です。僕にも妻と2人の子供がいますが、自分にもしものことがあった時に、残された家族が経済的に困らず生活でき、子供たちも望む進路を選べるようにしたい。今までも別の保険には入っていました。
ただ、『何のため、誰のために、この保険に入るのか』という明確な知識やビジョンを持っていなかった。その大切な部分についての話を聞きながら、本当に保険が必要なのかというのを一緒に考えて、サポートする仕事は素晴らしいなと思い、真剣に転職を考え始めました」と彼は言う。
FC東京に退職を申し出てからソニー生命保険を受験。異業種に1からチャレンジ
それがちょうど1年前の2024年10~11月のこと。その時点では先輩や支社長と数回話をしただけで、実際に転職試験を受けたわけでも、合格したわけでもなかった。本気で転職しようと思うなら、まず内定をもらってから、FC東京を離れるのが通常の流れになる。
けれども、生真面目な吉本は「裏でコソコソしていたら、大好きなFC東京を裏切ることになる。自分の思いをまずクラブに話して、理解してもらってから、正々堂々と転職試験を受けるという形で筋を通したい」と判断。12月には「2025年2月以降の契約延長は待ってください」と自ら申し出て、退職を決めてから、12月末に試験を受けるというリスクのある賭けに出たのだ。
「家族からは『なぜスカウトをやめるの?』と聞かれましたし、試験に落ちたらどうするのかという不安はありました。でも僕は成長し続けるために、新たなアクションを起こすことが必要だと思った。長くお世話になったFC東京はすごく温かい場所で、僕の人生を作ってくれたところでしたけど、”コンフォートゾーン”にいるだけではさらなる成長は望めない。『もっともっと多くの人に強く愛される人間になるために飛び出すんだ』という気持ちが強かったんです」
「給料はスカウト時代より減りました(笑)」。それでもやりがいのある仕事へ
その思いが結実し、1月中に内定通知を得た吉本は、2025年2月からサッカー界を離れてソニー生命保険の社員として第3の人生をスタートさせることになった。最初の1か月半は研修。保険の種類や契約条項、約款などの詳細を学び、知識を得るために時間に費やした。「給料はスカウト時代より減りました」と笑うが、新たな世界に身を投じたことで知らなかったことも見えてきたようだ。
「必要な知識を得て、3月中旬からライフプランナーの仕事に携わるようになりましたが、まずは自分を応援してくれる人、守りたいと思う人々から話を聞かせてもらうスタンスでのぞんでいます。
『保険はもう入っているから』『保険の話は聞きたくない』と反応されたことも何度かあり、正直、辛い思いもしました。ですが、多くの人が自分の思い描くライフプランをざっくばらんに話してくれて、どういう資金が必要なのか、保険が必要だとしたら、どんなものがいいかを一緒に考えてくれています。
僕が大事にしている『強く愛される人間像』というのは、(1)誠実、(2)貢献と恩返し、(3)成長、(4)傾聴…という4つのポイントがあるんですが、つねにそれを意識して人と接しています。僕が提案するプランに対しても、最終判断は自分で下していただくのも徹底しています」と吉本は全く異なる世界に身を投じ、戸惑いながらも、全力で1人1人と向き合っているという。
ソニー生命保険の場合、入社後にも継続して社内研修や社内試験があり、加えて生命保険業界共通の試験もある。その試験に合格していくことで、ソニーフィナンシャルグループ株式会社の傘下であるソニー損害保険の損害保険・自動車保険や、ソニー銀行の住宅ローンなどの幅広い商品を取り扱うことができるようになる。実に厳しい世界なのである。
「僕は高卒でサッカー選手になったんですが、正直、考えられないほど今はメチャクチャ勉強していますね(笑)。学生時代も『どうせやるなら満点を取ってやろう』と考えるタイプでしたけど、今は本当に負けじ魂を前面に押し出しながら取り組んでいます。自分自身がしっかりと理解し、いいと思えないと、人にも話せない性格なので、努力を続けています。
37歳で新入社員というのは遅いですけど、ソニー生命保険のライププランナーは基本的に異業種から転職してくる人が多く、40代の転職者もいます。元アスリートも何人かいます。何かあれば先輩のライフプランナーが教えてくれる環境なので、気後れすることなく働けている。有難く感じています」と彼は神妙な面持ちで言う。
羽生直剛、前田遼一…、さまざまな先輩たちから学んだ真摯な姿勢を今の仕事に生かす!
そうやってハードルを1つ1つ越えて、導いてくれた先輩や支社長のような豊富な知識と経験を持つライフプランナーになりたいというのが、吉本の目下の目標だ。
「現役選手だった頃、僕はFC東京で一緒にプレーした前田遼一さん(現日本代表コーチ)や羽生直剛さん(実業家)に憧れていました。遼一さんはどんな時もブレずに自分のやるべきことをコツコツとやり続ける人。試合に出る出ないに関係なく、信念を貫く姿に感銘を受けました。羽生さんにしても練習・試合に対して100%で取り組んでいて、気を抜いている姿を見たことは一度もありません。
もっと上の先輩である藤山竜仁さん(FC東京U-15むさし監督)や浅利悟さん(同アカデミーダイレクター)も周りから信頼される強く愛される人物で、僕はそういう人たちを追いかけてサッカー人生を全うしました。
今回、導いてくれた支社長もそういうタイプの人物。僕は心から尊敬しています。現在50歳くらいだと思うので、僕には10数年時間がある。向き合う人に真摯な姿勢で寄り添って、安心感を与えられて、そういう中でイザという時に頼りになる人間になれるように、努力していきたいなと思います」
吉本は多くの先輩に感謝を忘れない。サッカー選手時代は応援される側だったが、次の人生は応援する側として貢献していく構えだ。
「スカウトの仕事に携わったことで、若い選手に思いを託し、応援する大切に気づけました。今はまだ新しい世界に飛び込んだばかりで、やるべきことは少なくないですが、1つ1つ乗り越え、いずれはお客様を応援しながら愛するFC東京に違った形で恩返しできるように努めていきます」
スカウトからライフプランナーに転身するというのは異例中の異例だが、彼のような愚直に物事に向き合う人間ならば、異業種でも必ず成功できるはず。「生命保険の担当が吉本でよかった」と言われる日を目指して、彼は突き進んでいくはずだ。(本文中敬称略)
取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。







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