好きなもの、美味しいものを食べる瞬間、人々は幸せを感じる。もし、その食べる空間が自分の好きな場所や特別な場所だったら……。
食堂やレストランなどの限られた場所ではなく、自身の好きな場所や空間がレストランになったら……、人々が感じるウェルビーイングはもっと満たされるかもしれない。
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『旅するプレミアムダイニング』がコンセプト、羽田空港で特別な食体験を
そんな至福の体験を実現させてくれるシェフがいる。店舗を持たずにグローバルに活躍し、旅するガストロノミーSOLUNAを主催する一之瀬愛衣さんだ。ミシュラン星付きレストランで研鑽を積み、世界各地でシークレットレストランを展開するなど、国内外で高い評価を得ている実力派。伝統的なフレンチの技法をベースに、和のテイストや食材を取り入れた独創的な料理が特徴だ。
『Sanpellegrino Young Chef Academy 国際料理コンクール 2024-25』のアジア地区決勝で日本人として唯一選出されたほか、『RED U-35 2023』でBRONZE EGGを受賞、『CHEF-1グランプリ 2022』ではベスト8に進出するなど、輝かしい実績を誇る。また、パリオリンピックでは日本人選手のプライベートシェフも務めた。
4月には、羽田空港第2ターミナル1階のカフェ&ショップ『和蔵場~WAKURABA~』で、ディナーイベント『一之瀬シェフの羽田空港和蔵場 スカイディナー』を開催。同所は日本各地の魅力を伝える情報発信型の店舗で、「味わいからその土地を知り、訪れたくなるように。
これから訪れる土地をもっと楽しめるように。人と地域を結びつけたい」という思いから、2020年にオープン。“ご当地素材”にフォーカスし各地の特産品や伝統工芸品などを展示・販売している他、カフェでは地域資源を活かしたスイーツや軽食、ドリンクなどを提供している。
和蔵場と一之瀬シェフとのコラボは、『旅するプレミアムダイニング』をコンセプトに、旅の起点となる羽田空港で特別な食体験を提供することを目的に開催された。全国から空輸された新鮮な“朝どれ食材”等を贅沢に使用。AIRDOやANAの空輸便を活用し、北海道産の半年熟成じゃがいも、香川県産のアスパラガス、富山県産の蛍いかなど、産地直送の極上食材を最高の状態で提供した。
また、鹿児島県薩摩川内市甑島産の『こしき塩クリスタル』や、屋久島産の『青切り塩たんかん』、南大隅町産の希少な『日本ミツバチの蜂蜜』など、和蔵場が厳選した日本各地のこだわりの食材や調味料もコースを彩った。
※画像は、当時提供されたコースメニューの一部。
今回DIME WELLBEINGでは、一之瀬シェフをインタビュー。店舗を持たない“旅するレストラン”を運営するに至った経緯、ウェルビーイングを実現する上で重要になってくる食や旅への思いを聞いた。
「体験の中にレストランが現れる」— 森の中やアートスペースが最高の美食空間と思い出に変わる
『旅するガストロノミーSOLUNA』は【シェフ=固定店舗】という従来の枠組みを超えて、地元生産者、文化的伝統、料理の創造性を結びつけて日本や世界のさまざまな場所で限定開催するスタイルの革新的なガストロノミー。
開催される土地の生産者や企業などと連携し、その土地の食材・酒・文化を融合させた一期一会の体験を提供している。
――『旅するガストロノミーSOLUNA』は珍しいタイプの食空間ですが、もともと料理人を目指していたのでしょうか。
一之瀬愛衣さん(以下、一之瀬)「私は滋賀県で生まれ育ち、自然や四季に囲まれながら、家族とともに山で採った山菜や湖で釣った魚を食卓で楽しむという日常を過ごしてきました。そうした環境の中で、『食』とは単に『食べるという行為』ではなく、『人と人をつなぎ、心に響く素晴らしい体験を生み出すもの』だと実感しました。その経験を原点に、料理の世界に飛び込んでからも、国内外のレストランで経験を積みながら、『料理を通じて人の心に残る体験を届ける』というテーマを模索し続けてきました。それは同時に“なぜ料理をするのか”“なぜこの道を歩くのか”という、自分自身への問いでもありました」
――「料理を通じて人の心に残る体験を届ける」というテーマを探し続けたのですね。
一之瀬「食という表現を通して、自然や風景、文化、そして感動を一皿に凝縮し、その一瞬の体験を人々の記憶に永遠に刻むような料理を生み出したいと考えています。世界と日本、それぞれの文化や美意識を融合させ、その調和から生まれる独自の世界観を料理で表現していきたいです。
私が目指しているのは、『レストランを訪れる体験』ではなく、『体験の中にレストランが現れること』です。旅先でふと出会う自然や風景、生き物、人、音、香り。それらすべてが、料理と溶け合うことで、記憶に残る“食の物語”が生まれます。だから私は、場所にとらわれず、世界中のあらゆるロケーションを舞台に旅をし、料理を届けてきました。その活動名を『旅するガストロノミーSOLUNA』と称しました。料理のコンセプトは『旅と自然』です」
――探求し続けた先が、『旅するガストロノミーSOLUNA』だったと。
一之瀬「レストラン名『SOLUNA』は、ラテン語で太陽を意味するSOLと、月を意味するLUNAのリズムが育む自然の恵みを、人に届けるという想いから名付けました。
私にとって料理とは、旅と自然の間で記憶を紡ぐアートであり、感情に火をつける対話の手段です。既存の枠にとらわれず、場所・国・文化を横断しながら料理を通して人と出会い、物語を生み出したい──そんな想いが、今の『旅するガストロノミー』という形を選ぶ原点になっています」
――「店舗を持たない」というスタイルを選んだ理由は。
一之瀬「『店舗を持たない』というより、正確には『食を提供する場所に縛られない』というスタイルです。これは、“その時・その場でしか生まれない物語を料理で表現したい”という想いから自然と選ぶようになりました。
固定された空間ではなく、場所や季節、人との出会いによって料理を変化させていく。その自由度こそが、私にとっての創造の源なんです。
土地が変われば、空気も水も人も文化も変わる。そうした“旅先”で出会うあらゆる要素が、私の料理にとって大切なインスピレーションになっています」
――食べることだけでなく、“その場でしか生まれない物語”を大事にされているのですね。
一之瀬「店舗を持つこと自体に否定的なわけではありません。この先、たとえば東京やパリなどどこかの街に店舗を構えることもあるかもしれません。
しかしそれも、自分にとってはそうした都会の街から生まれる一つの“創造の源”であり、世界中のフィールドのなかのひとつの空間(one of them)として位置付けになると思います」
――これまでの料理人経験から影響を受けたことはありますか?
一之瀬「自分のスタイルにおいて大きな影響を受けたのは、海外での経験です。ヨーロッパを旅していた数か月のあいだ、イタリア北部の小さなアーティストコミュニティや、フランスの古民家で行われていた“食と芸術が交わる空間”に出会いました。
整った厨房や完璧な設備がなくても、人が集い、想いが交差する場所には、最も美しい“食の瞬間”が生まれる ’’そう感じた体験でした。その時の感覚が、今の私の料理に影響を与え続けていると思います」
――これまでどういった場所で料理を提供されましたか。
一之瀬「これまで私は、レストランという枠を超えて、自然や文化が息づく場所で料理を提供してきました。森の中や海辺、寺院やアートスペースなど、その土地が持つ空気や音、光を感じながら一皿を構成しています。
料理は“空間と時間のアート”だと考えているため、その瞬間にしか生まれない体験を大切にしてきました。
最近では、フランスの高級シャンパーニュ・メゾン〈アンリ・ジロー〉において、同メゾンの400年の歴史の中で初めて外部シェフとして招かれ、フルコースのコラボレーションディナーを開催しました。
伝統と革新が響き合う舞台で、自然と文化の調和をテーマに新たな表現へと挑戦し、フランスの皆さまに日本とフランスのマリアージュをお楽しみいただくことができました」
――お客さまにとって忘れられない特別な体験ですね。
一之瀬「その場所の空気や風景、文化、そしてそこで出会う人々の想いを感じ取り、“ここでしか生まれない時間”を料理でデザインする。それが、私の仕事であり、生き方です。料理は単なる食事ではなく、五感で感じる“体験”だと思っています。
ブランドや企業と共に、その土地や文化の魅力を引き出しながら、その瞬間、その場所にしかない世界観を一皿に込めていく。『SOLUNA』では、世界と日本の美意識を融合させ、食を通して心に残る“新しい体験”をお届けしたいと考えています」
――固定の店舗がない中で、どのように出店依頼を受けるのでしょうか。
一之瀬「私が取り組んでいる“旅するガストロノミー”というスタイルは、まだ広く知られているわけではありません。しかしありがたいことに最近では、“旅するガストロノミー”という『SOLUNA』の思想に共鳴してくださる企業とのコラボレーションの依頼が少しずつ増えています。
ブランドや企業との取り組みでは、相手の哲学や価値観を深く理解し、そこに自分の世界観を重ね合わせながら、新しい体験を共にデザインしていきます。そうして創られる料理は単なる食事ではなく、ブランドの思想や美意識を体験できるメディアです。
味覚や香り、空間を通じて、企業が本来持つ価値をより深く伝えることができる。その結果として、互いの世界観が響き合いながら、社会に新しい文化や感性が広がっていく。私は、そうした“共創”を通じて、食から新しい時代の文化を切り拓いていきたいと考えています。
今回、羽田空港の和蔵場という素敵な場所でコラボさせていただくことが決まったのも、パリでの日本空港ビルデングの方との出会い、お料理を食べてもらった際に、自身の想いを伝えたところ、『日本に帰ったら羽田空港でSOLUNAを開催してみては』と言ってくださったのが始まりで、たくさんの偶然、ご縁を頂き開催させていただきました」
場所そのもののエネルギーや空気感を読み取り料理に変換する
――4月に羽田空港の和蔵場を舞台にスカイディナーを提供されましたが、調理スペースなどはどのように確保されましたか?
一之瀬「羽田空港という“移動の起点”を舞台に、期間限定でガストロノミー体験を立ち上げることは、通常のレストラン運営とはまったく異なるアプローチが求められます。和蔵場という日本の文化が集まる素敵な空間の中で、食と時間、そして旅の始まりが交わる瞬間をどうデザインできるかその挑戦にとても魅力を感じました。
私にとって大切なのは、場所そのもののエネルギーや空気感を読み取り、その場に流れる“ストーリー”を料理に変換していくことです。
料理はもちろん、空間の光や香り、音の余韻に至るまで、すべてが一体となって初めて一つの“体験”になる。チームは、ミシュラン店で経験を積んだメンバーを中心に構成し私が信頼する料理人やソムリエ、サービススタッフと共に一皿だけでなく、空間全体を一つの作品として設計しました。3日間という短い期間でしたが、その一瞬にしか生まれない“旅の記憶”を届けたいそんな想いで取り組みました」
――スカイディナーは、どのようなコンセプトで料理されたのでしょうか。
一之瀬「私の料理のコンセプトが『旅と自然』なので、世界を旅した時に出会った調味料や調理法ストーリーをベースに、スカイディナーでは“朝どれ空輸”をコンセプトに、その日に収穫された新鮮な食材を空輸で届けるという方法を取り入れました。
朝に穫された野菜や水揚げされた魚介類を、空港という物流拠点を活かして迅速に運ぶことで、食材の鮮度と旨味を最大限に引き出すことができました。空港ならではのハブ機能と効率的な空輸システムを駆使し、さまざまな土地の特産物や生産者の想いをそのまま届けることができました」
――確かに、空港だからこそ出来る事ですね。
一之瀬「生産者と直接繋がり、食材本来のフレッシュさを味わっていただきつつ、その土地の風土や文化を感じていただける食の体験を提供することを務めました。
日本中の魅力あふれる食材を取り扱う地方の生産者の皆さまと想いをひとつに、羽田空港の和蔵場という場所をお借りして、人と人をつなぎ、心に響く素晴らしい体験を届けることを目指しました」
――食材のこだわりは。
一之瀬「和蔵場にちなんだ食材(普段、展示・販売している商品)も使用しました。具体的には、こしきの塩、飛醤(とびしょう)、青きりたんかん、ハチミツ『凛』の4種類を9品のコースの中で使用しました。
一つ目のこしきの塩は、鹿児島県の甑島(こしきじま)で作られる伝統的な海塩で、自然海水から丁寧に抽出された塩です。甑島は、太平洋の豊かな海に囲まれており、その海水は非常に清浄で塩分濃度が高いのが特徴で、食材の旨味を引き立てるのに最適です。
自身の料理は旨みを大事にしています。そのため旨みを引き立ててくれるこしきのお塩はとても重宝しました。粗塩とクリスタル塩があるのですが、お野菜を茹でるときは粗塩で野菜本来の旨みを引き出し、桜鯛の春巻き仕立て、ワカメの白ワインソース仕立てには最後クリスタル塩で味を整えました。
二つ目の飛醤は、鹿児島県屋久島で生産される飛魚(トビウオ)を原料とした魚醤で、飛魚の旨味を凝縮した調味料です 。こちらはホタルイカと菜の花と熟成ミモレットのリゾットに使用したのですが魚醤特有の臭みはなく旨みだけが乗って、お客さまがみなさんおかわりを召し上がられていました。
三つ目の青切り塩たんかんは、鹿児島県屋久島の特産品であるたんかんを、完熟前の青い状態で収穫し、屋久島産の天然塩『永田の塩』とともに発酵・熟成させた無添加の柑橘系調味料です。
この商品は、屋久島の『やくしま果鈴 山のおやつ工房』で製造されており、素材の風味を最大限に活かすため、化学調味料や保存料を一切使用していない調味料です。こちらはメイン料理の讃美豚と鰹のソースの付け合わせに、うどのサラダに青切り塩たんかんを使用し、味のアクセントとして使用しました。山菜、和だし野ソースとの相性がよくお客様からも大好評でした。
最後のデザートは日本のお豆腐作りを見てインスピレーションを受けたお豆腐のブランマンジェを提供したのですが、フレッシュなイチゴとピューレの上に凛の香りを楽しんでもらいたくソースとして使用しました。どの食材の背景があり自身のストーリーと一緒にお客様に届け、お話をしながら体験を提供することが本当に楽しかったです」
――「店舗を持たない」という働き方に、不安や緊張などはありましたか?一ノ瀬さんなりの「自分らしい生き方」や「自分らしい働き方」、「よりウェルビーイングを感じる生き方」があったら教えてください。
一之瀬「“店舗を持たない”ということに特に不安はありません。むしろ、多くのシェフがまだ歩んでいない新しい道を選ぶことに、強い意味を感じています。自分にしかできない表現を追い求め、場所や形にとらわれず、その時・その場でしか生まれない体験を届け、新しい価値や文化を創っていく。それが、今の私にとって最も創造的で、心が動く生き方なんです。
自分が楽しむことこそが、結果としてお客さまにとっての“特別な体験”という価値につながると信じています。お店を持つことにこだわらず、海外で初めての食材に触れたり、山の上や海の上といった非日常の空間で料理を提供したりすることも、すべてその延長線上にあります。“自由”や“型にはまらない”という行動は、意識しているわけではありません。
ただ、自分の心が動く方向へ素直に進んでいくその結果として、それが“自分らしい働き方”になっているのだとしたら、とても幸せなことなのかもしれません」
――今後、どのような場所で、どんな料理を提供していきたいですか? 食にかける思いなども含めて、教えてください。
一之瀬「これからも、都会でも自然の中でも、そして世界のどこにいても、“心に残る瞬間”を料理で創り出していきたいと考えています。私にとって料理とは、ただ味わうものではなく、“体験”として記憶に刻まれるもの。
『SOLUNA』では、世界と日本の美意識を融合させ、既存の枠を超えた新しいガストロノミーの形を提案していきたいと思っています。自然と都市、伝統と革新、人と地球——そのあいだにある“ゆらぎ”や“移ろい”を料理として表現し、一瞬の体験を永遠の記憶へと変えていく。
ファッションやアートのように、ブランドや文化と共鳴しながら、新しい価値を創り出す“体験としての料理”を探求したい。私が目指すのは、食の枠を越え、人の心を揺さぶる“未来の体験”をデザインすることです」
取材・文/コティマム







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