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「海鮮とスイーツだけでは終わらない」1年半待ちのハイパー干物クリエイターが語る観光地・熱海の課題と未来

2025.11.08

温泉や海鮮、花火など、観光地として人気の静岡県熱海市。東京から電車で約1時間45分、新幹線では約50分と短時間で移動することができる。4月にはDMO(Destination Management Organization/観光地域づくり法人)の『熱海観光局』が発足し、静岡県で初めての宿泊税も導入。ますます観光に勢いが増す中、最近ではワーケーションやリトリート、移住や二拠点生活の地としても注目されている。

ハイパー干物クリエイターことウィステリアフーズ株式会社の代表取締役・藤間義孝さん

そんな熱海で、“ハイパー干物クリエイター”として活躍する人物がいる。『干物屋ふじま』や干物ダイニング『yoshi-魚-tei』『SUMIBI STEAK 藤間』を運営するウィステリアフーズ株式会社の代表取締役・藤間義孝さんだ。自身で干物を作りながらさまざまな企業や人物と縁をつなぎ、自身も全国ネットのテレビ番組に出演するなどひっぱりだこ。『干物屋ふじま』の干物は通販で1年半待ちになるほど人気を博している。

『干物屋ふじま』の干物

今回DIME WELLBEINGでは、藤間さんをインタビュー。熱海で商売を続ける中で感じた想いや、熱海活性化のための課題と未来を語った。

「半年で無くなる」から「こういうのを待ってた」へ 禁煙でも求められた干物ダイニング

干されているたくさんの魚

熱海で生まれ育った藤間さんは、20代の頃に神奈川県小田原市の建設業界に身を置いていた。しかし小田原から遠い現場へと駆け回る日々の中、疲れを感じるように。地元・熱海での転職を決意した。

そんな時に、友人を助ける形で干物の世界に足を踏み入れることに。同級生の紹介で水産会社に入り、初めて包丁を握る。その後、友人が営む老舗干物店の人手不足を補うため、干物づくりを手伝うことになったのが大きな転機となった。「最初は信念があったわけではなく、友達が困っているからという気持ちだった」と藤間さんは振り返る。しかし、この偶然の出会いが、彼を干物の奥深い世界へと導いていった。

友人を助ける形で干物の世界へ

約10年務めて干物づくりを学んだ頃、友人が干物店を手放すことに。「やるんだったら全部貸すよ」という言葉を受けて独立を決意し、2014年に『干物屋ふじま』をオープンした。顧客ゼロからのスタートで、当初はアジが数枚売れる程度の日々だったという。妻の支えやアルバイトを掛け持ちしながら、少しずつ事業を軌道に乗せていった。

――『干物屋ふじま』を開いた時はどのような生活だったのでしょうか。

これまでの歩みを語る藤間さん

藤間義孝さん(以下、藤間)「当時は自分の仕事なんてほとんど無かったようなものだったので、合間に漁業の仕事や居酒屋、コンビニなどで働いて繋いでいました。アジ数枚を自分で市内に配達して、その時におばちゃんたちが『干物まだある?』と声をかけてくれて、ちょっと売れる。本当におままごとみたいでした」

――その後、同年6月には干物ダイニング『yoshi-魚-tei』をオープンされました。

藤間「もっと美味しい干物を作りたいと思い、リアルな営業リサーチができるように飲食店やろうと思ったんです。その前に、前職の友人宅に集まって飲み会をして、ワイングラスで大吟醸の『黒龍の雫』を飲みながら干物を食べたんですよ。これが『やばっ!』と思って」

――マッチしたのですね。

『yoshi-魚-tei』の干物

藤間「当時の熱海の居酒屋事情は、メニューに日本酒の銘柄が無いレベルでした。冷か熱かの2種類で、銘柄なんか書いてなかった。だから僕はいろいろな酒屋さんにご挨拶しに行って、希少酒を入れるようにしました。おそらく、うちが最初に熱海で日本酒の銘柄をメニューに並べたお店だと思います。今でこそ店頭に瓶を飾ったり何だりしているお店も多いけど、そんなお店は当時一件も無かったです」

――熱海に干物とお酒を楽しめるお店が誕生したと。

干物と日本酒の両方を楽しめるお店を生み出した

藤間「しかも禁煙にしたんですよ。干物の香りと日本酒の香りを楽しんでもらいたくて。でも最初は地元の人に『潰れるよそんなの。干物なんて熱海では当たり前すぎちゃって食べないし。しかも日本酒でしょ?』みたいに言われましたよ。さらに禁煙だから、『そんなの流行るわけねぇ! 禁煙だし誰が飲む? 居酒屋でタバコを吸えないとこへ行くか?』って言われましたもん。『半年ぐらいで無くなるね』って」

――でもそのスタイルが受け入れられていったということですよね。

藤間「そうですね。『こういうのを待ってたんだよ』『すごいじゃん』と思ってくれる人たちもいて、そういう層に刺さりました」

最初は否定されたスタイルも徐々に受け入れられるように

――どうやってお客さんを増やしていったのですか?

藤間「今まで飲食店なんてやったことがなかったけど、酒屋さんと繋がっていたので、全国に配送している希少酒を扱っている新潟の酒屋さんにご挨拶に行ったんですよ。そこですごく仲良くなって、その酒屋さんは都内にもいっぱいお酒を卸していたんですね。その中に『青二才』という創作ダイニングバーがあって、運営している人たちが東京大学で講義するというのを知りました。『なんで飲食店が東大に? 何の講義?』と興味があって、Facebookから『講義に参加したい』とショートメッセージを送ったんです。

すると夕方に返事が来ました。普段はメッセージがいっぱい来るから返信しないそうなのですが、『何か、これは返さないといけないんじゃないかと思った』って。僕は名刺代わりに干物を持って行って、勉強させてもらったことに感謝を伝えたんです。そして熱海に戻って3日後ぐらいに『青二才』さんから電話があって、お店まで来てくれたんですよ」

――実際に熱海に来てくれたんですか!

藤間「そうなんです。『実はあの後、スタッフみんなでいただいた干物がすごくおいしくて』と言ってくださって。『神保町にランチが出せる2、3号店を作りたいから、もし良かったら干物を使わせてもられないか』って」

――営業したつもりはないのにオーダーが入ったんですね。

人との縁から干物が飲食店で求められるように

藤間「そうですね。それから、『青二才』さんがいろんな飲食店から愛されているので、他の飲食店の方も『青二才』さんに食べに来るんですよ。そしたら、代官山の飲食店さんも『うちでも干物を使いたい』と言ってくださって、いろいろなお店から連絡がありました。その頃はすでに“ハイパー干物クリエイター”という肩書きぶらさげて活動していたので、お店の入り口に『ハイパー干物クリエイターの干物入荷』って書いてくれるんですよ。するとテレビ番組のディレクターさんがそれを見つけて、僕に『スタジオに来てください』ってオファーが着ました。当初は『えぇ?』って感じでしたが、スタジオに行って生出演して。いろいろな制作会社の方が見てくださって、気づいたらローカル番組なども少しずつ出るようになりました」

――人とのご縁でつながって、ついにご自身が広告塔になったのですね。

藤間「干物を始めたのも友達のお店を手伝ったからだし、今考えてみると、何かいろんなことが重なって、導かれている感じですね」

――そもそも“ハイパー干物クリエイター” という名前はどうやって決めたのですか。

藤間「娘が中学生ぐらいの頃に、学校で友達から『お父さんは何のお仕事してるの?』って聞かれたみたいで。『なんて答えればいいの?』と。水産加工業とか干物屋になるわけですが、当時、俳優の沢尻エリカさんの元夫の高城剛さんが『ハイパーメディアクリエイター』を名乗ってたんですよね。そこからとって、『ハイパー干物クリエイターだよ』って答えました。余計に何の仕事か分からないんですけど(笑)。でもそこからですかね。SNSに肩書きっぽく『ハイパー干物クリエイター』って書いたら、飲食店さんから『その肩書をメニューに書いていいですか?』って聞かれるようになりました。そこからブワッと一気に広がっていきました」

“縁”を繋ぎ“三方良し”を目指す「高め合うような情報交換をして学べばいい」

――藤間さんはご縁がつながって熱海で飲食店を営んでいますが、熱海の飲食業や観光をについて思うことはありますか。

熱海の観光や飲食業のリアルを語る藤間さん

藤間「そうですね。やっぱり外から見た熱海と中から見た熱海は全然違います。今は割と、『お店を出せばお客さんが入っちゃう』みたいなところもあります。行列がすごいお店もありますし。でもそこばっかりを見ているとダメで、失敗して撤退していく人も結構多いです。『熱海でやれば何とかなる』という感覚で来て場所選びを失敗することもあります。よっぽど有名店だったら別ですけど、夜に人通りのない場所や苦戦している場所もあるので。今、本当に“海鮮とスイーツの街”みたいになっちゃっているけど。まだ他にも何かあると思うんですよ」

――今の熱海の観光に課題があるとしたら、何でしょうか。

藤間「熱海の良いところであり悪いところでもあるのは、東京や横浜からすぐに来れちゃうところ。それが『来やすいきっかけ』でもあるし、『帰りやすいきっかけ』でもあるんです。だからこそ、熱海は夜が弱い。旅館は旅館で、ホテルはホテルで、せっかくお客さんが夜まで泊まってくれるから、館内完結でお金を使って欲しい。そうすると宿泊客は外に出てくれないですもんね。旅館やホテル、そして街の連携がうまく取れてないから、夜が寂れちゃうのかなと思って」

――確かにオールインクルーシブなホテルや旅館だと、わざわざ街に出ないですよね。

藤間「そうですね。だから『夜を楽しんでいける街づくり』をやっていかないといけない。熱海はもともと色街や花街なので、そういう艶っぽい部分も少し掘り下げないといけないと思います。流行りの一過性の海鮮やスイーツも、そっぽ向かれたら何もなくなっちゃうので……。やっぱり2枚看板、3枚看板ぐらいの“3本柱”を持っていないといけないと思います」

――熱海での生活を通して、幸せやウェルビーイングを感じることはありますか。

藤間「熱海でこういう“職人”になれたのは、本当に考えられなかった人生。いろんな干物屋さんがうちを見て奮起してくれたり、魚が食べられなかったお子さんが、うちの干物を食べて魚に興味持ってくれて、『他の魚も食べれるようになりました。ありがとうございます』ってお手紙をくれたり。幸せです。でも僕だけが良いんじゃなくって、“ウィン・ウィン・ウィン”というか、“三方良し”じゃないけど、そういうのを作っていかないと次に繋がらないと、この年になって分かるようになりました。最初はそんなこと恥ずかしくて言えなかったけど、ちょっとずつ形になって広がることによって、知らなかった人との輪がまた広がる。“三方良し”を広げればすごい良くなっていくんじゃないかなと。今の熱海も、『もうちょっと何かないかな?』って溶け合うというか、高め合うような情報交換をして学べばいいなと思います。皆が幸せになるために」

“ウィン・ウィン・ウィン”の“三方良し”を広げていきたい

――現在の熱海は、観光だけでなく、ワーケーションやリトリートの地としても選ばれていますが、最後に、藤間さんが目指す熱海の姿を教えてください。

藤間「コロナ禍で学んだことがいろいろありますよね。出張や単身赴任をしなくてもリモートでできるとか、いろいろ分かってきちゃって、“夢から覚めた”みたいな部分もある。都内に3LDKのマンションを買うんだったら、熱海で買えば新幹線代も出ちゃうぐらいの差があると思う。美味しいものを食べて、海を見て、空気もいいですし、お水だって水道水のまま飲める。

そういう情報をもっと知って欲しいというか。ワーケーションに来た人が『いい仕事ができたな』って思ってくれれば、それこそ“ウィン・ウィン・ウィン”。熱海にとっては、人が来てくれて場所を使ってくれる。来た人は環境が良くていい仕事ができる。ワーケーションした人が勤めている企業も『効率が上がった』と実感できる。

そうなってくればワーケーションを超えて、『良い仕事、良い人材を作り出す』ということができるかもしれないし、そこをもっと広げられたら何か変わっていくんじゃないかなと思います」

取材・文/コティマム 撮影/横田紋子

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