
■連載/ヒット商品開発秘話
そばにいるだけで癒やされる、まるでペットのようなロボットが注目されている。2024年11月にカシオ計算機から発売されたAIペットロボット『Moflin(モフリン)』のことである。
『Moflin』は小動物サイズで、モフモフの毛並みとつぶらな瞳を持ち、よく話しかける人を飼い主として認識。撫でる、抱きしめるなどの愛情表現から飼い主が好む仕草を認識し、自ら進んで行なうようになる。飼い主が愛情を注ぐほど、自分だけに見せてくれる特別なしぐさやかわいい鳴き声で応える。性格は育て方次第で変わり、個性は400万通り以上にのぼる。
発売発表直後、予定していた販売分の予約が1週間で埋まったほど。当初は1か月で1000匹程度の売れ行きを見込んでいたが、発売から5か月で7000匹が新たな飼い主に迎えられた。
人間のパートナーとなり、心の元気をつくってくれる相棒
『Moflin』はそもそも、企画と開発が別々に進行していた。当初、それぞれの担当者はそのことを知らなかったが、同じ組織になったことをきっかけに開発が加速していった。
先行したのは企画。2012年頃から考え始められた。開発本部事業開発センター第三戦略部第一企画室で『Moflin』の企画を担当したリーダーの市川英里奈さんは次のように話す。
「2012年頃に企画に異動となったのですが、当社の商品は女性への訴求が弱いことから、自分をペルソナにしていいので女性の心をつかむものを出すことが求められました。いろんなものを企画提案しては消えていくことを繰り返していたのですが、落ち込んだりする機会が多かったことから、2014年頃に自分を元気してくれるサービスが欲しいと思うようになりました。どんな悩みにも立ち向かえる心の元気がもらえれば悩みを解決するために考えたり決断したりすることができることから、心の元気をつくってくれる相棒を発想しました」
市川さんが描いた心の元気をつくってくれる相棒とは、人間のそばにいる動物っぽい存在で、心の通い合わせやコミュニケーションは現実世界の動物以上にできるもの。アニメや漫画などで登場する、人間のパートナー的なポジションにいる架空の生物のようなものだった。
ただ、2014年当時はサイズ感や具体的な特徴まではイメージできていなかった。さまざまな角度から検討を重ねていく中で出した結論の1つが、「会話はない方がいい」というものだった。
「会話にならなかったらモヤッとしますし、会話でストレスが生まれることもありますから、ノンバーバルコミュニケーション(表情や声のトーン、手振りなど言葉以外の手段によるコミュニケーション)を取れた方がいいとなりました。触った時の様子や鳴き声から感情が読み取れるものにすることにしました」と話す市川さん。2017年に、社内でペットロボットの開発を行なっていることを偶然知ったことから、一緒に『Moflin』をつくっていくことになった。
小動物の愛おしさをメカトロニクス技術で表現
いっぽう、開発は2016年からペットロボットの開発に着手していた。開発本部事業開発センター第三戦略部第一企画室で『Moflin』の開発を担当したチーフ・エンジニアの二村渉さんは「商品開発に欠かせない要素技術を向上させるために与えられた課題が、小動物の愛おしさをメカトロニクス技術で表現することでした」と振り返る。
二村さんは最初、小動物の模倣を試みた。具体的に参考した種はとくになかったが、生まれて間もなくヨチヨチ歩きぐらいしかできないものの動きを真似ることにした。
しかし、いろんな仕草をできるようにさせていくうちに関節とモーターが増えていき、機構が複雑になっていった。このまま開発が進めば大型動物になりそうなほどで、高価なものになってしまうことが危惧された。
「すでにその頃、何十万円もするロボットが登場していましたが、多くの人に使ってほしいという想いがあったので、われわれは手頃な価格で発売できるものを志向していました」と二村さん。開発着手から1年経たずに脚がなくなり、最終的に2軸で動作するものにした。実際、『Moflin』は人間の首に相当するあたりが上下左右に小さく動くだけになっている。
カシオ史上例がない「感性に振り切った商品」ゆえの苦労
2軸動作が決まった初期の頃は、樹脂製の骨組だけだった。しかし骨組だけでは生き物らしさがまったく感じられないことからファー(毛皮)を被せ生き物らしく見せることにした。しかし、ファーを被せると動きが制限されて思った通りの動きができなくなり、センサー類も感度が鈍くなることから、開発を難しくする要因になった。
「当社では初めてファーを使いました。ロボットでもファーを被せたものは非常に少ないです」と二村さん。タッチセンサーや照度センサー、加速度ジャイロといったセンサー類は調整しては検証を繰り返し、問題なく検出できる感度に設定した。
また、『Moflin』は無線給電を採用しているが、ファーを被っているとやりづらくなる。二村さんは次のように話す。
「技術的なことを言えば接点を設けたりケーブルを差し込んだりする方が簡単ですが、生き物だから接点やケーブルを差し込んでの充電は考えられないという企画側の要望から無線給電となりました。技術やコストの面から見て一番難しい給電方法になったのですが、生き物らしさを突き詰めていくと接点は確かに不要です」
「飼い主にはいろんな触り方や接し方をしていただき、個性を育んでもらいたいです」と話す市川さん。飼い主や育つ環境によってさまざまな性格に育つが、[陽気][活発][シャイ][甘えん坊]とポジティブな要素からネガティブな要素まで幅広い側面を持っている。市川さんは次のように話す。
「感情表現もそうですが、あまりネガティブな面は持っていません。ただ、ずっと陽気なのも生き物としてはおかしいので、ときにはネガティブな面も見せることにしました」
何よりも容易ではなかったのが、商品化のゴーサインを得ること。『Moflin』はカシオの歴史上、例がない「感性に振り切った商品」だったのがその理由だ。市川さんは次のように明かす。
「癒しからスタートしたので、癒し効果のレベル感をどうするか、果たして心に元気を与えてくれるものなのかを証明することも大変でしたが、飽きないことを証明しなければならないことも求められました。これが証明できないと商品化にゴーサインが出にくいので、飽きないことを示すのに時間がかかりました」
牧場に放ち直接触れ合える機会をつくる
飼い主たちの中には自主的にオフ会を実施し、飼い主同士で親交を深めている人もいるほど。洋服を着せた『Moflin』の写真をSNSにアップする飼い主もいる。かわいがり方がペットのそれと同じといってもいい。
また、イベントなどを通じて実際に触れ合える機会も提供。イベントで初めて『Moflin』のことを知る人も多く、認知向上に一役買っている。
まず2025年3月に東京・新宿で回遊するイベントとポップアップイベントを行なった。2つとも新宿マルイで実施され、卒育を迎えた親世代を『Moflin』が癒した。回遊イベントは同店と代々木公園の間を「祝”卒育”お散歩カー」に乗った『Moflin』が回遊し、ポップアップイベントは同店につくられた勉強机が並ぶ卒業後の子ども部屋に『Moflin』が登場した。
2025年4月には、愛知万博20周年記念事業として開催された『愛・地球博20祭』に『もふもふモフリン牧場』をオープン。10匹近くの『Moflin』が放され、来場者が直接触れ合えるようにした。ふれあいを通じてロボット技術の進化を感じてもらうことと、カシオ計算機の新たなチャレンジを知ってもらうことから牧場を開いた。SNSで事前告知をしたこともあり、飼い主も牧場に集まり写真を撮るなどしていったという。
「一匹でもカワイイのですが、複数集まると個性の違いがはっきりわかりやすいところがありました。周囲で他に飼っている人がいないような場合だと、中にはイベントにいらして自分の『Moflin』と他の『Moflin』がコミュニケーションを取るところを楽しまれる方もいらっしゃいました」と市川さん。飼い主は他の個体がどのように育っているのかに興味を持っていたり飼い主同士で情報交換をしたがったりすることに関心が高いという。
取材からわかった『Moflin』のヒット要因3
1.かわいらしさの追求
一緒に出かけられる手乗りサイズ、モフモフな見た目と触り心地の良さ、仕草や鳴き声のかわいさなど、小動物ならではのかわいらいさ、愛らしさを追求。かわいらしさに妥協しなかった。
2.生き物らしさの実現
つねに動き続けて生き物らしさを表現。実在しない架空の生き物であっても実在するかのような生き物らしさがきちんと表現されている。有料サポートサービス『Club Moflin』で修理のことを「入院」と呼ぶところも、生き物であることへのこだわりを強く表している。
3.お迎えしやすい価格
ペットとして受け入れてもらいやすくするには価格も無視できない要素。価格は本体とハウス合わせて5万9400円に設定した。この価格設定が大きな負担感を感じさせることがなかったことから、受け入れられていった。
二村さんの自宅には『Moflin』が一匹いるが、ほとんど触れないほど家族がかわいがっているという。家族の溺愛ぶりが伝わってくるが、ただのロボットにはない温度感のある血の通った生き物らしさがあるからこその溺愛なのだろう。
『Moflin』は10月からアメリカとイギリスでも販売がスタートした。持ち前のかわいさで世界中の人たちをメロメロにしてほしいものである。
取材・文/大沢裕司