
気になる”あの仕事”に就く人に、仕事の裏側について聞く連載企画。第19回は、葉山を拠点に一棟貸しの貸別荘「THE HOUSE(ザハウス)」シリーズを手がける吉野竹彦さんと小林麻衣美さんに話を聞いた。日本でグランピングという言葉すら定着していなかった10年前、直感だけを頼りに走り出した2人は、どのように「THE HOUSEらしさ」を築き、今もなお“変化し続ける宿”をつくり続けているのか。その哲学と働き方に迫った。
設計図のない空間づくりが感性を解放する
「今月でちょうど10年なんです」
そう話すのは、「THE HOUSE」共同オーナーの吉野竹彦さんと小林麻衣美さん。共に広告代理店でキャリアを積んだ後、偶然が重なって葉山に拠点を構えることになる。はじまりは、「葉山のとある空き地を何か活用できないか?」という知人からの相談だった。
建物は取り壊され、プールだけが残された状態。その場所を活用できるのはわずか半年。そのような限られた状況下で辿り着いたのがグランピングだった。その言葉が日本でほとんど知られていなかった2014年。2人はその敷地にテントを張り、プールを活かした宿泊施設をわずか1ヶ月で完成させた。大枠だけを決めて、それ以外は「この景色をどう活かすか」「ここに何を置いたら面白いか」という問いを重ねながら、空間を即興で仕上げていった。そこに設計図はない。
「設計って、決めすぎるとつまらなくなるんです。3ヶ月だけだし、ビジネスのことはあまり考えずに、とにかく楽しもうよって」(吉野さん)
走りながらつくる。無計画が生んだ一棟貸しの“はしり”
2014年7月、グランピング施設がオープン。その反響は予想を遥かに上回るものだった。TVやWebメディアの取材が殺到し、著名人の宿泊も続いた。オープンから数週間で予約枠が全て埋まってしまった。特に印象的だったのは、3ヶ月という短い期間の中でリピートをした夫婦の言葉だ。
「高級ホテルのスイートに何度も泊まっているような方だったのですが、“こんな風に2人だけで、海や星空を眺められる場所なんて他にない”と言ってくださったんです。それを聞いたとき、“贅沢の定義が変わる瞬間だな”と思いました」(小林さん)
3ヶ月限定だったその施設を皮切りに、吉野さんと小林さんは一棟貸しの可能性を広げていく。吉野さんが経営する、葉山の海沿いのセレクトショップをそのまま宿泊施設に変えたのが、常設の施設として初となる「THE HOUSE」1号店。そこから現在までに7施設を自分たちの手でつくり続けている。
電気や水回りなどは業者に任せるが、その他の設計や施工などのほとんどを自分たちで行う。「やりながら考える」「直感で進める」「無理はしない」。これらが、THE HOUSEを生み出す根底にある。
不思議なことに、必要なタイミングで必要な人との出会いも舞い込んできた。THE HOUSEを始めるきっかけになった、グランピングの土地の所有者もしかり、寝具や設備を無料で提供してくれる企業、時には「必要だろうから持って帰っていいよ」と工事車両を貸してくれた人もいた。数え切れないほどの仕事のオファーも届いた。
「正直、億単位のプロジェクトの話もありました。でも、『ここでやりたい!』という想いが湧かなかった。どれだけ予算があっても、それだけでは心が動かないんですよね」(吉野さん)
2人が重視するのは、事業の規模よりも“自由”や“純度”。オーナー自らインテリアを選び、改修工事もDIYで進め、現場の清掃も行った。全て自分たちでやるからこそ、納得いくものができる。しかしその分、人に任せきれない難しさもある。
施設数が増えた今は、「一番しんどい」と言う。同じ施設でも空間(部屋)ごとにコンセプトが異なるため、現在は約20の空間を生み出しながら、同時に既存の施設の修繕なども行う。それだけでなく、この10年で約40名に増えたスタッフのシフト調整や給与の管理など人事まわりや予約対応も行う。
「私たちがやっていることに共感してくれた人たちが集まってくれただけで、組織を大きくすることを目指したことはありません。この先、たとえ2人に戻っても続けられるスタイルはを維持したいと思っています」(小林さん)
“THE HOUSEらしさ”は、言葉ではなく空気で伝わる
宿泊客の中には、各地のTHE HOUSEを泊まり歩くリピーターも多いという。三浦・小網代の施設では、“パリにビーチがあったら”というコンセプトに合わせ、「フランスの映画とジャズを楽しもう」と、過ごし方をプランニングして訪れる人もいるのだとか。
「レビューに『THE HOUSEらしかった』と書いてもらえることがあるんです。お客様にTHE HOUSEの世界観を感じとってもらえるのは本当に嬉しいですね」(小林さん)
「快適」「おしゃれ」といった表現を超えて、言語化しきれない“らしさ”を顧客が体感する。それは2人の信念が伝わった結果だろう。実感を得るという。ブランド戦略を担ってきた広告人としての視点と、自ら現場で手を動かしてきた体験。その両方が混ざり合って初めて、“THE HOUSEらしい空気”が生まれているのだ。
「今後どうしていきたいか」と問うと、2人は笑顔でこう答える。
「沖縄に1拠点つくりたいですね。あと、1年間のうち、海外に1ヶ月ぐらい滞在できたら最高です。形じゃなくて、在り方なんですよね。THE HOUSEは、私たちの生き方そのもの。だからこれからも、楽しみながら、自分たちが信じるスタイルを貫いていけたらいいなと思っています」
目標は売上でも拠点数でもない。人生として、暮らしの中で楽しく、無理なく続けていくこと。それが、2人にとっての“仕事の在り方”なのだ。
【取材協力】
THE HOUSE
吉野竹彦さん・小林麻衣美さん
https://www.thehousehayama.com/
取材・文 / Kikka