
移住や二拠点生活、多拠点生活が一定の市民権を得るようになり、生活する場所や働く場所を変える人も増えている。住む場所や活動拠点を変えることで、自分自身の価値を再認識し、ウェルビーイングな生き方を実現できるようになることもある。静岡県熱海市でマチモリ不動産を運営する三好明さんもその1人だ。
マチモリ不動産は、熱海の街と物件を通して、自由な住まい方の選択肢を提供する不動産会社。熱海の“まちなか”を再生し、まちづくりを行う株式会社machimoriの不動産事業をスピンアウトする形で2019年に創業した。創業者で代表の三好さんは、もともと東京の大手不動産グループ会社でビルやマンション管理の仕事を行っていた。2012年頃から熱海のまちづくりに関わるようになり、5年後の2017年には会社を辞めて熱海に移住した。今回は、熱海での生活や活動を通してウェルビーイングな生活を実感しているという三好さんに話を聞いた。
空き家率全国2位の街に「ゾクゾク」 絶望的な状況を面白がるところから始まった熱海のまちづくり
――熱海に関わることになったきっかけを教えてください。
三好明さん(以下、三好)「25年前の学生時代に、実践型インターンシップや起業支援プログラムを手がけるNPO法人『ETIC.(エティック)』を通して、地方企業の経営コンサルティングをするベンチャー企業でインターンをしていました。インターンシップは当時まだ一般的ではありませんでしたが、時代の変化に敏感な学生たちがインターンをしていたと思います」
――学生時代のインターンがきっかけで熱海とご縁があったのですか。
三好「僕の人生を変えるきっかけを与えてくれたのは確実にETIC.でした。大学卒業後に大手マンション管理会社で働いて、当時は会社を辞めるなんて一ミリたりとも思っていませんでした。でも30歳ぐらいになった時に人生をちょっと迷い始め、『人生このままでいいのか?』と考え、久々にETIC.に行ったんですよね。そうしたら、『熱海でmachimoriが“リノベーションまちづくり”というのをやろうとしていて、不動産の専門家が必要らしいから行ってみれば』と繋げてくれたんです」
――そこがきっかけで、2012年から熱海に関わるようになったと。
三好「当時はまだ仕事は辞めていなくて、副業も禁止だったので、お金をいただいてはいけない。だから観光に来たノリでちょっと手伝うことがあったら何か面白そうだな、という感じで、ボランティアで関わるようになりました」
――2012年に久々に熱海を訪れた時は、どのような印象を持ちましたか。
三好「熱海と関わる前は、社員旅行などで行く観光地だなという程度にしか思っていませんでした。でも関わるようになってからは、『課題先進地域』であることが分かりました」
――『課題先進地域』ですか?
三好「そうです。日本でやってくる将来的な課題が凝縮されている街ということです。具体的に言うと、熱海は高齢化率が約50%。これは50年後の日本の平均値と言われています。空き家率も2018年時点で52.7%で、日本全国の市町村で言えば全国2位の空き家率です。そういった意味では、将来やってくるありとあらゆる課題が早目に来ている街ということ。実は『そこが面白い』と思いました」
――課題があるからこそ興味を持ったのでしょうか。
三好「僕はマンション管理会社で働いていたので、建物が古くなっていくと将来的に建て替えるのか、延命化させるのか、その敷地そのものを売ってしまうのかという、選択を迫られる時期が来ることを知っていました。そこをいち早く経験しそうだったのが熱海で、築年数が60年か70年と古くからあって、鉄筋コンクリートなのに長屋のようにくっついている建物が多い。まさにマンションと同じ課題を抱えていて、『これをどうすればいいのか』という課題がありました。
僕は2012年から熱海に関わるようになりましたが、当時は本当に、銀座商店街を誰1人歩いていない状況でした。今ではすごく流行っていますが、当時はそういう状況なので投資も入らないし、借りたい人を募集しても借りるテナントが全くいない。『この街、どうなるんだろうな……』と思っていました。
建物の再生と言ってもお金を出す人がいない。商売したい人もいない。住みたい人もいない。『これは絶望的だ…』と思って、言葉を選ばず言えば『ゾクゾクしちゃった』というか。マンション管理の立場としては、その“将来やってくる課題”にいち早く対応できるというのがすごく魅力に感じて、面白そうだなと。だから熱海に来ました。『ただの観光地』という印象から、『課題先進地域だからこそチャレンジするのに非常に適している場所だ』という捉え方に変わったんですね」
――まずボランティアとして、どのように熱海に関わっていったのでしょうか。
三好「当時machimoriがリノベーションまちづくりを通して銀座商店街の再生を始めたんです。『熱海のスイーツ食べ歩き』など街歩きのような観光コンテンツを案内したり、街の面白い人や面白い場所を紹介していくのが主な活動でした。『将来的に空き家や空き店舗を使って何かやっていきたいね』と思い始めたレベル。最初はmachimoriの定例ミーティングにたまたま参加して議事録を書き取る程度の関わり方でした。当時は自分がまさか今のようにリノベーションに関われるとは思っていなくて、でも『やっていることが面白そうだから、ちょっと関わってみよう』という感じでした」
熱海は「居場所」と「可能性」をくれた場所 “関係人口”から始まった新しい生き方のカタチ
――課題先進地域に関わるようになって、会社員を辞めてまで取り組もうと決意したきっかけはありますか。
三好「一番のきっかけは、当時、JR網代駅近くの小山臨海公園の指定管理を手伝ったことです。指定管理者には市役所から年に1回の監査が入るタイミングがあるのですが、たまたまその時に、熱海へ遊びに行っていました。僕は仕事で建物管理をやっていたので、消防用設備点検の報告書のどこに何が書かれているか、法的にクリアしなければいけないポイントなども分かります。スタッフの方々がアタフタしている時に、『これは消防用設備点検といって年に2回やるものです。この不具合はこう直した方がいいですよね』みたいなことも、資料をみればすぐ分かる。その場に初めて来た僕が、管理について急に答えて仕切り始める感じになって、現場の人たちから『困っているところを助けてくれてありがとう』と言ってもらえました。普段からやっていることなのでと答えたら、『じゃあちょっと手伝ってくれない?』という流れになりました。それと同時に必要以上に回数の多い点検や相場より高いメンテナンス費用があることも判明し、他にも課題がいろいろあり、解決できそうなことも見つかりました。」
――普段から当たり前にやっていることが役に立ったのですね。
三好「そうですね。その後に熱海で『公園の新しい使い方』の実験もさせてもらったんです。例えば、キャンプをやっていいのか、泊まっていいのか、ドッグランを作るのかなど、その公園を新しい使い方をしつつ、税金に頼った制度設計ではなく一定の収益をあげることで税金の投入を下げていくにはどうすればいいかを取り組みました。公園のテニスコートを修繕する時も、これまではツギハギで都度直していたのですが、そうではなくて長期修繕計画を立てて、『この年はA面、この年はB面』という風に順番に面でキレイにしていくことが重要なんです。ツギハギでやると結果的にコストが高くなってしまう。だから『普段の修繕費ではなく、市できちんと予算を取って計画的に修繕していくと、トータルコストで安くなりますよ。その為には長期修繕計画が必要で、その計画を作るにはもっと前に建物診断が必要で、こういう予算でこういう順番で長期計画をやればいいですよ』とアドバイスしていたんです。
そうしたら『君は何者だ?』みたいな話になって(笑)。当時はただのボランティアでしたが、熱海市役所の担当部署から『いろいろ教えてほしい』と言われ、熱海の副市長からも声をかけていただくようになりました。アドバイスや意見をしたら、それが政策にも活かされることになりました」
――中枢に関われるようになったと。
三好「この頃から、『あれ?自分は結構役に立つのか?』と思うようになって。当時、本業のマンション管理の仕事は物すごくストレスを抱えることもありました。
例えばマンションの上の階から漏水したとすると、僕が上の階と下の階の人のところに行く。下の階の漏水被害の人からはめちゃくちゃ怒られるわけです。さらに『上の階の音がうるさいんだけど』みたいな。当時の私からすると建物管理の仕事というのはクレーム処理かのような捉え方でした。トラブルシューティングが主な仕事で、精神的にも辛かった。その後に公共施設の管理にボランティアで携わることで、『建物管理は社会に役に立つ仕事だ』と分かる時が来るのですが」
――それが人生を考えるキッカケになったのですね。
三好「『建物をどう修繕すればいいのか』『どう維持管理していけばいいのか』というのは、僕は普段仕事でやっているから、手に取るように分かります。でも熱海では、不動産の仲介専門やディベロッパーなどの開発する専門はいるけど、“管理する専門”がいないと聞いて驚きました。確かに、古く小さい建物はプロが入っても儲からないのだと思って、だからみんな、抜けていくんだと。でも熱海に必要なのは古い建物が多いからこそ不動産の仲介でもディベロプメントでもなく、管理だと分かったんです。その管理ノウハウを持った人がいなかったから重宝されました。
僕にとってストレスでしかなかったマンションや建物管理の仕事が、『可能性に変わった』という体験をさせてくれたのが熱海なんです。僕はただの普通のサラリーマンで、同期の中でも出世が一番遅かったんですね。なのに、いち会社員が地方で建物管理に困っている場所に行ったら、『何か社会的に役に立つんだ』ということを教えてくれて。熱海に『恩返ししたいな』と思ったのが、会社を辞めて本格的に関わることになる始まりでした」
――熱海に来たことで、今までやってきたことが認められたのですね。東京にいた時と精神面では変わりましたか?
三好「変わりました。熱海は僕に居場所を与えてくれた。持続可能な社会や地域を作るための取り組みに携わることによって、自分自身も救われました。関わることに喜びを持って、普段の生活にも活かすことができている。すごくウェルビーイングな生き方だなと思います。
2012年に熱海に関わるようになって、居場所を見つけて。そうしたら、今までクレームがストレスで辛いと思っていた会社の仕事も、『何ていい仕事なんだ!』と逆に思えたんです。『こんな役に立つことを学べるなんて』と、やっている仕事が可能性に変わったわけですよ。その後は面白いように本業で営業の仕事が取れるようになって、営業成績が1位か2位になり年収も上がりました。
5年間は本業を続けながらボランティアで熱海に関わっていましたが、両方の仕事が忙しくなりすぎて体が持たなくなったので、最終的に会社を辞めて熱海を選びました。本業の会社からは『週3でもいいから正社員でいてほしい』とまで提示いただいたこともありましたが、最低でも週5で熱海にいたかった」
――自分の価値を活かして自分らしく過ごせる拠点があるのは素敵ですね。
三好「僕も最初から熱海に来たかったというわけではありません。たまたま僕の興味関心があることが熱海にあっただけで、他でもっと違う出会いがあったら熱海にいないと思います。ただ熱海の人特有のいいところというか、地元の人が困っていることを理解していたり、外の人たちを受け入れたりする土壌が一定程度ある。『仕事は1つじゃなくていい』『家は1つじゃなくていい』など、ライフスタイルやワークスタイルが非常に柔軟な人が多くて、生きる可能性を与えてくれました」
記事後編では、三好さんが行っているマチモリ不動産での業務内容や、“関係人口”として熱海に携わっていった三好さんの様子をお伝えする。
取材・文/コティマム 撮影/横田紋子