
日本代表で活躍する伊東純也(ゲンク)、三笘薫(ブライトン)など昨今は大卒Jリーガーが増えているが、彼らがプロサッカー選手を10年近く続けた場合、年齢は30歳の大台に到達する。その時点で引退し、異業種に方向転換しようとすると、新たなキャリアのスタートがかなり遅れてしまうのだ。
吉田麻也とはユースの同期、2021年の現役引退後は“ガチ就活”も
現役選手はパソコンなどITスキルが求められないから、ワードやエクセル、パワーポイントも扱えないというケースも枚挙にいとまがない。人生の再出発のハードルは想像以上に高いと言っていい。
それを実体験した1人が、ガッツ溢れるDFとして11年間プレーした元Jリーガー・酒井隆介さんだ。
1988年に滋賀県守山市で生まれた彼は、高校入学のタイミングで名古屋グランパスユースに加入。同期には2022年カタールワールドカップ(W杯)日本代表キャプテンの吉田麻也(LAギャラクシー)がいた。その吉田はユースからトップに昇格したが、酒井さんは駒澤大学に進学。4年間大学サッカーで力をつけ、2011年に当時J2の京都サンガ入り。盟友より4年遅れでプロ生活の一歩を踏み出した。
その後、2015年にJ1初参戦した松本山雅へ。反町康治監督(現清水GM)から信頼を寄せられ、主軸DFとして活躍した。翌2016年夏に古巣・名古屋からオファーが届き、移籍に踏み切ったが、まさかのJ2降格を余儀なくされ、2017年は再び2部リーグでプレー。クラブは何とか1年でJ1復帰を果たしたが、酒井さんの出場機会は思うように増えなかった。
そこで2018年には当時J2の町田ゼルビアへ4度目の移籍に踏み切る。結局、同クラブで4シーズンを戦い、2021年末に契約満了。現役生活にピリオドを打つ決断を下したという。
「引退を決めた時、自分の身の振り方をザックリとしか考えていませんでした。今まで支えてもらう側だったので、今後は自分が支える側に回りたいという思いはありましたけど、どうしたらいいか分からなかった。まずは契約していた個人トレーナーに相談し、彼のところでトレーニングとメンタルケアに携わることになりました」と本人は言う。
だが、徐々に考え方の齟齬が生じ、半年後の2022年夏にいったん仕事を離れた。そこから次の職を見つけるまでの間が最も苦しんだ時期だったという。
「大学生の就活みたいに『就職とは何か』から根本的に考え直そうと思ったんです。まず転職エージェントに登録し、オンラインで職務経歴書の書き方を学んだり、模擬面接を受けるところからやり直しました。家電メーカー、介護関係など複数企業の合同面接も受けましたが、『自分はどんな仕事だったらできるのか』を悩んでしまい、なかなか道が定まらない。1年近くそんな状態だったので、建設作業の手伝い、配送、飲食店などのバイトもやりました。サッカー選手時代とは比べ物にならないほど大変だったけど、これまでやったことのない仕事ばかりですごく勉強になった。2人の子供を抱えている妻は心配していたと思いますね」と本人は苦笑する。
M&Aの会社を約1年で退社。貯金も目減りし、焦った中で出会った今の仕事
模索の日々を経て、2023年春に就職したのが、M&Aスターキャリア株式会社だった。同社は企業合併を扱うのがメイン事業で、同時に少人数制のサッカースクールも開催していた。「サッカーという強みを生かしながら仕事ができる」と酒井さんは前向きなマインドで入社したが、配属されたのは、同社の本業であるM&Aの部署。企業合併の仕組みやマーケット状況を把握するのはやはり容易ではなく、そこでも苦労したようだ。
「最初は上司について商談に行っていたんですが、ある時、単独で行くことになったんです。アポを取った時は先方も積極的だったのに、実際に会ってみると『ウチはやらないから』といきなり塩対応(苦笑)。どうしたら前向きな方向に持っていけるか苦慮して、どうにかこうにか業界情報を話したりもしましたけど、全く進展せずに終わった。自分の無力を痛感し、大きな挫折感を味わいました」
それでも好きなこと、やりたいことなら、食らいついてでもアタックしていくのが酒井さんという人間。けれども、「スポーツ選手を支えていく」という最初の目標からかけ離れた現状に違和感を覚えるようになっていったという。M&Aというのは巨額のマネーが動くし、会社同士にはメリットがあるものの、スポーツの世界やモノ作りのような目に見える効果を感じにくい。そこにも腑に落ちないところがあった。こうして酒井さんは約1年後の2024年夏に退社。引退から2年半が経っても自らの進む道を定められない状態に陥ってしまったのだ。
「妻も働いてはくれていましたけど、Jリーガー時代の貯金は減る一方。子供たちも育ちざかりですし、本当に早く定職に就かないといけない。正直、焦りが募りました。
再び知人・友人と会って、新たな道を模索し始めたんですが、そこで目に留まったのが、今働いているTENTIAL(テンシャル)だったんです」
酒井さんの心を動かした同社は、2018年2月創業。「365日24時間コンディショニング」を軸に、「SLEEP」「WORK」「FOOT」の3領域で機能性製品を展開している新進気鋭の企業。2025年2月28日には東京証券取引所グロースに新規上場も果たしている。
「元選手である自分が関われる分野だと思いましたし、実際に働いている人からも『急成長しているし、すごくいい』と言われ、非常に興味が湧きました。
実際に自分でも疲労回復パジャマの『BAKUNE』を買って試してみたところ、着心地や肌ざわりがよくて、本当に驚きました。そこでサッカー選手つながりで元日本代表の播戸竜二さん(WEリーグ理事)を紹介してもらい、中西裕太郎代表取締役CEOにつないでもらったところ、運よく入社試験を受けられることになった。2024年夏から秋にかけて4回の面接を経て、11月からの入社が決まりました。
社長面接の時に言ったのは、「中西さんは常日頃から『世界へ行くんだ』と話していますけど、自分ももう1回、そういう夢を持ちたい」ということですね。僕は同期の麻也みたいに海外でのプレーが叶わなかったので、第2の人生で広い世界にチャレンジしたかった。その思いをストレートに伝えました」
スリーププランナーの民間資格も取得。若い世代に睡眠の重要性を伝える日々
長い回り道を経て、自らの道を見出した酒井さん。最初に配属されたのは、プログラム開発グループという同社のコンディショニング研究を担う根幹の部署だった。といっても、彼自身が研究するのではなく、大学生の部活動のサポートをしながら、コンディションの改善を促す役割である。この業務に携わるに当たって、2023年8月にスタートしたスリーププランナーという民間資格もいち早く取得。専門知識を得るように努めたのである。
「中央大学のバレーボール部を担当させてもらったんですが、選手たちは睡眠のことをあまり考えていない様子で、寝る時間もまちまち。その結果、日によってパフォーマンスにバラつきが生じるという悪循環が起きていました。それを改善するために、まずは自分のことを客観視してもらい、就寝と起床時間をしっかりと把握し、一定のリズムに近づけるようにアドバイスしました。
僕自身も以前はそこまで睡眠に対する高い意識を持ち合わせてはいませんでした。試合前の不眠に陥り、1~2時間しか寝られないまま試合に出たこともあります。特に古巣の名古屋に戻った時がそうだった。J2降格危機の重圧を感じて、本当に大変でした。当時もそうですが、もっとしっかり自己管理をして、パフォーマンスを発揮できるようにしていれば、日本代表のような高い領域を目指せたかもしれない。後悔があるからこそ、若い人たちに睡眠の重要性を伝えたい。そういう思いが日に日に強まりました」
こう語気を強める酒井さん。今年7月にはアスリートリレーション部という新たな部署に移り、そういった活動をより積極的に手掛けられるようになった。7月末にはリバプールU-15とフレンドリーマッチにのぞんだJリーグU-15選抜の選手たちに対して、睡眠コンディショニングセミナーを開催。講師として有望選手たちに1時間程度、睡眠に関する話をする機会にも恵まれたのだ。
「テンシャルがJリーグ未来育成パートナーを努めている関係でセミナーを実施することになったんです。僕としては、眠りの大切さを伝えたいと考え、自分なりに準備して、ブレストも2~3回行って本番にのぞみました。
睡眠は量・リズム・質が重要と言われますけど、中学生年代はまず量が一番大事。成長ホルモンを促すので、1日8~10時間はしっかり眠ってほしいと伝えました。ただ、今の子供たちはサッカーの練習が夜にあったり、塾通いがあったりして、なかなか早い時間に寝られない傾向が強い。その場合は学校の休み時間に10分程度、机に突っ伏して仮眠を取るだけでも違うという話をしました。
サラリーマン年代の30~40代の場合は子供たちとは状況が違いますけど、やはり自分に合った睡眠のパターンを見つけてもらうのが一番ですね。1週間でもいいので寝たいだけ寝てみると、適正な睡眠時間が自然と分かるようになります。平日と休日の睡眠時間の差分が2時間以上ある場合は睡眠負債が蓄積している可能性が高い。そういう知識を持つことが健康な生活につながると思います」
間もなく37歳。「“オールドルーキー”として頑張ります」と本人も意欲
こうしてアスリートなど多くの人を支える側に回る目標に辿り着いた酒井さん。地に足を付けて前進できる環境が整ったのは非常に大きいことである。
「セミナーもいくつか任せてもらっていて、多くの人の前で理路整然と話したり、ポイントを伝える力が足りないなと感じることも少なくありません。それでも、今はビジネスマンとして日々、成長しているという充実感を持てています。9月に37歳になりますけど、ここからが本当のセカンドキャリアのスタート。『オールドルーキー』として頑張っていきます」
意気揚々と未来を見据える酒井さん。多少の時間はかかっても、自分が納得できる仕事に出会い、そこに向かっていける第2の人生は幸せだ。彼には”睡眠のスペシャリスト”として大きな飛躍を遂げてほしいものである。(本文中一部敬称略)
取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。