
2007年鹿島のミラクル優勝の生き証人。2021年から第2の人生へ
現役引退後のサッカー選手のセカンドキャリアと言うと、指導者や解説者などサッカー界に残るケースが多いように感じられる。だが、近年は起業も増えており、さまざまなジャンルで活躍する人材もいるのだ。
その1人が、鹿島アントラーズ、セレッソ大阪などJリーグ7クラブ、その下のJFL、地域リーグを含めると9クラブでプレーした石神直哉さんだ。
2007年の鹿島でのミラクルJ1制覇からプロキャリアをスタートさせた彼は、2009年に当時J2のセレッソ大阪へレンタル移籍。まだ20歳そこそこだった香川真司(C大阪)、乾貴士(清水)らと出会い、急成長していく若き才能に大きな刺激を受けたという。次に赴いた当時J2の湘南ベルマーレでも若かりし日の遠藤航(リバプール)と共闘するなど、素晴らしい仲間に囲まれながら、14年間の選手キャリアを過ごした。
2020年に在籍した枚方時代にデュアルキャリアを経験。そして異業種へ
2020年末の現役引退後は、リハビリ特化型デイサービスのフランチャイズ事業を営む株式会社HLCから業務委託を受け、施設とサービスの拡充に努めている。
子供向けの放課後等デイサービスの施設運営を手掛けるサッカー選手は何人かいるが、高齢者の健康増進に目を向け、積極的にチャレンジしている元選手は皆無に近い。そういう意味で、石神さんは特筆すべき存在なのだ。
「引退前の2020年の1年間、僕は関西リーグ1部(現JFL)のFCティアモ枚方でプレーしていました。このクラブの創設者は、僕が2007年に鹿島入りして2年間一緒にプレーさせてもらった先輩の新井場徹さん。監督の小川佳純(元名古屋グランパス、現明治大学コーチ)、GMの巻佑樹が(元名古屋)が同い年で気心が知れていたこともあって、すごくやりがいを感じました。
この年は選手をやりながら、『REIBOLA』というサッカーサイトの編集長にも就任。デュアルキャリアを経験しました。これは『選手側から発信できるサイト』というコンセプトで新井場さんと一緒に立ち上げたもの。その頃の僕はパソコンもまともに扱えない状態だったんで、1から覚えて、コンテンツ作りや動画編集に携わりました。
コロナ禍真っ只中だった5年前は試合が止まってしまい、スカウト活動がままならなかった時期。そこで『選手とクラブ・学校とのつなぎ役になれればいい』という思いから、学生側が自己アピールの文章や動画を投稿できるコンテンツのREIBOLA EYEも作りましたね。
引退を決断した後、その仕事を続ける選択肢もあったんですが、サッカーキャリアをいったん白紙に戻して考えたいという気持ちになりました。お世話になっていた公認会計士さんにも相談したところ、『超高齢化社会が進んでいる日本の未来を考えた時、高齢者に携わる仕事というのは伸びるジャンルだし、社会に必要ではないか』と言われ、心が動きました」と彼は今の世界と出合った経緯を打ち明ける。
自らリハビリ特化型デイサービスの研修を受け、新ブランド立ち上げに尽力
高齢者と向き合う仕事というのは「介護」「介助」のイメージが強い。「デイサービス」と「老人ホーム」の違いもハッキリと分からない人も少なくないだろう。石神さんもその1人だった。が、実際に施設に見学に行くと、リハビリ専用マシンを使ってリハビリに勤しむ元気なお年寄りの姿が目に飛び込んできて、大きな衝撃を受けたという。
「今、関わっているHLCの母体とも言えるSPRISE株式会社を会計士さんから紹介され、直営しているリハビリ特化型デイサービスを見に行ったところ、元気に頑張っている高齢者が本当に沢山いました。『こういうところなら自分のサッカー経験が役立つかもしれない。やってみたいな』と率直に思いました。
そこで2021年春から2か月間、リハビリ特化型デイサービスで研修を受けました。実際にやったのは、送迎やマシンへの案内、リハビリの介助、器具使用のサポートなどで、いわゆる”ライトな介護”でした。サッカー好きな人も多くて、『キミはサッカー選手だったの』と気さくに声をかけてもらったりして、明るい気持ちにもなれました。
研修が終わった直後の2021年夏にHLCが発足。僕はサッカー関係のイベントに呼ばれたり、茨城県リーグ1部のセキショウFCでコーチ兼選手をやっていたこともあって、社員になる道を選ばず、個人事業主として業務委託でフランチャイズ加盟の営業をメインに手掛けることになりました。
会社が提供しているブランドは2つあって、1つ目はスポーツジムに通うような雰囲気でリハビリできる『リハてらす』。もう1つはカフェのようなオシャレで明るく楽しい雰囲気の中、半日でリハビリと入浴ができる『ソレイルミナーレ』というもの。今の高齢者はバブル時代を経験していて、高級感や楽しさを追求している。そういう人たちに合った施設であれば、必ずニーズが高まっていくと僕は確信しましたね」と石神さんは4年前を述懐する。