
2025年7月1日、「ビール1本から送料無料」で知られる「なんでも酒やカクヤス」の親会社「カクヤスグループ」が社名を「ひとまいる」に変えた。
街の酒屋は、これからも「カクヤス」の名で営業するというが、いったいなぜ?
社長に話を聞くと、この社名変更には深い理由があった。
生き残るため、変わり続ける──酒屋の脱皮と「その先」
“蛻変(ぜいへん)”という言葉がある。蝉の卵が幼虫になり、さなぎになり、羽化する様を指すのだが、実は企業が脱皮する場合にも使われる言葉だ。
最初に口にしたのは、帝人の大屋晋三社長。
同社は「帝国人造絹糸」の旧社名通り化学繊維メーカーだったが、これがありふれた物に変わりつつあった1960~70年代から化学の技術を活かし素材メーカーへ脱皮、現在は航空、自動車、土木など多様な産業で不可欠な素材を供給するグローバル企業へと“蛻変”している。
ほか、富士フイルムが医療(X線装置・内視鏡)、化粧品(アスタリフト)へと展開していく様や、トランプや花札を製造し、「運を天に任せる」を社名にしていた任天堂が、ゲーム機、キャラクターのIP事業へと進化していく様も“蛻変”と言えるだろう。
実はカクヤスも“蛻変”を繰り返してきた企業だ。
東京・北区の酒屋として始まり、昭和が終わる頃までは『サザエさん』に出てくる酒屋のサブちゃんのように、時に店で酒を売り、時にリヤカーや自転車で酒を届けていた。
しかしバブルが崩壊し始めた92年、折からのディスカウントブームに乗り、『酒 スーパーディスカウント大安』をオープンし安売り競争に参画、さらに2000年前後にはさらなる進化を遂げた。
当時、酒類販売業免許は同じ地域に競合店があると取得できない等のルールがあり、酒屋は守られていた。しかし2003年からは新規付与が原則自由になり、大手スーパーも酒類販売が可能になると決まったのだ。
この危機に際し、同社は「お届け」に活路を見出した。
その結果、東京23区に「注文を受ければビール1本から無料で即日配送、到着時間は1時間刻みで指定可能」という類を見ない配送体制を築くことになったのだ。
他社には真似できない物流の進化形
変化の仕掛人、同社会長の佐藤順一氏によれば、相当なチャレンジだったらしい。
まず、23区をくまなくカバーするため、当時持っていた30店舗に加え100店舗出店する必要があった。スタッフは自転車に大きなリアカーをつけ、いちいちお店に戻らず配送することにより、1時間あたり4件ほどまわる。
お客さんは便利なはずだった。ところが――。
「この路線は大赤字でした。以前は出店後、半年~1年で黒字になっていたのですが、それは低価格戦略をとっていたからだったんです。価格の勝負ならお客様は比較しやすいですよね。しかし配達の場合は、一度試してもらうまで『これ便利じゃん』とはならず、店が黒字になるまで時間がかかったんです」(佐藤会長)
そんな中、明かりが見えた。飲食業者からの評判がよかったのだ。当日注文可能なら、店に急な大人数の予約が入っても対応できる。
逆に荒天でお客さんが少なそうなら、お酒の仕入れを控えればいい。在庫が減るのは大助かりだ。
飲食店のニーズを聞くうち、さらなる進化も遂げた。
ある高級飲食店のオーナーが「店に数百万円分も在庫があって盗難が心配」と嘆くのを聞き、お店が高級酒の注文を受けたらすぐお持ちするサービスを始めた。銀座など一部地域では、10分以内に徒歩で届ける。
この体制を築くと、飲食店は“高い酒をメニューに載せ、注文が入ったらカクヤスに持ってきてもらう”というワザが使えるようになり大評判を呼んだ。佐藤氏が話す。
「私が『これだ!』と感じ営業しまくると、その先はもう、使っていただけないお店はないほどの大盛況でしたよ(笑)」
そこからも手探りの進化の連続だった。街によって自転車&リヤカーを駆使したり、受注、配車、ルート設計までできる独自のITシステムを築いたり。
ここからは現社長の前垣内(まえがいち)洋行氏が話す。
「近年では、2017年に平和島に大きな倉庫を立ち上げ、さらなる効率化を果たしています。当時、運送業が人手不足で運賃が高騰し始め、問屋さんからの卸価格も高くなり始めていたんです。しかし倉庫があれば問屋さんは大きなトラックで1か所に卸すだけ。そこから先は、当社の効率的な配送システムで各店舗まで運べます。すなわち運賃が高騰しても、それを理由に卸価格が上がることはなくなったのです」
この進化により、空き瓶を高値で回収してもらえるようにもなった。お酒の瓶は消費者から回収され、業者にいくばくかのお金で引き取ってもらう。
そんな中、カクヤスは車が各店舗から倉庫に向かう時に空き瓶を載せ、平和島に集約する体制を構築。酒瓶回収業者は各店舗を回る手間が省け、高く買い取ってくれるようになったのだ。
そんな工夫の連続で配送コストを下げ続け、ついに同社は配送をサステナビリティにまで活用し始めた。
「店舗やご家庭の廃油を、お金をお支払いして回収しています。これを平和島に集約し、化学工場へ運び、航空機の燃料に変えるのです。2024年に始め、今までに、東京から沖縄に行けるだけの燃料をつくりましたよ」
そんな進化が、次の“蛻変”へとつながっていく。