
日本において、“性”について言及することは、これまで、後ろめたいものとして公にすることがはばかられる傾向にあった。しかし性欲は人々のウェルビーイングに直結しており、人間が生きていく上で根幹をなすものでもある。
TENGA誕生から20周年 東急プラザ原宿ギャラリースペースで『松本光一展』開催
性にまつわる身体的・精神的課題を解消するための商品・サービスの開発、リリースに携わる株式会社TENGAは、「性を表通りに、誰もが楽しめるものに変えていく」というブランドコンセプトのもと、男性用の『TENGA』、女性用の『iroha』などを展開。売上高115億円の企業に成長した。現在はアイテムの販売だけでなく、妊活・不妊へのサポート、デリケートゾーンケアを中心とした衛生用品の研究開発などを行う「TENGA HEALTHCARE」「iroha healthcare」の展開や、性に対する認識変容を促すアパレルや雑貨の開発や販売を行う「TXA」、障がい者向け就労継続支援B型事業所の運営など、多岐にわたって事業をおこなっている。
東急プラザ原宿「ハラカド」ギャラリースペースで開催中の『松本光一展』(25日まで)
2025年に発売20周年を迎えたTENGA。東京・渋谷区の東急プラザ原宿「ハラカド」3階のギャラリースペースでは、創業者の松本光一氏とTENGAの軌跡を振り返る『松本光一展』が開催されている(6月25日まで)。車の整備士だった松本氏がTENGAを開発・展開していく歩みや、発明の素となる数々のアイデア、初公開となる初期のTENGAデザインスケッチなども展示されている。また、松本氏が製作に没頭していた当時の「開発デスク」も再現され、机に残る図面や道具などもリアルに伝えられている。
さらに『松本光一展』の開催を記念し、20日には松本氏のトークショーも行われた。記事前編では、松本氏がTENGA開発に至るまでの歩みや、過去の苦悩から得た思いや覚悟を紹介する。
「電気を止められ、食費3000円」TENGA社長が過去の苦悩から学んだ“3つの大切なこと”
1967年に静岡県で生まれ、幼少期から図画工作が得意だった松本氏。学生時代にはスーパーカーに熱中し、映画『マッド・マックス』に登場する改造車両に魅了されたことから、整備士を志すように。愛知県の自動車整備専門学校を卒業すると、そのまま愛知県で整備士となった。フェラーリやポルシェなどのスーパーカーを整備する日々を送り、その後はヴィンテージカーを輸入し、客のオーダーに応じて組み立て直す「レストア」を始めた。
TENGAカラーの赤と映画『マッド・マックス』のカラーをイメージしたカクテル
松本光一氏(以下、松本)「レストアというのは、ただバラバラにして組み立て直すのではなく、お客さんの注文に応じて話し合って、1台1台作っていくんです。車を青色にしたい人も、赤色にしたい人もいます。どこまで仕上げるかも人によって違います。それを1台1台、お客さんと話し合って作っていく。この“作っていく”ということに対して、僕はものすごく喜びを感じました。さらにもう1つうれしいことは、完成すると『世界に1台の車』になるから、納めた時にお客さんがめちゃくちゃ喜んでくれるんです。僕は、“お客さんが喜んでくれる”ということに対しても、すごく喜びを感じていました」
幼い頃から物づくりが大好きだった松本氏は、レストアの仕事で「喜び」を体感する。しかしその頃、会社の経営はうまくいっておらず、給料未払いが頻発するように。松本氏も半年以上給料を払ってもらえない状態に陥っていく。
松本「この会社で『俺が全力でやれば、絶対に良くなる!』と思って必死にやりましたが、現実は厳しくて。1か月、2か月、半年以上、給料がほぼもらえない状態になっていきました。そうすると何が起こるか。毎月電気も止まるんですよ。そして、“住んでいづらい状態”になる。『払えないなら出ていってください』になってくる。だんだんだんだん追い込まれていきます。いつもポケットに100円とか500円ぐらいしかなくて、月の食費が3000円とか4000円。僕は追い込まれていきました」
生活が困窮していく中で、松本氏は「すごく大事なことに気がつきました」と語る。
松本「人にとって“食べる”=食ということと、性ということが、ものすごく根源的で、すごく大切な欲なんだなと、この時に気がつきました。そしてもう1つ、気がついたことがあります。追い込まれている中で、“人に対する思いやり”が減ってしまったんです。周りの人に対する思いやりが減ってしまった。その時に気がつきました。『人に対する思いやりがなくなるということは、人間として、自分を半分以上失うようなものだ』と。本当に良くないと思って、僕はこの時に『二度と思いやりをなくさない』と決めました」
この時の苦しさを振り返った松本氏は、後になって気づくことがあったという。
松本「物事がうまくいかなくて、いろんなことが順調ではない時、辛い時って必ずあると思うんだけど、“その時に感じたこと”が、人生においてものすごく重要であるということに、この何年か後に僕は気がつきます。この時に感じた大切なこと――1つ目は『物づくりのうれしさ・人に喜んでもらえるうれしさ』。2つ目が食や性の『人の根源欲求を大切にする』ということ。3つ目が『思いやり』。この3つに、心の深いところで気がつくことができました。そこから何年も後にTENGAができていく時に、この3つが“TENGAというブランド”の元になるんです。もちろんこの時の僕は、そのことに1mmも気づいていないです」
限界を迎えた松本氏は、“何もない状態”から静岡県へ戻った。新たに始めた仕事は中古車販売の営業担当。営業は初体験だったものの、整備士でありレストア経験もある松本氏は、客の希望や思いを汲み取った営業で、入社1か月目からトップの営業成績を叩き出した。給料が半年以上払われない生活をしてきた松本氏は、久しぶりにきちんと給料を受け取ることができた。愛知から戻ってきた時は借金も抱えマイナスからのスタートだったが、少しずつ生活は安定するように。
松本氏「全てを失った状態で静岡に戻ってきて、だんだんマイナスがフラットになり、生活が少しずつ安定してきたんですね。そしたら、なぜかどんどん内側から『物を作りたい』という思いが湧いてきました。『今はないものを作って、世界中の人に届けて、世界中の人に喜んで欲しいな』という気持ちが、どんどんどんどん内側から湧いてきました。これは今でも理屈がわからないです。内側から湧いてきました」
違和感を覚えたアダルトビデオショップで覚悟を決めた日「俺が新しいカテゴリーを作ろう!」
思い立ったらすぐ行動に――。これまで無給状態が続き、お店で買い物ができていなかった松本氏は、「今の世の中に、何が売っているのか」「どういうものが流行っているのか」を知るために、毎週休みの度にリサーチを始めた。家電量販店、ホームセンター、自動車用品店など、数々のお店を回って研究することに。「物を作る人がどういう思いで作っているか、そして、売り手はどういう思いで売っているか」、そこを徹底的に知りたかったという。
松本「いろいろ回った中でも僕がとっても居心地が良くて『いいな』と思ったのが、家電量販店です。まず展示の仕方がワクワクする。次に東芝やパナソニックなど、知っているメーカーさんがあって安心できました。さらに、パソコンのコーナーが素晴らしい。ブランドやスペックごとに並んでいて、『こういうデザイン性です』『うちはこの技術を打ち出しています』『液晶がキレイです』と、それぞれのメーカーの“作り手側の思い”が分かりやすく展示されていました。パソコンに詳しくない僕でも、商品を理解して欲しくなっていく仕組みになっている。さらに保証内容、保証期間、問い合わせ先がしっかり書いてあって、見やすいし、分かりやすい。すごく安心でした。ここで分かったことは、『作り手は思いの込めたものを作る』。それはデザインや機能、使いやすさにも表れます。そして売る人は、『それをいかにお客さんに伝えるか』をしっかりやっている。作る人と売る人が一緒になって売り場を作って、お客さんに向き合っているんだなっていうことが分かりました」
作り手と売り場の思いや仕組みを知った松本氏が次に向かったのは、アダルトビデオショップ。そこで松本氏は、アダルトグッズが並べられた棚から強烈な違和感を覚えた。ここでの経験が、TENGAを作る“覚悟”につながる。
松本「そのグッズ棚には、これまで見てきたものがないんです。ブランド、デザイン、会社名がどこにも書いていなくて、すごく不安になる。さらに、問い合わせ先も保証も書いていない。メイド・イン・ジャパンみたいな製造国名もなければ、バーコードもない。今まで気がつかなかったけど、『これがアンダーグラウンドのマーケットなんだ』と気がつきました」
これまで売り場で実感できた作り手の思いや安全性・安心感。そういったものが一切感じられない売り場に驚がくした松本氏。並べられた商品自体にも違和感があったという。
松本「棚の中には、“今一押しの商品“や最新の商品が並んでいました。1段目が透明のパッケージにデリケートゾーンをそのまま模した肌色のグッズ。2段目には裸の写真のパッケージ。3段目にはエッチなイラストのパッケージ。僕はそれを見た時に、棚から『卑猥で、猥褻』というメッセージを受け取ってしまいました。そう感じた瞬間に、『これすごく間違っているな』と思いました」
整備士やレストア時代に困窮した松本氏が実感した「食と性」の重要性。その性を扱うプロダクトのイメージが、あまりにも後ろめたいものであることを突きつけられた。
アダルトビデオショップの店内で自ら「新しいものを作る」と決意した
松本「うまくいかなかった整備士時代に、『性が人にとってすごく大切で、根源的で、尊重されるべきものである』とすごく感じました。なのに、その性に対するプロダクトが自ら、『卑猥で猥褻』と貶めている。性に対するプロダクトって『こんなもんしかないんだな』と思って。『だったら俺が、もっとポジティブで、フレンドリーで、一般のものとしての新しいカテゴリーを作ろう! それで革命を起こそう』と思い、その時にそのお店の中で誓いました」
朝6時から深夜2時まで製作する日々で再び苦境に「誰にも評価されない。誰にも褒められない。誰にも貢献していない」
さまざまなお店をまわり、行きついたアダルトショップで「作りたいもの」を発見した松本氏。店内で覚悟を決めて宣言してからは、その誓いを果たすために行動を始める。まずは中古車販売店の営業として1年半働きながら、資金1000万円を貯めた。その後は会社を辞めて、1人で商品を試作する日々に突入する。会社を辞めた翌日から朝6時に起きて、深夜2時まで研究・製作に明け暮れた。現状を知るために約100種類のセルフプレジャー商品を購入し、実際に使いながら改良点や自分が取り入れたいものを書き出していく。デザインや性能、客が安心できる問い合わせ先などの理想を書き出し、その1つ1つを果たしていくために研究・開発を続けた。
松本「自主制作ってなかなかきついんですよ。例えば1個のものを作るのに、1週間とか3週間とか時間がかかる。3週間かけて頑張って作ったものを、自分がテストする。そして自分が作ったものをボツにする。これをしばらく繰り返すことになります。1年半の間、誰にも評価されない。誰にも褒められない。誰にも貢献していない。誰かに喜んでもらっているという実感がない。1年半、何ひとつないんです。これは、ものすごくきついです。『自分は何のためにいるんだ』と、今でも忘れられない、すごく辛い日でした。
皆さんは、今もうTENGという商品があるから、僕が『作りたかったもの』がイメージできるじゃないですか。でも当時の商品は肌色の(卑猥な)ものしかないわけですから、自分が目指している『一般的なものとしてポジティブでフレンドリーなもの』のイメージがなかった。『ない』ということは、ゴールがないんですよね。ゴールがないものに毎日毎日、努力をしている。自分は今1合目にいるのか、2合目なのか、分からないんですよ。『俺は進んでいるのか? 遅れているのか? どっちなの?』。それが見えなかったので、当時はすごく苦しかったです」
困窮した生活を抜けて、再びやってきた苦境の日々。模索しながらも「前に進んでいるか分からない状態」で、松本氏は「開き直った」という。
松本「途中でやめたから『失敗した』って言われるんで、『そうだ、成功するまでやればいいや』と思いました。開き直ったんです」
諦めることなく試作品を作り続けた松本氏に、東京の大手販売会社に向けてプレゼンする機会が訪れる。このチャンスに全てを賭けてプレゼンし、販売の夢を実現することに。量産のために協力してくれる金型製造企業も現れ、2005年7月7日に5種類のTENGAが誕生した。当時、5000個売れればヒットと言われた業界で、TENGAは1年で100万個を売り上げた。
松本「最初は売り場がビデオ店しかなかったから、全国で約2000軒から始まりました。そこからドラッグストア、コンビニ、大手通販サイト、デパート、バラエティショップ、大手量販店……と、どんどん広がっていきました。今では2万4000軒のお店で扱っていただけるようになりました。最初は日本で始まったけど、世界中に届けたいという思いもあったので、ちょっとずつ増やしていきました。今は世界73の国と地域で発売できるようになりました」
後から気づいた「覚悟」の効果「『絶対そっちに向かう』とポジティブになった時に、細かい判断がちょっとずつポジティブ側に行く」
困窮や苦境を経験し、それでも自身の思いを具現化した松本氏。今振り返ると、苦境時に開き直って覚悟を決めたことが、すべての選択をポジティブに変えたという。
コンセプトは「性を表通りに 誰もが楽しめるものに変えていく」
松本「あの時が、『本当の意味で覚悟を決めた瞬間』だったと思います。これは最近ようやく分かったというか、5年ぐらい前に答えがちょっと出たんです。その『覚悟を決めた日』から、ちょっとずつ運が良くなったんですよ。それまではずっと、進んでいるかも分からない状態だったのに、覚悟をしてから少しずつ進んでいったんです。
では何が変わったのかというと、人間は1日の内にたくさん判断するじゃないですか。『水を飲もう』『ドアを開けよう』『左に曲がろう』とか、いっぱい判断する。覚悟を決めて『絶対そっちに向かう』とポジティブになった時に、1日のその細かい判断がちょっとずつポジティブ側に行くんです。そうすると未来がちょっと変わるんですよ。自分の行動が、少しずつポジティブ側の未来へ自分を持って行ってくれるんだと思います。このことがずっと分からなかったけど、数年前にそういうことだとようやく気がついて、たぶんこれは合っていると思います。そうじゃないと、(覚悟を決めた後からの)現象は説明できないんです」
ウェルビーイングの根底となる“性”。しかしこれまでタブーのイメージが強かった。松本氏は「性を表通りに、誰もが楽しめるものに変えていく」というコンセプトを実現するために苦境の中でもやり続け、“まだ世の中にないもの”を生み出した。
松本「25年前に、ビデオ屋さんの片隅の、あの小さなグッズコーナーでね、たった一人で誓ったことなんですよ。一人で決心したことなんです。そこから始まって、だんだん社員が増えてきて、たくさんの社員に支えてもらった。何よりも、ここにいるたくさんの皆さんが応援してくれたおかげで、今TENGAは存在していますし、僕は今ここに立っています。本当にありがとうございます」
“性を表通りに”――その想いを胸に、誰にも理解されず、評価もされない時代を越えて、松本光一氏は歩み続けた。物づくりの喜び、人間の根源的な欲求としての「性」の尊重、そして「思いやり」への気づきが、TENGAの原点となり、いまや世界73の国と地域に広がるブランドへと結実した。性を閉ざされたものから、健やかさと尊厳に結びつくものへ。TENGAの20年は、社会の価値観をも変えていく“覚悟”の物語である。
取材・文/コティマム 撮影/杉原賢紀(小学館)