
「いい大学を出て知的労働に就けば高給取りになれる」という常識、本当ですか?
ツールベルトとは、職人さんが腰に巻く道具入れのこと。そして「ツールベルト世代」という言葉は「とにかく大学」という価値観から離れ、学歴よりも「手に職」を選ぶ若者たちを指す。
特に米国で増えており、彼/彼女たちは大学より専門学校や職業訓練校を選び、建設業、電気工事士、調理師等になって「腰の工具で未来を切り開こう!」と考える。
腰の道具入れで未来を切り開け!
なぜこのような変化が? 米紙『ウォール・ストリート・ジャーナル』によれば、1つめの理由として、体を動かす現業職の収入が増えていること、それが大学教育の費用対効果への懐疑を招いたことが影響しているという。
実際に米国労働統計局の統計や関連調査では、建設業、電気技師など現業職の収入が伸び、人材不足を背景に今後も高止まりが予想されている。
日本でも同じ傾向があり、厚労省が2024年5月に開示した「毎月勤労統計調査」によれば、建設業の月間現金給与総額は前年同月比7.2%の増加、英国など一部EU諸国でも似た傾向がある。
要するに「今、職人さんが企業からモテモテ!」というわけ。若者が「大学に何百万円も学費を払うより、すぐ稼いだほうがよくね?」と思うのも頷ける。
そして2つめの理由は「AI」。将来、医師や弁護士などの頭を使う仕事はAIに奪われる懸念があるから「体を使う職に就いておこう!」というわけだ。
AIが完全に奪う仕事はない!?
しかし疑問もある。AIは職人の仕事も奪う可能性はないだろうか?
そこで私たちはツールベルト世代の行動に詳しい野村総合研究所の長谷佳明さんに取材してきた。将来はいかに?
<取材協力>
野村総合研究所(NRI)未来創発センター デジタル社会・経済研究室 エキスパートストラテジスト/ITアナリストの長谷佳明さん。
「知識の進化論 : 生成AIと2030年の生産性」など興味深いレポートを執筆。
https://www.nri.com/jp/profile/nagaya.html
「確かに現時点では、ロボットに組み込み利用するAIを広義のAIと考えても、代替できる物理的な仕事は限定的で、配膳ロボットのように労働者が担うタスクの、ごく一部、簡易なものしか担えません。
工場の生産ラインのように、産業用ロボットを活用し、自動化のための仕組みを作りこんでいるものもありますが、これは例外といえます。
また、しばらくの間は電気工事、調理といった職人技、なかでも手先の細かい作業はAIによる代替が難しい、というレポートも存在します。
しかし我々は2030年以降になると、AIとロボット技術の進化が融合し、フィジカルAI(ロボットなどの技術と融合し、現実世界で作業するAI)が活躍し始めると予想しています」
(出典)野村総合研究所のレポート「203X : AIで拡張する社会」
ドイツのボン大学と米国の調査団体「AI Impact」が2024年1月に発表した論文「THOUSANDS OF AI AUTHORS ON THE FUTURE OF AI」を参考に野村総合研究所が作成したAIの進化の工程表。
例えば配膳のネコ型ロボにも、いつかは手足が付き、調理を始める、というわけ。そうなれば当然、工事現場で働くロボも登場するはず。
とすると、職人が高給をもらえるのは今だけ?
「いえ、というより私たちは『今後、AIはどの産業にも入ってくる』と考えています。将来伸びていくのは、それを使いこなす人や企業なのです」
例えば医師や弁護士の仕事は既にAIによって変わり始めている。といっても、医師や弁護士がいなくなるわけではない。
例えば医療なら、MRIやレントゲンの画像を医師がチェックし、AIが万一の見逃しがないかチェックする、といった使い方が始まっている。
MITスローン経営大学院のデジタルエコノミーイニシアチブの共同創設者兼共同ディレクターであるアンドリュー・マカフィーのリポート「The Economic Impact of Generative AI 」によれば、2016年頃、米国ではディープラーニングの進化により、放射線科医は不要になるといわれたものの、現在では技術進化により診断を受ける人が増え、放射線科医は減るどころか、むしろ足りない状況になっているという。
あくまでAIは人間から仕事を奪うものではなく、人間を助ける存在、というわけだ。
弁護士ならAIに、膨大な判例から裁判で使える事例を抜き出す、といった仕事が任せられる。ただし、AIが示唆したデータをもとに相手の痛いところを突くのは、やはり弁護士の先生でなければできない仕事なのだ。
「そしてこの変化は、将来、職人さんの仕事にも及びます。
例えば以前、建築現場の工程管理は、現場の写真を撮って記録を残すなどアナログ的な手法で行われていて、建築業はITからは縁遠い業界と思われていました。
しかし現在はタブレットと現場管理専用のアプリで、工程表、写真、図面、報告書などが一元管理され、劇的な効率化が成し遂げられています。これと同様に、将来はツールベルト世代の若者が就く現業職にもAIが入ってくるのです」
(出典)野村総合研究所のコラム「203X : AIで拡張する社会」のレポート「AI×ヘルスケアの中期的・長期的展望」
医療・創薬の現場で使われるAIも、当面は医師や薬剤開発者のサポートを行う可能性が高い。
顧客の望みを叶えるAI――でも主役は人間
例えばお酒の醸造にAIが活用され、最適な原材料を最適な時期に仕込めるようになり、作業もフィジカルAIに任せられるとしよう。だがAIは『学習したデータの中での最適解』を出してくれるに過ぎない。
「AIが造るレシピは、世の中で『おいしい』とされるお酒の公約数のような味になるでしょう。
しかし現実には、特定の地域で好まれる味や、醸造家がファンに提案したい味があるはずで、これを実現するのは人間です。
すなわち、優秀なAIがあれば職人さんはいらない、とはなりません」
例えばホテルのコンシェルジュは、高い対人スキルが必要なため、AIでは代替されにくいと言われる。しかし仮にカメラと顔認識AIを使ったシステムがあり、ホテルの人が「このお客さんは何年前にも来ていて、その時、冷蔵庫の水をおかわりした」とわかれば、さりげなく冷蔵庫の水の本数を増やし、お客さんに感激してもらえるかもしれない。
「我々はAIによって『ディープカスタマイズ』が実現すると予測しています。
AIによって顧客の志向が明らかになり、時には顧客が口にしていない、場合によっては意識してすらしていない望みを叶えることができるようになるはずです」
AIはまだ見ぬ未来を実現していく。しかしAIの使い方を考え、実際にお客さんを満足させるのは人間、というわけだ。最後に長谷さんはこう話を継ぐ。
「今後は、スマホを使う感覚でAIを扱える大工さんや料理人さんが伸びていくはずです。一方、単純労働しかできない職人さんの仕事は、将来、フィジカルAIによって奪われる可能性があります。
すなわち、大学に入るか現業に就くかではなく、AIに親しみ、慣れておくことが最も適切な将来への備えなのかもしれません」
若者よ、ツールベルトにAIを!
取材・文/夏目幸明
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