「小姑」は、配偶者の姉妹を指す言葉です。「義姉」または「義妹」などに言い換えられます。本記事では「小姑」の正しい意味や読み方などについてご紹介します。「姑」を使ったことわざなども、あわせて確認していきましょう。
目次
「小姑」の意味とは

「小姑(こじゅうと)」とは、夫や妻の姉妹のことです。正しくは「こじゅうとめ」と読みます。義兄弟を指す場合は「小舅(こじゅと)」とするのが一般的です。
また、夫の妹に限定し「小姑(しょうこ)」という呼び方もあります。性別や関係性により、漢字表記や読み方が異なることを覚えておきましょう。
「小姑」の類語や言い換え表現

「小姑」の類語や言い換え表現には、「義姉(ぎし)」や「義妹(ぎまい)」などがあります。
本人に対する直接的な呼びかけは、「お姉さん」や名前を使用する機会が多いかもしれません。
「義姉」や「義妹」は、あくまでも他者に対する表現です。「姉」や「妹」とすると、血のつながった姉妹と思われる可能性もあるため、これらへの言い換えを検討してください。
■「義姉(ぎし)」
義理の姉は、「義姉」と言い表します。配偶者の姉を指す言葉ですが、自分の兄の妻も「義姉」と表現できます。直接的な血のつながりはないものの、目上にあたる女性に適した言葉です。
もうひとつ、「義姉」には「姉妹の約束を交わし、姉としている人」という意味があります。
現代社会では稀な表現ですが、「義姉」がもつ意味として覚えておきましょう。
■「義妹(ぎまい)」
配偶者の妹は、「義妹」にあたります。「義姉」は兄の妻でしたが、「義妹」は弟の妻に対しても使用できる言葉です。
また「義姉」と同様、「義妹」は血のつながりはないものの姉妹の約束を交わし、妹とした相手のことも表します。
「妹分(いもうとぶん)」のように、妹同様の親しい関係などに適した表現です。
ことわざ「小姑一人は鬼千匹にむかう」の意味

「小姑一人は鬼千匹にむかう」は、「その家に嫁いだ女性にとって、小姑1人は鬼1,000匹に匹敵する存在」という意味です。
小姑はそれほどまでに厄介で、嫁いだ女性を苦しめるという意味が含まれています。
これは、古いしきたりのなかでの女性の立場をたとえたことわざです。「小姑一人は猫千匹」も同様の意味をもちます。
- 連休が近くなり、妻は僕の姉が家にやってくることを心配している。妻にとっては、小姑一人は鬼千匹にむかうという状況らしい。
「姑」を使ったその他のことわざや慣用句

「小姑」は配偶者の姉妹を表す言葉であり、配偶者の母の場合は「姑(しゅうとめ)」という呼び方に変わります。
「小姑一人は鬼千匹むかう」のように、「姑」にもさまざまなことわざや慣用句があります。
ここでは、それぞれの意味について深掘りしていきましょう。
■「姑の涙汁」
「姑の涙汁(しゅうとめのなみだじる)」は、非常に少ないもののたとえです。
ここでいう「姑の涙」は、家に嫁いだ女性への同情の涙を指しています。「姑は嫁である女性に対し、同情の涙を流すことはない」という考えが由来です。
「涙」を使った同様のことわざには「雀の涙(すずめのなみだ)」があります。
こちらも、雀が流す涙のように、ごくわずかなものを指す言葉です。ことわざに関する知識として、あわせて覚えておきましょう。
- 「今年のボーナスは期待できたんじゃないかい?」「とんでもない。他企業に比べればまるで姑の涙汁のような額だよ」
■「姑の十七見た者がない」
「姑の十七(しゅうとめのじゅうしち)」とは、「姑が17歳のころ」という意味です。
「姑の十七見た者がない」とすることで、「姑は何かと自分が若かったころを自慢するが、その姿を実際に見た人はなく、あてにならない」という意味のことわざになります。
似た表現には、「親の十七子は知らぬ(おやのじゅうしちこはしらぬ)」があります。こちらも若いころの話はあてにならない、という意味のことわざです。
とくに、親は自分にとって都合の悪い話はしたがらないため、子は親の話を信じるほかないというニュアンスが含まれています。
- おばあちゃんの自慢話はあまり本気にしないほうがいいよ。姑の十七見た者がないというでしょう。
■「朝のぴっかり姑の笑い」
物事が変わりやすくあてにならないことは、「朝のぴっかり姑の笑い」と言い表します。
これは、朝の天気と姑の笑顔が変わりやすいことに由来することわざです。
日によって、朝はきれいに晴れていても、午後から突然雨が降り出すことがあります。姑の笑顔も同様に、長く続くかはわからないことを示す表現です。
同時に、あてにもならないことに対し、すぐに結果を信じず注意深く様子を見守る大切さも説いています。
- イベント開催に向け、この快晴が続けばいいが……朝のぴっかり姑の笑いというし、どうなるかわからない。万が一、トラブルが生じた際の対策を立てておこう。
■「昨日は嫁、今日は姑」
「昨日は嫁、今日は姑」は、時間の速さを意味することわざです。
昨日まで嫁の立場だった女性が、今日にはもう姑になるように、時間が非常に早く経つ様子を表しています。
また、嫁から姑へと立場が変わるような、境遇の変化の激しさも意味しています。
その時々の立場の変化を受け入れ、与えられた役割をまっとうし、日々を楽しむ大切さを伝える言葉です。
- 入社してからもう20年か。気付けば同期はみな退職してしまった。昨日は嫁、今日は姑というけれど時間が経つのは本当に早いものだ。
■「姑の前の見せ麻小笥」
「麻小笥(おこげ)」とは、紡いだ麻糸を入れておく容器のことです。古くは、檜(ひのき)の薄板によって作られました。
「姑の前の見せ麻小笥(しゅうとめのまえのみせおごけ)」は、嫁が姑の前でだけ、その容器を出すさまを表しています。容器を出す目的は、草の繊維をよりあわせ、糸を紡ぐことです。
つまり、嫁は姑の前でのみ仕事をしている素振りをみせていることになります。
そんな様子を指す「姑の前の見せ麻小笥」は、以下のように、人前でだけ働き者らしく振る舞う姿に適しています。
- 上司がいるときだけデスクに向かう彼は、周囲から姑の前の見せ麻小笥だといわれている。







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