
はじめに
部下を褒めたのに、なぜかやる気を感じない。そんな経験はありませんか?その原因は、褒め方にあるかもしれません。ビジネスの現場でよく使われる「いいね」「すごいね」といった言葉は、一見すると前向きなフィードバックのように思えますが、識学(意識構造学)の視点から見ると、これらは必ずしも適切な承認ではありません。むしろ、部下の自律性や成長意欲を削いでしまう“逆効果の褒め言葉”になっている可能性があります。本コラムでは、曖昧な褒め言葉が持つリスクと、識学に基づいた「事実ベースの承認術」について解説します。
抽象的な褒め言葉がもたらす弊害
「いいね」「すごいね」といった抽象的な褒め言葉には、「何が良かったのか」「どこがすごかったのか」という評価の軸が存在しません。評価の対象が明確でなければ、受け手にとっては納得感が乏しく、「何を再現すればよいのか」が分からなくなってしまいます。部下は「上司の感覚や気分で評価されているのではないか」と感じてしまい、信頼関係や成長意欲を損なうリスクがあります。また、誰にでも使えるような褒め言葉は、個別性を欠くため、「本当に自分のことを見てくれているのか?」という不信感を抱かせることもあります。これはマネジメントにおけるフィードバックの信頼性を大きく損なう要因です。
NG褒め言葉が生む3つの落とし穴
1. 再現性を失い成長機会を奪う
上司が「そのままの君で十分だよ」と抽象的に褒めると、部下は自分の成功要因を特定できず、成果を再現できません。たとえば、ある営業担当が月間成約数を大幅に伸ばしたとき、「すごい」とだけ伝えられると、どのトークスクリプトや提案手法が勝因なのかが不明瞭です。結果として、他のメンバーにも再現不可能な“偶然の成功体験”に留まります。組織として継続的に成果を上げるには、再現性のある行動に分解して共有する必要があります。
2. 信頼関係を揺るがすお世辞評価
根拠のないお世辞は、一時的に部下の機嫌を取るかもしれませんが、長期的には言葉の信頼性を傷つけます。とくに、数字目標を達成できなかった場面で「よく頑張ったね」と励ますだけでは、部下にとって具体的な改善点が見えず、不信感につながります。このような評価を繰り返すと、「本音では何を期待されているのか」が曖昧になり、仕事へのコミットメントが低下します。
3. 承認と評価の混同による基準崩壊
承認(行動の肯定)と評価(結果の判断)を区別しないまま褒めると、部下は「どちらを意識すべきかわからない」という混乱に陥ります。たとえば「努力したからOK」という暗黙のルールが生まれると、結果を軽視し、過程に甘えが生じる場合があります。識学では、成果に対しては適切なフィードバックを行い、行動に対しては承認を明確に分けることで、組織内の評価基準を一貫させることが重要とされます。
識学が提唱する“事実ベースの承認”とは
識学では、評価とは感情や主観ではなく、事実に基づいて行うべきだとしています。事実とは、誰が見ても明らかな行動、成果、数値などを指します。たとえば、「顧客対応が良かった」ではなく、「顧客からの問い合わせに3時間以内で対応し、満足度調査で5点満点を獲得した」といった具体性が求められます。これにより、部下は「自分が何を評価されたのか」「次にどう行動すべきか」を明確に理解でき、再現性ある行動につなげることができます。これは、識学が提唱する“再現性のあるマネジメント”の中核でもあります。
承認に使える3ステップ
識学では、承認を以下の3つのステップで構成することを推奨しています。
ステップ1:事実を述べる
まず、部下が行った具体的な行動や成果を明確に伝えます。主観ではなく、第三者にも伝わる具体性が求められます。
ステップ2:意味・価値を伝える
次に、その行動が組織やチームにとってどのような価値を生み出したかを説明します。評価の背景にある「文脈」を伝えることが重要です。
ステップ3:再現性のある期待を示す
最後に、「今後も同様の行動を期待している」といった継続的な期待を伝えます。これにより、承認が次の行動へとつながります。
【実例:課題解決型の承認】
ある部下が、社内の非効率な請求業務フローに気づき、他部署と連携してテンプレートを見直した結果、作業時間を1件あたり10分短縮したとします。
このときの承認は、次のように行います。
ステップ1:「今月、請求処理のフローにある重複作業に気づき、改善提案を実行してくれましたね。」
ステップ2:「その結果、業務全体の所要時間が大幅に短縮され、月間で見ても大きな生産性向上につながりました。」
ステップ3:「今後も業務の中で改善点に気づいた際は、今回のように提案してくれることを期待しています。あなたの行動がチーム全体の効率化に大きく貢献しています。」
【実例:NG褒め言葉→OK褒め言葉実践例】
NG1:「すごい!」
OK1:「提案書のグラフが的確で、数値の変化を一目で把握できたため、経営陣の合意形成がスムーズでした」
NG2:「いいね」
OK2:「メールで結論を先行させ、要点を3行にまとめたので、クライアントからの返信が迅速でした」
NG3:「さすがだね」
OK3:「会議中に質問を予測し、資料に補足コメントを入れていた点が、議論を円滑に進める鍵になりました」
役割に基づいた評価が信頼を生む
識学では、承認や評価は「役割」に基づいて行うものと定義しています。「好きだから褒める」といった感情ベースの評価は、組織の公平性と秩序を崩す原因になります。一方で、役割に紐づいた成果や行動を、事実ベースで承認することで、上司と部下の間に明確な線引きが生まれ、信頼関係が構築されます。役割に対する承認は、組織内に一貫性をもたらし、自律的な人材の育成にもつながります。
おわりに
褒め言葉は、使い方ひとつでプラスにもマイナスにも働きます。感情や印象に頼った承認ではなく、事実、意味、期待を含めたフィードバックを行うことで、部下の成長とチーム全体の成果を飛躍的に高めることができます。褒めることの本質は、「部下をいい気分にさせる」ことではなく、「同じ成果を再現できる行動を引き出す」ことです。曖昧な褒め言葉をやめ、事実を切り取り、因果を言語化し、再現ポイントを示す。この3ステップを意識することで、部下は自らの行動を正しく認識し、自己効力感を発揮できます。上司として、今日からできることは「褒める」から「承認する」への意識転換です。小さな一言の工夫が、大きな成果の第一歩となるのです。
文/識学コンサルタント 川添晶美