
先日、SNSで大バズりした、とある企業の社長のポスト。
社長自ら提案したGW中の平日休みを失念し、ひとりだけ出社してしまうというカワイイ失態。
企業のトップの愛くるしいエピソードだが、実はこの社長、とんでもないことを成し遂げた若き経営者だった。
100%下請けの地方の町工場が立ち上げた自社ブランド
株式会社笏本縫製代表・笏本達宏(しゃくもと たつひろ)さん。岡山県津山市にある小さな町工場の3代目社長。
素人同然の状態からオリジナルネクタイブランド「SHAKUNONE(シャクノネ)」を立ち上げ、首相や各国大統領も着用するほどのネクタイを生んだスゴい人。
しかし、そこに至るまでには幾多の地獄も経験した。業界タブーへの挑戦、干されかかった老舗町工場、どん底からの地道な営業…。
名もなき町工場から世界にその名を轟かせた成功の秘訣を今回、社長本人に伺った。
まず聞きたいのは、地方の町工場がブランドを立ち上げた理由。そこきは強い信念があった。
「創業から50年、私たちの工場は多くの有名ブランドの製造を請け負う下請け工場として運営されてきました。もともと、先代の母は「私の代で潰すから継がないで」と言われていたのですが、私は3代目として「どうしても自分の力で挑戦したい」という思いが強くあったんです」
「そのためには、ただ生産するだけでなく、自分たちの手で作りたいものを作り、世の中に伝えていくためのブランドが必要だと考えました。私共の業界では下請け業者が自社ブランドを立ち上げることはNGとされていましたが、『いいものを作れば必ず伝わる』という信念だけを頼りに、2015年に新ブランド「SHAKUNONE」を立ち上げました」
笏本氏が代表を務める笏本縫製は、元々は請負の縫製工場だった。当時は近所の女性たちが集い、シャツのボタン付けなど内職のような作業に取り組む、そんな会社だったという。
いわゆる100%下請けの地方の町工場。そんな会社が新たなブランドを立ち上げることは業界のタブー。新ブランドは業界にとって新たな敵の誕生でしかない。下請け業者の挑戦を煙たがる人もいる。周囲の空気は一変した。
「新ブランドを立ち上げたことで実際に取引先から『もうウチからの仕事は必要ないよね?』と言われ、仕事がゼロに。かなりの絶望感を覚えました」
「実際、1~2年間は売上がほとんど上がらず、年商30万円、2年目で100万円という状況。社内でも「こんな無名の工場が自社ブランドを持っても無理だろう」と言われ、私自身も心が折れそうになりました。それでも心の中で「まずは自分たちを知ってもらうことがスタートラインだ」と信じ、前に進むしかないという覚悟で取り組んできました」
凄まじい反発と逆境の中、3代目はとにかく前に突き進んだ。なにより、自信があったから。
「とにかく知ってほしいの一心で、SNSを活用して自社ブランドのことを発信しまくりました。私たちのことを誰も知らなかったからこそ、発信を続けるしかなかったんです」
「それに加えて、百貨店での直販にも挑戦し、お客様と直接向き合うことで製品改良を進めました。最初は反応が少なくても、「お客様に知ってもらえれば必ず手に取ってもらえる」と思ったんです。その地道な努力が少しずつ結果を生み出し、ブランドの認知度が広がっていったと思っています」
捨てる神あれば拾う神あり。小さな工場が叶えた大きな夢
3代目笏本社長が家業の笏本縫製に入社したのは2008年。それまでは会社を継ぐ気はなく、美容師として働いていたが母の体調不良がきっかけとなり家業に入ったという。
当然、縫製作業も業界も未知なる世界。ボタン一つも付けられない状態だったが、職人たちに頭を下げ、裁断からミシンの使い方、針仕事まで一から教わった。
その後、苦難の末、ネクタイブランド「SHAKUNONE」を立ち上げたわけだが、あれだけ周囲の反発があった中、軌道に乗り始めたきっかけは何だったのか?
「私には人生を変えてくださったお客様がいます。いつも電話でご注文くださるお客様でした。便利なこの時代になんでネットじゃないんだろう?と思っていましたが、デパート催し場に会いに来てくださったとき、その理由がわかったんです」
「白い杖をつき、サポートされながら歩いておられたその方は視覚に障害がある方でした。思わず「なんでいつも弊社の商品を選んでくださるんですか?」と聞いたところ、「目が見えていた時からネクタイが好きなんです。カッコイイから。今はもう”デザイン”も”色”も誰かに説明をしてもらわないとわからないけど、生地や縫製の良さは人一倍わかるんです。だから選んでいます。今日はどうしても作り手さんに会いたくて来ました」と答えてくださいました」
「この言葉を聞いてこれまでのすべてが報われたような気持ちになりました。このことを会社で職人さんたちに伝えると、涙を流して喜ぶ人もいました」
このエピソードを笏本社長がSNSに投稿すると瞬く間に話題となり、各メディアでも紹介された。一躍、田舎の町工場は全国に知られる存在に。
「弊社のネクタイブランド「SHAKUNONE」が軌道に乗り始めたきっかけはそこにあります。このお客様との出会いが、私たちにとって「本物になれるチャンス」を与えてくれた瞬間でした」
以来、笏本社長は「これを一過性の成功に終わらせてはいけない」と感じ、ブランドを着実に育てていく覚悟を決めた。
徐々に認知度は高まり、ネクタイブランドの売上がOEM(※他社ブランドの製品を製造すること)を越え、メイン事業に。
すると、地元の人ですら知らなかった小さな町工場のブランドが世界に羽ばたく。
「とにかく知ってほしいの一心で10年間1日も休まず続けてきたSNSでの発信からご縁が繋がり、ある日、「総理大臣にネクタイを贈りたい」というご依頼を受けたんです」
「ブランドを立ち上げる時、小さな事務所で『いつか総理大臣にも結んでもらえるようなブランドを作りたいね』と言っていた夢が本当に現実しました。さらにその話が巡り、アメリカ大統領やフィリピン大統領を始めとする、各国要人にも贈られることになりました。これらの出来事は私たちのブランドにとって、ただの成功ではなく誇りとなり、どんな小さな工場でも大きな夢を持ち続けられることを実感しました」
未来のチャンスのためリストラはしないという決断
笏本氏が3代目社長に就任したのは、世界中がコロナ禍で危機に直面していた2021年。当時も大きな転機があったという。
自社のネクタイブランド「SHAKUNONE」の売り上げはなんとか伸びていたものの、OEMは大きく落ち込み、厳しい状況に。
リストラせざるを得ない崖っぷちに立たされた3代目だったが、先代社長である母からの言葉が強く胸に突き刺さった。
「リストラをしたら職人さんはもう2度と戻ってこない」
「今苦しくても、絶対チャンスは作れる」
「チャンスが来たときに仲間がいなかったら、絶対乗り越えられないよ」
先を見据えぬ安易な人員削減で、逆に苦難に直面する企業も見られる中、リストラだけはしなかった。
そして、先代の言う通り突如チャンスが訪れると、確かな技術を携えた職人たちが圧倒的な力を発揮してくれたという。
「私がビジネスにおいて大切にしていることは、『決断を成功にする覚悟をもつ』ということです。どんなに厳しい状況でも信念を持ち続け、周りの仲間と共に進む」
「中には正解がわからなくなるようなこともありますが、選んだ道を正解にする気概と覚悟があれば行動は変わるし、結果的に間違っていたとしても、その失敗は成功へのステップになり、より良い結果を生むことに繋がると考えています」
そんな経営方針はもちろんだが、ブランドの魅力も苦難を乗り越えた大きな要因だろう。
フィリピンのマルコス大統領が着用したネクタイは、ブランドを代表するアイテム「SH-002奥深い青紺碧」。
シルクの光沢を活かし、“笏”をモチーフとしたSHAKUNONEロゴのパターンは光の角度で表情が変わり、正面から見ると生地に馴染み、横からはロゴが浮き上がって見える。
また、「トンボシリーズ」や「彗星シリーズ」など、シンプルながら美しさが際立つアイテムが海を越え、世界のビジネスパーソンの胸元を彩っている。
「弊社のネクタイの魅力は、そのシンプルさと奥深さにあると思っています。派手すぎず、しかし一目でわかる上質感。シルクの光沢、職人の手作業による精緻さ、結んだときに感じる収まり感。ひとたび結べば誰かに会いに行きたくなるような気持ちを少し前向きにしてくれる、そんなネクタイなんです」
「ぜひ一度試してみてください!結びやすさと美しい形から、他のブランドにはない気品を感じていただけるはずです」