
これまで誰もなし得なかった低アルコール日本酒の創出。彼らが挑み、実現できたのはなぜか?
「いけるんちゃいますかね」と言わせた企業の底力
「いけるやろ?」
営業推進部の福地鉄平が言うと、総合研究所の小髙敦史が答えた。
「やってみないとわかりませんが、いけるんちゃいますかね?」
このどことなくユーモラスなやり取りが、日本酒の歴史に新たなページを付け加えようとしている。
事の発端は明治期に遡る。当時、日本酒は樽詰めが主流で、かつ微生物に関する知識も少なく、お酒はよく腐った。防腐剤を使う手もあったが、味は落ちる。そんな中、小さな酒蔵の当主が加熱殺菌の手法を洗練し、無菌の日本酒を瓶詰めで売った。この現在に続く革新を成し遂げた人物の名は大倉恒吉、彼の酒蔵が『月桂冠』で、小髙が所属する研究所こそ、恒吉が立ち上げた『大倉酒造研究所』の流れを汲むものだった。
研究所には〝資産〟が積み上がっている。例えばマイナス80度になる低温冷凍庫には研究の過程で得た酵母が数千株保管され、様々な試行錯誤の過程と結果も、時には「失敗、まずかった」といった研究員たちの一喜一憂の言葉と共に、膨大な冊数のノートに記録されているのだ。
だからこそ、新規性が高い低アルコール日本酒の開発も「いけるやろ」と考えた。福地が話す。
「現在、ビールなど様々なジャンルでアルコール度数が低い商品が売られています。当然、日本酒でもニーズはあるはずでした」
通常、日本酒の度数は15%程度。そこから下げる難易度の高さを小髙はこう解説する。
「お米の糖分が発酵してアルコールになる時、同時にフルーツにも例えられる芳香成分や複雑な酸味・旨味が生まれます。アルコール分が低いと、香りや味わいのバランスをとるのが難しいのです」
しかし小髙が「いけるんちゃいますかね」と言ったのは、月桂冠という企業に〝時代を超えたチーム力〟があったからだろう。大倉恒吉の事績は入社したら必ず聞かされ、研究室には、面影も残らない先輩たちのノートが「あとは託した」と言わんばかりに積み上がり、彼らが保管した酵母も外界に出る日を待っていた。小髙は嫌とは言わない、福地もそれを知っていた。こんな部分が、歴史の長い会社の底力なのだろう。
滑り出しは順調だった。小髙は数千株の酵母の特徴を把握しており、すでに低アルコールの商品に向いた酵母が頭にあった。これを使い、研究室で試作を繰り返すと「いけるかも?」と感じるものができた。アルコール度数の低さを生かし、基本は甘口。しかし従来より多くの米を使うなどして、口に含むと芳香が、次に繊細な酸味がやってきて、旨味の余韻とともに消えていく……そんな日本酒らしい複雑な味わいを作り上げた。
試飲で営業やマーケのメンバーに激賞された小髙は、照れながら、当時をこう振り返った。
「バランスにこだわりました。香りが強すぎるとジュースのようになってしまうし、酸味や旨味が強すぎるのもよくないんですよ」
しかし、青木俊介がこう話す。
「研究室でできたことが大量生産の設備でもできるかと言えば、そうではないんです。日本酒の瓶くらいの容器なら、中身の温度を一定に保ちやすいのですが、幅何メートルのタンクの中は場所によって温度が大きく異なります」
攪拌の仕方ひとつで味が変わるほど繊細なのだ。福地がちゃかす。
「まあ僕らは『なんでできひんの?』ってなるんですけどね(笑)」
また新規性が高い商品は、瓶詰めにも注意が必要だ。例えば充填時の流速に注意しなければ瓶から溢れてしまう。新しい設備を投入しようと思っても莫大な費用が掛かり現実的ではない。小髙が話す。
「実はこれらの部署にも専門家がいるくらい難しいものなんですよ」
ようするに、苦労するのはここからで、実際早くも発酵中に「あかん」となった。小髙が話す。
「醸造中、温度、アルコールの濃度などが記録されていくのですが、蓋を開ける前の段階で『こら研究室でつくるのとは全然違う』と」
小髙敦史(こたか・あつし/右)
総合研究所 製品開発課 課長、農学博士。開発を主導、アルコール度数の低さを感じさせない日本酒らしい味を実現。
青木俊介(あおき・しゅんすけ/中央右)
総合研究所 製品開発課。醸造や商品の製造を担当する部署に様々な依頼を行ない『アルゴ』の生産を成功に導いた。
小室智耶(こむろ・ともや/中央左)
営業推進部 マーケティング課。『アルゴ』発売時のCM等を主導。今までの日本酒とは異なる登場感を打ち出した。
福地鉄平(ふくち・てっぺい/左)
営業推進部 マーケティング課 課長。自社開発陣の技術力を知り、悲願だった低アルコール度数の商品の開発を提唱。
成功要因は、敷居が低い「研究者の新スタイル」
これにどう対処するのか? 小髙がサラッと言った。
「そら、日々、対話ですよ」
何気ない一言だったが、福地がすかさず付け加えた。それが小髙らの研究室の特徴だったのだ。
「彼らは普段から、よく営業部門にも来てくれるんです。研究所というと敷居が高い会社もありますが、小髙たちはわざわざ『今こんなんやってるんですけど』と言いに来てくれます。だから我々も、小髙たちが何をやりたいか理解し『じゃあこういうのつくれる?』と提案しやすいんです。それと同じことが、生産技術など、ほかの部署との間でもあったんですよ」
研究室と同じ材料を同じように仕込むが結果が異なる……小髙や青木にも意味がわからない。そこで醸造の専門家と、酵母の加え方や米の蒸し方など様々な条件を変えていく。アルコール濃度や温度などの数値はすべて研究室での醸造と同じ経過を辿るのに味が違う、という状況にも陥った。一般的な日本酒なら前例から対処法が見えてくるが、今回はそうはいかない。
しかし小髙には味方がいた。
「そんな時に醸造の専門家が『そういえば、もろみがプクプクしはじめたあたりで、こんな香りがあったで』といったことを教えてくれるんです。こういうヒントをもらうために、仕込んだらほぼ毎日のように顔を出してました」
研究者はどこか「孤高」のほうがカッコいいイメージもあるが、誰かの研究は、誰かが生産し、誰かが売り方を考え、初めて、世界の役に立つのだ。福地が話す。
「小髙は高度な話もわかりやすく話してくれるんです。また、私たちが『香りが高いものを』と漠然としたことを言うと『それもいろいろあって、例えばカプロン酸エチルという物質の数値がこうだと~』と説明してくれます」
小髙らのこんな姿勢があるから、醸造の専門家や瓶詰めなど生産の技術者が、小髙ら研究所員のやりたいことを理解し、積極的に数字にあらわれない変化を教えてくれ、解決のためのアイデアをも出してくれるのだ。青木が話す。
「私も小髙の姿勢を勉強させてもらっています。例えば醸造の担当者に『こういう条件で試してほしい』といったお願いをする時は、無駄足を踏ませないよう理論武装していますし、なぜそれが必要か話し、納得してもらった上でお願いしています」
ここで「手柄は部下に譲る」といった雰囲気で話を聞いていた営業推進部長が言った。
「そら大変やろなぁ。うちには頑固な職人もいるから」
一同が笑った。彼らがここで試作を繰り返した年月は約5年、そこには膨大な対話があったに違いない。日々、話しに行くことで、別の部署はちょっと遠い存在でなく、別のスペシャリティを持った同じチームになる。そんな団結の末、2024年の春、彼らの商品開発は大詰めに向け動き出した。