
企業にとって、優秀な社員の存在は競争優位性を確立する上で必要不可欠です。しかし、せっかく採用した優秀な社員も、評価制度への不満や組織への不信感から離職してしまうケースは少なくありません。本稿では、優秀な社員が長く活躍し続けるための「納得の評価制度」と、それを支える「組織づくり」について解説していきます。
逆噴射にもなりえる装置
評価制度は、どの方向に社員を率いていくかを定義する重要な仕組みであり、その構造次第で従業員の心の持ちようが変わってきます。その方向いかんによっては、組織全体を大きく推進するエンジンともなれば、逆にブレーキを踏むどころか、経営者が望む方向とは真逆に人を動かす装置ともなります。意図しているかどうかに関わらず、その制度の構造通りに従業員が動いていくことを思えば、制度設計こそが組織の成果を左右する肝となります。
そのような重要度にもかかわらず評価制度がそもそも存在しない、もしくは曖昧であるケースも多く見受けられます。その原因を本稿ではひも解いていきます。まず原因の一つは、取捨選択の難しさです。
万人が満足する制度の罠
評価制度を作る際の理想として「万人が満足するような制度にしたい」という思いが存在し得ます。あらゆる人に対して納得感、公平感が生まれることができれば一番ですが、現実はそう簡単ではありません。基準を作るということは、すなわち「線を引く」ということであり、その線は万人にとって望ましい線になるとは限りません。基準を作れば相対的に誰かが得をし、誰かが損をします。制度を作るということは、まずその現実を受け止めることからがスタートとなります。
「結果だけで評価」はドライ!?
上司が部下に求める役割は多岐に亘ります。結果を出すことを求めるだけでなく、取り組み姿勢、協調性、主体性、クリエイティビティー、コミュニケーション力、リーダーシップ、人間性など、求める内容を考えていく中で、すべてを包括しようと思うと項目数は膨大になります。実際にどのような部下に育ってもらいたいかを思えば、ドライな数字だけの世界ではなく、形而上の価値にも重きを置きたくなる気持ちが生まれて当然です。そういった一見して人間的に豊かな価値を求める思いに逆行して生まれてくる現実とはどのようなものがあるのでしょうか。
「頑張った人が損をする」
結果を出していない社員が何を評価して欲しいと思うか。その一つに、「結果は出ていないが、頑張りも認めて欲しい」「遅くまで残っている」「取り組みが良くなってきた」などです。上司としてもそのようなものを認めてあげたいのが人情でもあります。ただ、その人情と裏腹に、結果以外のものを評価すればするほど生まれやすい現実は次の通りです。査定期間が近づくと、やたらと溌剌と積極的に発言・行動する社員。評価者の前だけ、人が変わったようにテキパキと動く社員などです。そのような人が要領よく評価される現実が生まれた時に、優秀で結果を残している人の心情の一つは「頑張った人ほど損をする」です。結果、優秀な人ほど「この組織では正当に評価されない」「頑張った甲斐が無い」と感じ組織を離れても無理はありません。そして組織に残る人はどのような人でしょうか。経営者が望んだものとはかけ離れた現実を引き寄せている場合があります。
集中力の限度
経営者が求めることを網羅していくと、作成者側の視点からすると、場合によってはすべてを表現できたことへの一定の満足感が得られる場合があります。ただ、これはあくまでも求める側の視点です。立場を逆にして“あれこれ”求められる側の視点から見てみるとどうでしょうか。経営者の頭の中では、一つひとつの項目の関連性、優先順位などが整理されていたとしても、それらを部下がイメージできているとは限りません。人の集中力には限度があります。片手で数えられる数を超えることを日々意識しながら行動に反映できれば良いですが、意識できるキャパシティーを超えた内容に対しては、無意識的にも取捨選択が発生します。求める内容が多くなるほど、相対的に一つひとつの重要性が下がることになり、そのうちのいくつかを「捨て」たとしても及第点は得られるような構造が生まれてしまうのです。
モチベーションを下げないための制度?
経営者が思い入れを持って作った評価項目も、実際に評価する直属の上司からの視点では解釈が難しい場合があります。例えば、「コミット力」などを評価するにあたって、その項目について上司としては部下に対して及第点には及ばない認識を持っているものの、その感覚を明確に言語化するロジックを持ち合わせていない場合、低い評価点を付けてしまえば「部下が納得する説明ができないかもしれない」「やる気を無くしたらどうしよう」などの感情が芽生え、当たり障りのない評価が並ぶ結果になることも珍しくありません。本来、「やる気を上げるため」の制度が、「やる気を下げないための配慮」を行う場と化してしまう結果になっているのです。そして、上司が評価面談を避けたくなった結果、フィードバックが先延ばしとなり、評価対象期間の終わりに前の評価期間のフィードバック面談が終わったとなると、もはや制度の存在意義が問われます。
重大なことは細部に宿る
もう1点、評価制度が十分に整備されない原因は、評価制度を作り上げる知識や経験の不足です。専門業種になればなるほど、キャリアの前半はいかに自らの専門性を高めるかということに多大な時間・お金・労力を注ぎ込みます。キャリアの途中において部下を育成する機会に巡り合い、更に幹部として評価制度の設定に携わる場合に、ある意味全く異なる領域に取り組むこととなります。プレイヤーとして優秀であることと評価設計者としての知識と経験は別です。初めて子育てをする親が「子育て0歳」として、経験したことがない世界に直面するようなものです。知識・経験が十分でない中、「私はプレイヤーとして結果を残してきた」という視点から、見よう見まねで無理に形にしようと思うと中途半端な仕組みとなってしまいます。何事も8割、9割まで完成させるのはある意味簡単です。大事なことは細部に宿るということを留意して仕組み作りを行うことが重要です。
最後に
単体でハイパフォーマンス選手を寄せ集めてきても必ずしも結果を出すチームとならないように、いくら良い評価制度を構築できたとしても、他の仕組みとの連動するものでなければ、むしろ逆効果となります。評価制度単体は非常に立派なものであるが、日常に反映して管理する仕組みが無ければ現実の乖離が広がっていき、評価査定上のスコアに対する不公平感・不満が広がりやすい原因となるのです。会社が掲げる企業理念やヴィジョンを実現するための組織体制(組織図)、そしてそれに肉付けし機能させるための役割やルールの明確化、役割に対する結果を出すための管理フォーマット、そして結果を出した人に有益性が返ってくる評価制度、これらすべてが連動することで最大のパフォーマンスが発揮されます。
文/識学コンサルタント 山口裕弘