
著名人の謝罪やら異例の長時間記者会見など、年始からこれほど頭を下げる大人たちを見たことがないほど謝罪ラッシュの新年スタートとなったわけだが、世のビジネスパーソンもいつ窮地に追い込まれるか分からない。
そんなビジネスパーソンたちの「お詫びの手土産」として定番なのが老舗和菓子屋・新正堂の「切腹最中」。このお菓子こそ「謝罪」を機に大ヒットした和菓子だ。
老舗の誇りがいかにして「お詫びの手土産」の定番となったのか?
よくある最中とは違い、インパクトのある山盛りあんこがいかにもガブリと食べて欲しそうにその姿を強調している。
あんこは結晶の大きな純度の高い砂糖を使用。もっちりとした食感が嬉しい求肥も入っていて甘さは控えめ。ボリューム満点だが、ついもう一個手を伸ばしたくなる美味しさが約40年間、新正堂の看板商品として輝いてきた。
そんな老舗の誇りがいかにして「お詫びの手土産」の定番となったのか?
今回、新正堂の3代目で現会長の渡辺仁久さんと、4代目社長の仁司さんを直撃。切腹最中の誕生秘話とともに謝罪系和菓子の生みの親に「謝罪の極意」も聞いた。
――「切腹最中」は会長の仁久さんのアイデアだったとか。誕生のきっかけを教えてください
仁久さん「当時、私は社長に就任したばかりで、人気の豆大福に続く新たな看板商品を作ろうと新商品開発に励んでいたんですがなかなかコレといったものがなかった。そんなある日、お客さんから「日持ちのするお菓子がほしい」という声をいただいて、それなら最中はどうだろうと思ったのがきっかけでした」
「当店が浅野内匠頭が切腹した屋敷の跡地に建っていたこともあり、忠臣蔵の話を語り継ぎたいとの思いも込め、『切腹最中』という商品名が最初に浮かびました。忠臣蔵ファンとあんこ好きには受け入れてもらえるかなと笑」
――ところが周囲は大反対だったとか
「本来はおめでたいはずの和菓子なのに『切腹』はないだろうと言われ、知人にアンケートを取ったらほぼ全員が反対。家族も泣いて猛反対するほどでしたね」
――それでも諦めなかった
「あまりにも反対されるので、『義士最中』とか『忠臣蔵最中』など他の名前も考えたんですが、全然ピンとこない。やっぱり最初に思いついた『切腹最中』が一番しっくりくるんです。なんとか家族を説得していたら、発売まで2年半かかりました」
仁久氏の熱い思いはようやく形となる。
当時、看板商品だった豆大福のあんを最中用に炊いてたっぷりと詰め込み、とにかく喜んで頂きたいとのコンセプトで売り出した。
しかし、当初の売れ行きはいまひとつ。新たな看板になる予感もない。ところが…
仁久さん「ある証券会社の支店長さんが来店し、かなり切羽詰まった感じだったので「どの様なご用向きですか」とお尋ねしたんです。すると、「部下が大切なお客様に2000万円の損失を出してしまった」と仰って。私は「自己責任だからいいんじゃないですか」と申したんですが、そういう訳にもいかないと」
「そこで私は意を決し、「自分は腹を切れませんが代わりに最中が切腹しております!と言ってこちらをお渡しするのはいかがですか?」とおすすめしました。「もしかしたら火に油かもしれませんが…」とも申し上げたんですが、少し迷って買っていかれたんです」
仁久さんにとっては大きな賭けだったかもしれない。しかしそれが転機となった。
後日、支店長から「先方が笑って許してくれた」との報告があり、さらに数日後、その支店長が証券会社の会合でこのエピソードを紹介したところ、取材に来ていた記者が全国紙で「お詫びに切腹最中」と取り上げ、一躍注目を浴びることに。切腹最中が「お詫びの手土産」になった瞬間だった。
以来、新正堂の看板商品となり、当然『切腹最中』は一番人気。繁忙期の12月には一日1万個売れることがあるほど、お詫びの手土産の頂点に君臨している。
ただ、丹精込めて作った和菓子に「お詫びの定番」というイメージがついてしまうことは、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちが芽生えそうだが…
仁久さん「相手様に大事なメッセージを伝えられるお菓子として使って頂けるアイテムになるのは、凄いことだと思っています。確かに「お詫び」のイメージが強すぎるため、お客様に切腹最中をおすすめしても「今回はお詫びじゃないから違うお菓子で」とおっしゃる方もいらっしゃいます。そのため、帯の巻き変えで、感謝・祝・商売繁盛など気持ちを伝える菓子として新しい顔にして喜んで頂いています」
『切腹最中』が新たな看板商品となってから、ビジネスはもちろん、さまざまな場面の謝罪やお詫びの逸品として活躍しているという。
たとえば、「飲み会に遅れて参加してしまったときのお詫び」や「手術で回復された方がお見舞のお返し」として購入することもあったとか。
中には、結婚式で切腹最中をお返しに使いたいという方も。流石にお断りしたそうだが、「どうしても『切腹覚悟の二人です』というメッセージを作りたいんです!」と強い希望もあり、承諾したこともあったという。