
日産自動車がGT-Rの新規注文受付を終了。そして生産終了が予定されています。その理由はなぜでしょうか?そして、名車GT-Rの歴代モデルもチェックしてみます。
目次
日産自動車の名車、「GT-R」がその伝説の幕を閉じようとしています。
初代「スカイライン 2000GT-R」が1969年(昭和44年)2月に登場してから55年以上の時が経ちました。
現行のGT-R(R35型)も2007年の発売から約18年の長きにわたり生産を続けてきましたが、予定の生産数量分の注文があったことから、新規注文受付を終了しています。
日産自動車の最後のGT-R? R35型の生産を終了
日本での新規注文受付を終了したGT-Rですが、なぜ生産終了したのでしょうか? また、生産はいつまででしょうか?
■なぜ? GT-R生産終了の理由
それではなぜ、GT-Rの生産は終了したのでしょうか?
理由としては、部品供給の見通しが一部、立たなくなってきていることが挙げられます。
2007年から同じ車両を作り続けてくる中で、社会情勢や経済環境も変化してきます。もちろんメーカーもその変化に対応しているのですが、限界もあります。
今回、GT-Rは生産終了となりましたが、次期モデルの登場に期待したいものです。
■GT-Rの生産終了はいつ?
2025年8月で生産終了とされています。
■最終型のGT-Rとは?
2024年3月14日に発表された2025年モデルが最終型となりました。
モデル名と当時の全国希望小売価格を確認してみましょう。
「GT-R Pure edition」
1444万3000円
「GT-R Black edition」
1611万5000円
「GT-R Premium edition」
1558万7000円
「GT-R Premium edition T-spec」
2035万円
「GT-R Track edition engineered by NISMO」
1853万5000円
「GT-R Track edition engineered by NISMO T-spec」
2289万1000円
「GT-R NISMO」
3008万5000円
「GT-R NISMO Special edition」
3061万3000円
左「GT-R NISMO Special edition」、右「GT-R Premium edition」
GT-R伝説のルーツ。プリンス自動車工業
ここからは、R35以前のGT-Rについて振り返ってみましょう。まずは、日産自動車と合併した「プリンス自動車工業」についてご紹介します。
日産自動車が誕生したのは、1933年(昭和8年)のことでした。創業者の鮎川義介氏が設立した持ち株会社、日本産業と戸畑鋳物で出資して、横浜に自動車製造株式会社を同年12月26日に設立したことが始まりです。
翌1934年(昭和9年)に日産自動車株式会社に社名を変更。以来90年以上の歴史を刻んできました。
GT-Rは現在、単に〝GT-R〟と呼ばれていますが、現行モデルR35より以前は、「スカイラインGT-R」と呼ばれていました。
その「スカイライン」こそが、生きる伝説、GT-Rの元なのです。
そして、スカイラインは日産自動車で長く販売されていますが、元々は「プリンス自動車工業」で産声を上げています。
プリンス自動車工業は、GT-Rの歴史を語る上で欠かせない会社なのです。
■「プリンス セダン」がプリンス自動車工業の社名の由来
第二次世界大戦前の「立川飛行機」から派生した「東京電気自動車」は、中島飛行機から派生した「富士精密工業」のエンジンを搭載した自動車を1952年(昭和27年)3月に発売しました。それがこの「プリンス セダン」です。
車名に使われた「プリンス」は、明仁親王殿下(現、上皇)の立太子の礼にちなみ命名され、後に、東京電気自動車がプリンス自動車工業と社名を変更した由縁でもあります。
プリンス セダンは1484ccの直列4気筒OHVエンジンを搭載。最高出力は33kW(45ps)/4000rpmでした。
このプリンス セダンは名前の由来となった、明仁皇太子(当時)が購入、ご愛用されたことでも有名です。
■「プリンス スカイライン」誕生
1957年(昭和32年)4月に登場したのが、名車スカイラインの初代モデルとなる、この「プリンス スカイライン」です。
1484ccの直列4気筒OHVエンジンを搭載。最高出力は44kW(60ps)/4400rpmを発揮しました。
最高速度は、当時の国産乗用車最速の125km/hを実現。ド・ディオン式の後輪懸架など先進的な機能を持ち、人気を博しました。
■日本グランプリでポルシェと激戦を繰り広げた、伝説の「スカイラインGT」
「プリンス スカイライン」は1963年(昭和38年)11月にモデルチェンジを行い、2代目へと進化を遂げました。
先進的なモノコックボディを採用。メンテナンスフリーの1484cc直列4気筒OHVエンジンは、「封印エンジン」として4万kmまたは2年間の保証が付き、シャシーも定期的な注油が不要な「ノングリースアップ」を訴求しました。
そして、1964年(昭和39年)5月3日に開催された「第2回日本グランプリ」のGT-II レースで勝利するため、「スカイライン1500」(S50型)のホイールベースを2590mmへと200mm伸ばし、グロリア用の1988cc直列6気筒OHCエンジンを搭載。100台を製作しました。
それが、この「スカイラインGT」(S54A-1型)です。
レースはポルシェ「904」が勝利しましたが、スカイラインGTは2〜6位となり、多くの国産車ファンを勇気づけました。
その後、このモデルの販売を求める声が高まり、出場車と同じくウェーバーの3連キャブを搭載し、125ps/5600rpmを発揮する「スカイライン 2000GT」(S54B-2型)を、1965年(昭和40年)2月に発売することになったのです。
全長4255×全幅1495×全高1410mmのボディに直列6気筒エンジンを搭載しながら、車両重量は1070kgと軽量。最高速度は180km/hに至る国産最速のスポーツセダンとして、当時の若者を中心に憧れの的となりました。
フロントディスクブレーキや前後スタビライザーなども装着。当時のカタログで「羊の皮を着た狼とでも言えましょう」と表現されたことも、語り継がれる逸話のひとつです。
■1966年(昭和41年)にプリンス自動車工業と日産自動車が合併
1966年(昭和41年)に、通産省(当時)は業界再編の一環として、技術開発に優れるプリンス自動車工業と日産自動車の合併を先導しました。
セドリック、フェアレディ、ブルーバード、サニーらのラインアップで人気を博していた日産自動車とプリンス自動車工業が1つとなり、グロリアやスカイラインなどの車種が日産自動車へと合流しました。
そのため、日産自動車は商品企画力や開発力にさらなる磨きがかかり、この頃から、日産自動車は「技術の日産」として、呼ばれるようになったのです。
初代「スカイラインGT-R」が誕生。GT-R伝説が始まった
プリンス自動車工業と日産自動車の合併の歴史と、スカイライン伝説の始まりを見てきました。
ここからはいよいよ、スカイラインGT-Rの伝説を追いかけてみましょう。
■初代「スカイライン 2000GT-R」が誕生
プリンス自動車工業と日産自動車が合併し、スカイラインもフルモデルチェンジのタイミングを迎えました。
3代目のスカイラインは、1968年(昭和43年)に登場しました。3代目はC10型と呼ばれ、初期は4ドアセダン(C10型)とエステート(WC10型)、バン(VC10型)がラインアップしました。
サイドには特徴的な「サーフィンライン」があしらわれ、これはしばらくスカイラインを象徴するデザインとなりました。
そして、いよいよ1969年(昭和44年)2月、「スカイライン2000GT-R」が誕生しました。
打倒ポルシェを目標にプリンス自動車工業が開発し、1966年(昭和41年)の第3回日本GPでポルシェ「906」を破り優勝。2位以下にも3周差をつけ圧勝したプロトタイプレーシングカー「R380」のノウハウを満載。
R380のエンジンを市販車用に再設計した伝説のS20型エンジンが誕生し、初代スカイライン2000GT-Rに搭載されました。
1989ccの直列6気筒4バルブDOHCエンジンは、最高出力118kW(160ps)/7000rpmを発揮ました。
初期のスカイライン2000GT-Rは、PGC10型と型式認定された4ドアセダンで、全長4395×全幅1610×全高1385mm、車両重量1120kgと軽量でした。
スカイライン2000GT-Rは同年5月に富士で行われた「JAFグランプリ」にデビュー。そのレースで篠原孝道選手が駆る39号車が勝利を飾り、49連勝を含む52勝を挙げるGT-R伝説の第一歩となったのです。
翌1970年(昭和45年)に、旋回性能向上と軽量化に向けてホイールベースを70mm短縮した、2ドアハードトップ(KPGC10型)へとGT-Rは進化。リアに黒いオーバーフェンダーを純正装着しました。
■2代目「スカイライン 2000GT-R」登場。伝説は一時中断される
1972(昭和47)年9月に発売された4代目スカイライン(C110型)は、「サーフィンライン」を継承しつつ、全長4460×全幅1625×全高1385mmとボディサイズを拡大。ソフトで流麗なスタイリングに変更されました。GT-Rの伝統となるリング型の4灯テールランプは、ジェット機の噴射口を模したこの4代目スカイラインで初採用されています。
そして、「スカイライン 2000GT-R」も2代目へと進化。しかし、ツーリングカーレースへの参加がなく、また、販売期間が1973年(昭和48年)1月からわずか4か月と短期間であり、総数200台足らずしか生産されなかったこともあり、「幻のGT-R」と呼ばれています。
4輪ディスクブレーキやメッシュタイプのフロントグリル、フロント側にも追加されたオーバーフェンダー、リアスポイラーを標準装備し、ボディカラーは、シルバーとホワイト、レッドの3色が設定されましたが、最も数が少なかったのは、このレッドでした。
全長4460×全幅1695×全高1380mmと大型化しましたが、車両重量は1145kgと意外にも軽量でした。
■3代目「スカイラインGT-R」が16年ぶりに復活
オイルショックなどの影響もあり、70年代から80年代のスカイライン各モデルに、GT-Rの名はしばらく消えていました。
しかし、8代目スカイラインR32型が1989年(平成元年)5月に発売され、その3か月後の8月に、GT-R(BNR32型)が登場し、16年ぶりにファン待望のGT-Rのビッグネームが復活。大きな話題を呼びました。
エンジンはGT-Rのために専用設計された2568cc直列6気筒4バルブDOHCのRB26DETT型を搭載。最高出力は206kW(280ps)/6800rpmと当時の国産車最強を誇りました。
また、駆動方式はFRベースで路面状況に応じ電子制御により前後輪に駆動力を配分する、電子制御トルクスプリット4WDシステム「アテーサE-TS」を採用。サスペンションも4輪マルチリンク方式となりました。
全長4545×全幅1755×全高1340mmで車両重量は1430kg。発表当時は重量級とされましたが、2020年代から見れば軽量と言えます。
デビューの翌1990年(平成2年)3月に開催された全日本選手権の開幕戦でレースデビューし、その後、1993年(平成5年)にグループAによる全日本選手権が終了するまで、4年間全29戦をすべて優勝。伝説の記録を残しました。
■4代目「スカイラインGT-R」
1993(平成5)年8月、スカイラインは9代目(R33型)へとモデルチェンジしました。その後、1995年(平成7年)1月にGT-R(BCNR33型)がラインアップに加わりました。
全長4675×全幅1780×全高1360mm、車両重量1530kgとサイズをさらに拡大。ホイールベースも2720mmとなりましたが、走行性能は先代よりも進化し、GT-Rの名に恥じないモデルです。
R33型GT-Rは、グループAによる全日本選手権が終了したことを受けて、主戦場を全日本GT選手権(JGTCシリーズ)へと移し、ここでもシリーズ制覇を遂げるなどの活躍を見せました。
■4代目「スカイラインGT-R」に4ドアセダンがあったことをご存じ?
スカイライン誕生40周年を記念して、オーテックから1998年(平成10年)1月に発売されたのが、「スカイラインGT-R オーテックバージョン 40th ANNIVERSARY」です。
1969年(昭和44年)に登場した初代「スカイライン 2000GT-R」(PGC10型)以来の4ドアボディのGT-Rであり、ファンから好評を得ました。販売価格は498万5000円で、約400台生産されています。
■最後のスカイラインGTR。5代目「スカイラインGT-R」
1998年(平成10年)5月に10 代目スカイライン、R34型が登場しました。
そして、1999年(平成11年)1月には、GT-R(BNR34型)がラインアップに加わりました。
全長4600×全幅1785×全高1360mmとR33時代に比べてややコンパクトに原点回帰。車両重量は1560kgとなりましたが、ボディサイズの縮小により、優れたフットワークを実現しました。
レースへの挑戦も続き、全日本GT選手権へ積極的に挑戦。
こちらのRB26DETT型エンジン搭載モデルを皮切りに、2002年(平成14年)シーズンからはVQ30DETTエンジンに移行しつつ、活躍を続けました。
■2007年にGT-R復活。R35の初期モデルを振り返る
2007年(平成19年)12月に発売された、現行型GT-Rは、国産スポーツカーの多くがラインアップを外れていた当時、待望のスポーツモデルの復活として、大きな話題となりました。
R35型と呼ばれる現行モデルの登場の兆しは、2001年(平成13年)の東京モーターショーにさかのぼります。
「GT-Rコンセプト」と名付けられたこのクルマは、フロントグリルやテールランプの形状など、多くのディテールに6年後に登場した市販モデルとの共通点を持ちます。
そして、2002年(平成14年)8月末で、スカイラインGT-R(R34型)の販売が終了・GT-Rファンの落胆は隠せなかったのですが、翌2003年(平成15年)の東京モーターショーで、「GT-Rは4年後の東京モーターショーで復活」するとアナウンスされました。
そして、2005年(平成17年)の東京モーターショーでは、より生産型に近い「GT-R PROTO」が発表され、ついに、2007年(平成19年)12月に、スカイラインとは独立する形で、GT-Rの呼び名で販売が開始されました。
エンジンは3799ccV型6気筒4バルブDOHCツインターボエンジンのVR38DETTを搭載。最高出力は353kW(480ps)/6400rpm、最大トルクは588N・m(60.0kgm)/3200-5200rpmを発揮。全長4655×全幅1895×全高1370mm、車両重量1740kgの重量級ボディを楽々と時速300kmの世界へと加速させました。
そして、カーボン製プロペラシャフトを通じて車体後方へ送られた出力は、2ペダルのデュアルクラッチトランスミッションで変速。日産が特許を取得したパワートレイン配置による独立型トランスアクスル4WDへと伝えられます。
フロントにダブルウィッシュボーン式、リアはマルチリンク式のサスペンションとし、実用的な後部座席やゴルフバッグも積めるトランクルームを持つ量産車ながら、プレミアムな少量生産スポーツカーを凌ぐような高性能で、「量産車世界最速」を目指す1台になりました。
実際、2008年4月にはドイツのニュルブルクリンク北コースで、当時の量産車のレコードとなる、7分29秒03というとてつもないタイムを計測。これは、日本の自動車史に残る偉業といっても過言ではないでしょう。
当時の販売価格は777万円でしたが、2007年(平成19年)9月26日の予約開始から、わずか2か月で月販目標200台を11倍以上も上回る2282台を受注したことも、特筆に当たるでしょう。
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文/中馬幹弘