【古墳王子の早口コラム】
こんにちは、小学生の頃から古墳の魅力に目覚め、訪ねた古墳は3000基以上の高校生、古墳王子です。
このコラムでは皆さんにディープでマニアックな古墳の魅力が伝わるよう、僕が感じた感動や発見をオタク特有の早口でお伝えしていきます。
2025年の幕開け。新年早々さまざまなニュースが飛び交い、何だか落ち着かない日々が続いています。歴史や文化財に興味がある皆さんにとっては九州の近代遺構でショックな事件もありましたね。
そこで今回は、過去に破壊の危機から逃れた奇跡の古墳たちについて振り返ることで、人々が遺跡破壊にどう立ち向かい保護に尽力したのか、その強い意思や熱意、創意工夫を某テレビ局の『プロジェクトX』風に迫っていきたいと思います。
ぼくは田口トモロヲさんになりきって語りかけますので、皆さんは脳内で中島みゆきさんの『地上の星』と『ヘッドライト・テールライト』を再生しながらご一読よろしくお願いします。
市民の力で守られ世界遺産へ! 奇跡のいたすけ古墳
昭和30年の大阪。高度経済成長期で、工場誘致や人口増加に対応するため土地の整備が進むなか、天皇陵を有する堺市でも、多くの古墳が消滅する事態となった。
さすがに宮内庁に天皇陵と治定されている古墳は壊せなくても、それ以外なら、という発想だったのだろうか。いたすけ古墳は個人所有の土地の一角に存在したため開発業者に買い取られ、宅地造成工事用の橋が墳丘に向けて周濠に架けられた。もうアカン……!
そんなとき、立ち上がったのが、考古学者で当時は高校教諭だった森浩一先生と地元に住む歯科医の宮川さん。他にも賛同してくれる有志の皆さんにより『堺市イタスケ古墳を護る会』が結成され、署名活動や募金集めに奔走し、その志と輪は全国紙で報道されるまでに大きくなっていった。
そしてとうとう、堺市が開発業者からいたすけ古墳を買い戻すことに成功し、やがて国の指定文化財として史跡整備されるに至ったのである。
ちなみに周濠に架けられた工事用の橋は当時の姿のまま、古墳を破壊の危機から救った市民運動のシンボルとして訪れた人々に文化財保護の大切さを今に伝えている。
いたすけ古墳(大阪府堺市)
緊急発掘調査で大発見! 九死に一生を得た三昧塚古墳
こちらも昭和30年。首都圏の台所として農業が盛んな茨城県行方市で、大型台風による浸水から大切な田畑を守るために、霞ヶ浦沿岸に堤防を造る計画が動き出した。
その堤防築造には必要な大量の土が必要で……おや、あちらにちょうど良い小山があるね?と開発業者が目を付けたのが三昧塚古墳!
しかも私有地だったため、共同所有者である農家の皆さんも、古墳の跡地を水田にする案にすっかり乗り気。話はうまくまとまって古墳の土取り工事がはじまったのだが、なんと墳丘から埴輪が出るわ出るわの埴輪祭り!
しかし当時は、文化財に対する関心や保護の意識がまだ希薄な時代であり、工事関係者からしてみれば、工期遵守のため出土遺物なんかにかまっていられない。
出てきた埴輪は無惨にも切断され、道路沿いに打ち捨てられていた。それを偶然見かけた考古学マニアの方が県に連絡して、緊急発掘調査が行われることとなり、派遣されたのが明治大学の考古学者・大塚初重先生である。
当時まだ大学の助手だった大塚先生にとって、初めて任された自分だけの現場。大変な気合いをもって現地に赴いたのであるが、工事は休むことなく進んでいて墳丘はひどい有様。しかも手伝ってくれる地元青年団の方々は、発掘などしたことない素人集団。
実質ひとりで掘り進めることになったが、盗掘孔が見つかるなど期待を裏切る現実ばかり。しかし大塚先生は諦めず、慎重かつスピーディーな調査を進め、とうとう未盗掘の石棺を発見したのである。
周囲が固唾を呑んで見守るなか、石棺の中から見つかったものは……なんと男性の遺骨と冠・大刀・鏡・馬具など、土にまみれてはいるが、洗浄すれば眩い輝きを放つであろう見事な副葬品たち!
これで一気に破壊から保存への気運が高まり、墳丘の土取りされた部分を修復して、史跡公園整備し、出土品は国の重要文化財に指定されることとなった。
ちなみに大塚初重先生は、その後も数々の遺跡や古墳の発掘調査に携わり、東日本、いや日本全国を代表する偉大な考古学者として、文化財保護や教育普及に貢献された。
2022年に惜しまれつつ享年95歳でこの世を去った大塚先生が人生最後に訪れ墳丘に登って講義をしたのは、この三昧塚古墳だったという。
三昧塚古墳(茨城県行方市)
創意工夫で保存と道路拡張両立の道へ! 高尾山古墳
現在まさに道路工事計画進行中の、静岡県沼津市の沼津南一色線。国道1号と国道246号・東名高速道路をつなぐ一大プロジェクトで2005年に着工したが、拡張する予定の道路の脇に、全長およそ62mの高尾山古墳があり、墳頂には高尾山穂見神社が御鎮座していた。
神社は移転することになったが、古墳については工事前の緊急発掘調査で主体部が未盗掘であること、そこから銅鏡を勾玉など大変貴重な副葬品が見つかったほか、墳丘の正確な形や副葬品の種類など考古学関係者が総合的に判断するに、弥生時代が終わりを迎え古墳時代が幕を開けようとする、極めて絶妙な時代にスルガを治めていた王の墓である可能性が高まってきたのである。
しかし現地を実際に訪れてみると、工事予定の高尾山古墳の真横の道路は交通量が多い上に大変道幅が狭く、歩行者が歩くにはなかなか至難の技で危険極まりない。
さらに救急車や消防車など、一刻を争う事態に緊急車両が通行できないのは一目瞭然である。人命か文化財保護か。関係者は大いに悩み、いったんは高尾山古墳の記録保存と破壊の方向で話が進んでいた。
しかし同時に考古学者をはじめ、多くの市民からは高尾山古墳保存の声が高まり、市民運動にまで発展したことで、ついに国土交通省という大きなヤマが動いたのである。
橋とトンネルを併用する工法で、古墳を避けて保存と道路建設を両立させ、歩行者の安全や渋滞を緩和しながら、東日本では最古級とみられる高尾山古墳を保存し、研究をすすめていくという道が、まさに拓けた瞬間であった。
そして2024年、高尾山古墳は国指定史跡となったのである。
高尾山古墳(静岡県沼津市)
ちなみに道路建設と保存を両立させた過去の事例はいくつか存在し、1972年の塚原古墳群(熊本県熊本市)や1988年の私市円山古墳(京都府綾部市)、1993年の塩津山墳墓群(島根県安来市)などがトンネル上に史跡公園として整備され、訪れる人々に歴史と文化財に触れる大切さや楽しさを感じさせてくれる憩いの場所となっている。
塚原古墳群(熊本県熊本市)
塩津山墳墓群(島根県安来市)
市民が命がけで破壊を阻止! 綾羅木郷遺跡
山口県下関市の綾羅木郷台地は、明治の頃より弥生土器や石斧が出土しており、遺跡として人々に認知されていたが、当時は軍事施設が建設され遺跡発掘調査するには至っておらず、昭和31年にやっと初めての発掘調査が実施された。
しかしベトナム戦争の影響により、鉱物資源の採掘で利益を目論む業者と、高度経済成長期における作物の生産性向上を見込んだ住民の期待が合致し、綾羅木郷遺跡が犠牲となる危機に瀕したのである。
そこで昭和40年に、帝塚山大学の金関丈夫先生を団長とする本格的な緊急発掘調査が行われることとなったが、同時に業者による珪砂採掘も開始され、現場はブルドーザーが走り回り調査後の遺構は即取り壊されるという異様な状況であった。
この事態は報道で全国に知れ渡り、遺跡保存の気運が一気に高まったところで下関市長を会長とする「郷土の文化財を守る会」も発足した。
その後、発掘調査団と採掘業者の睨み合いは4年間続き、いよいよ焦った採掘業者は夕刻に多数のブルドーザーを綾羅木郷遺跡に向かって行進させ、なんと13台ものブルドーザーが夜通しで遺跡を破壊しはじめたのである!
次は綾羅木郷遺跡にある若宮古墳を破壊すると業者から通告を受けた調査関係者は、命がけでブルドーザーの前に立ちはだかり、抗議と説得を続け古墳を守ったという。
まさに前代未聞、一触即発な遺跡発掘調査現場の様子はマスコミに大きく報道された結果、各所の緊急協議と連携プレーで、綾羅木郷遺跡は国の指定史跡にハイスピード指定され、採掘業者はやむなく撤退することとなったのである。
かくして綾羅木郷遺跡は無事保護され、史跡整備の道を歩むことになるが、採掘業者との禍根は日本初の文化財保護に関する訴訟にまで発展し、のちに和解で決着した。
綾羅木郷遺跡・若宮1号墳(山口県下関市)
そしてまさに今。2025年1月、この綾羅木郷遺跡のある下関から関門海峡を挟んだ対岸の門司港で、貴重な近代遺構である初代門司港遺構が破壊されたことについて触れなければならない。
北九州市が複合公共施設建設のため、2023年に発掘調査を行ったJR門司駅そばでみつかった初代門司駅の遺構は、明治24年に開業し23年間活用されたもので、調査では赤レンガが積まれた機関車庫の基礎や駅舎を囲んだ石垣、近世の海岸線を示す護岸遺構も見つかったという。
この遺構について、当時の文化財担当者や専門家からは保存を検討すべきという声が多く挙がっていたが、行政側はその声を黙殺し担当者を急遽配置換え。
世界遺産の登録を可否を調査する国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関であるICOMOS(国際記念物遺跡会議)が遺構解体の中止を求める国際声明『ヘリテージアラート』を発出してもなお黙殺を続け、一部を残し遺構の破壊を開始したのである。
抗議の声に多少配慮してか、一部を移築保存する案や、遺構の一部を希望者に無償で譲渡するなどの話も聞こえているが、この暴挙は見過ごせないし、国際社会において誠に恥ずかしい事態である。
もちろんぼくは市民でもなければ専門家でもない、いわば部外者で詳しい事情をよく知りもせず声が大きい一方の意見を鵜呑みにして語っているだけかもしれない。しかしICOMOSからヘリテージアラートが出ているということは、この事案についてもう少し再考し議論するべきではないか、全国にある過去の事例から学び自戒してもらいたいと思うのである。
文/古墳王子
愛知県在住の現役高校生。小学4年生で古墳の魅力に目覚め、南は沖縄から北は北海道まで延べ3000基以上の古墳を巡りSNSで情報発信中。古墳だけでなく縄文や弥生時代にも目を向け、日々各地の博物館に出没し先史古代の珍しい逸品を探しています。
X(旧Twitter):https://twitter.com/kotetu2019
Instagram:https://instagram.com/kofun_ouji/
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