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テレビ朝日の社会部記者として大規模自然災害などの取材もしてきた松井康真さん。退職後の現在は富山県南砺市のアンバサダーとして活躍。模型好きで「プラモデルを油絵並みに公表できる、大人の普通の趣味にしたい」と普及活動にも積極的だ。松井さんはテレビ朝日時代から模型づくりを趣味とし、忠実に製作した原発模型は報道番組でたびたび登場することがあった。今回の取材時に持参されたテレビ朝日の報道用ヘリコプターの模型も精巧で、魅了される玉川さん。そんな松井さんに、趣味が仕事に結びついた背景や理由について聞いた。
仕事になりそうな好きなことがあります。どうすれば趣味の域を超えられますか?
玉川 松井さんは僕とほぼ同年代で、ほんの少しだけ先輩なんですよね。テレビ朝日は完全に退職されたのでしょうか。
松井 引き止められたものの、どうしてもやりたいことがあって辞めました。
玉川 どうしてもやりたいこととは?
松井 大きく3つあります。一番やりたかったのは、私の生まれ故郷である富山県南砺市井波の活性化です。退職する5年以上前に故郷の状況を調べたら、とある地元チームが全国から注目される地域活性化活動をしていました。早速会いに行って以来、応援し続けています。
玉川 すてきですね! 2つ目は?
松井 プラモデルです。小学校3〜4年生に始めた趣味で、途中の空白期間はありますが、ひたすら好きで続けてきました。模型メーカー・タミヤの田宮俊作会長とは30年近いお付き合いで「定年後は会社を手伝って」と言われていました。現在は経営に関わらない「模型史研究顧問」として、ボランティアではなく仕事をしています。パナソニックやトヨタにあるような博物館をタミヤにつくり、世界中の人々に見てもらうのが夢です。
玉川 いいですね。僕も幼い頃にはプラモデルを作りましたよ。3つ目にやりたいこととは何だったのでしょうか?
松井 アナウンサーです。
玉川 あれ!? 松井さんはテレビ朝日のアナウンサーでしたね?
松井 私は東京工業大学の出身で、東日本大震災が起こる直前に全くの偶然ですが「原発事故が起きたら」というテーマで個人的に取材や勉強をしていました。これが原発事故報道で大変役に立ち、しかも原発模型まで作って解説したところ、再現力の高さがネット上でも大評判となりました。直後の人事異動でアナウンス部から報道局の記者となったのです。現在はフリーのアナウンサーです。
玉川 「3つのやりたいこと」を、どんな配分で力を入れていますか?
松井 ほぼ3分の1ずつで、アナウンサーの仕事がちょっと多いですね。
玉川 松井さんは今まさに好きなことだけをしているので、この連載にはピッタリの人ですね。理想的な状態にするために、いつ頃から計画を立てましたか?
松井 具体的には、辞める5年前くらいです。地元で本気だと信頼してもらうために拠点を富山県に置き、実家を大改築して打ち合わせスペースも造りました。
玉川 定年の5年前になると退職後に時間を持て余すことが不安になり、慌てて趣味を探すビジネスパーソンも多いそうです。でも、松井さんは好きな仕事をするために行動されていました。退職後の不安は全くなかったですか?
松井 ワクワクしかありませんでした。今は時間がなくて困っています(苦笑)。
玉川 僕たちが今話をしている「TAMIYA PLAMODEL FACTORY TOKYO」は、タミヤの製品を購入できますし、ワークショップを開催するスペースやミニ四駆を走らせるコースも用意された、模型好きにはたまらない空間ですね。
松井 そうでしょ!「プラモデルを組み立てたことがない男性はいない」という我々世代には特にね。私は小学生から「タミヤニュース」という模型の情報誌を欠かさず読み続けて、模型づくりを再び始めたのは、社会人になってからですね。
玉川 松井さんは作るだけでなく、収集にも傾倒されていたそうですね。
松井 タミヤの総合カタログでは生産中止の商品に星印が付くので、それを必死に入手して大切に保管するようになったのが始まりです。カタログ未掲載の絶版品を徐々に探し集めて、最終的にはコンプリートしました。そんなコレクターの趣味を公表し、自認するようになったのが、実は30歳を過ぎてから。自分でホームページを立ち上げて、タミヤの進化を系統立てて連日更新したのを機に、タミヤからガイドブックの原稿を依頼されました。それが今につながっています。