2024年に大ブレイクしたこっちのけんとだが、本人は「幸せになりたくない」と口にする。その背景にある、彼のアーティスト論とは?
アーティスト こっちのけんと
1996年生まれ、大阪府箕面市出身。2022年から楽曲制作活動を開始し、24年5月にリリースした『はいよろこんで』はストリーミング再生数1.5億回以上となったほか、ミュージックビデオも再生数が1.3億回を突破、SNSを含む総再生数が140億回を超え話題を集めた。24年12月『第75回NHK紅白歌合戦』に初出場。
「音楽で人の役に立てる」見つけた確かな手応え
撮影に臨むこっちのけんとは自然体そのものだった。
「もっと足を上げてみたら……うわ、意外とこの体勢キツいな!」
こちらのオーダーに応えようと尽くす中に、無邪気さが垣間見える。素の自分を〝外〟に出せるようになったのは、ここ数年のことだという。
「第2作の『死ぬな!』をリリースした頃くらいですかね。タイトルのままのメッセージで少し重たいテーマかなと思ったのですが、多くの人に受け入れてもらえた。自分の奥底にある本音をもっと出しても大丈夫なんだ、と許可を得られたみたいな気がしました」
その後2024年5月にリリースした第6作『はいよろこんで』が大ヒットし、アーティストとしての地位を確立した。一見、順風満帆に見えるが、その人生は自身に貼られた〝レッテル〟に悩まされ続けたものだったと明かす。
「高校生の頃は〝菅田将暉の弟〟として兄の顔に泥を塗らないように生きていました。
大学を卒業してコンサル系の企業に就職した後は、自分の能力とのギャップに苦しみました。コンサルだから、クライアントよりも知識が必要です。でも、新入社員の自分にその知識はなくて、あたかも知識があるように振る舞わないといけない。すると今度は、振る舞いに辻褄を合わせるように、後から知識や経験を身に付けないといけない。
僕には、それをこなせるスキルはありませんでした。それで潰れてしまい、会社は1年足らずで辞めてしまいました」
音楽は違った。両親からは「歌は(兄弟の中で)けんとが一番うまいね」と褒められ、大学のアカペラサークルでは声域の広さを活かし全パートをこなした。
「音楽なら、1%の本音を99%のエンタメで包むことで、自分が抱えた悩みや不満を世の中に発信して昇華できるんじゃないかって考えました。音楽が得意ではあったものの、人の役に立つかはわからない。でも、いざ始めたらたくさんの人が喜んで、元気になってくれた。手応えを感じましたね。おかげで今では、素の自分を発信することに抵抗はなくなりました」
えっ、このハコ何すか? 使い方むずないですか?
死というゴールのために今を懸命に生きる
アーティスト『こっちのけんと』としての活動に注目が集まる中で、いまだ報道では「菅田将暉の弟」という枕詞がついて回る。その肩書を払拭できたか問うと、「逆です。最近やっと、その肩書に追いつけた気がします」と答えた。
「背伸びしてばかりの人生だったけど、ありのままの自分として、胸を張って生きられるようになりました。今では尊敬する俳優でもある菅田将暉の〝弟の名札〟を着けている感覚ですね」
一方で「名札といえば……『幸せ』という名札をつけるのは、今はまだ抵抗があるんです」とも語る。
「以前より僕の人生は上向いたと思うんですが、それでもまだ苦しんでいます。そもそも、僕は苦しみながらみんなと一緒に生きていたい。幸せになったら、アーティストとしてやっていけなくなる気がするんです。
そういう意味で、僕にとっての幸せって死ぬときに訪れる気がします。ネガティブな意味じゃないですよ! 死んだ後も、僕の作品が誰かの役に立つものであってほしい。そうなれば僕は幸せだし、そういう作品を生きているうちに作り続けることが、僕にとっての仕事だと思います。『幸せに生きる』って考えると難しいけど、こんな感じで『幸せな死に方』っていうゴールならイメージしやすい気がしてるんです」
思い描く幸せに向けて、これからもアーティストとして生きていく。緑色のファッションは、トレードマークとしてすっかり馴染んできた。
「(緑が)好きな理由ですか? 昔のテレビって、入力切替すると『ビデオ2』って表示が出たじゃないですか。テレビゲームをやる時の。あれがなんか、めっちゃ好きだったからなんですよね」
ちょっとジャンプとか、してみちゃったりして
本誌とは違う「生の取材」動画をYouTubeで配信中!
DIME公式YouTubeチャンネルでは、こっちのけんとへの取材を生収録! 20個の質問をした後、その内容をさらに深掘りしていく。「今一番やりたいこと」から「最近買った高い買い物」まで、本誌で語られていない秘蔵エピソードが盛り沢山!